茨城県
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楯縫神社(稲敷郡美浦村木原)〈『常陸國風土記』『延喜式』所載〉
楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 創建は・紀元十八年・推古天皇十六年(608)・大同二年(807)と三説があり『常陸國風土記(713)』には「普都大神が 天降り山河の荒ぶる神を平定し 身に着けた杖・甲・戈・楯・剣・玉等を脱ぎ天帰された所」と伝承あり 延喜式内社 常陸國 信太郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)です
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長幡部神社(常陸太田市幡町)〈常陸国風土記 長幡部之社・延喜式 長幡部神社〉
長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 『常陸国風土記〈和銅6年(713年)〉』にも゛長幡部之社(ながはたへのやしろ)゛と記され 『延喜式927 AD.』には常陸國 久慈郡 長幡部神社(なかはたのへの かみのやしろ)と記載の由緒ある古社です 又 長幡とは 絁(きぬ)の名にして これを織り作るものを長幡部という と伝わります
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天志良波神社(常陸太田市白羽町)〈三代實録 天之白羽神・延喜式 天之志良波神社〉
天志良波神社(あめのしらはじんじゃ)は 『三代實録』に゛天之白羽神゛とあり 『延喜式』には 常陸國 久慈郡 天之志良波神社(あまのしらはの かみのやしろ)と所載があり 一説に延暦十四年(795)坂上田村磨将軍東征の時に創建とも云う古社です 祭神は衣服の神 麻の神とされる天白羽命(あめのしろはのみこと)です
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鹿嶋神社(常陸太田市春友町)〈延喜式内社 天速玉姫命神社の論社〉
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 創立年歴は不詳ですが 初めは 天速玉姫命を祀っていたと云い 又『新編常陸国誌』には 鎮座地の春友(はるとも)は 旧名を速玉(はやたま)と云ったと記されていて このことから延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社とされています
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泉神社(日立市水木町)〈三代實録 天之速玉神・延喜式 天速玉姫命神社〉
泉神社(いずみじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』に「密筑里(みつきのさと)の清浄(いずみ)大井(おほゐ)と謂(いう)夏は冷たく 冬は温かく 湧流(わきなが)れて川となる」と記されます 又『三代實録』天之速玉神・『延喜式』常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です
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靜神社(那珂市静)〈常陸二ノ宮 延喜式内名神大社〉
静神社(しずじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』には 初めて織物(綾織 しずおり)を織った「静織の里(しどりのさと)」と呼ばれたと伝えられ 『三代實録(901年)』に゛静神゛として 神位 從五位上を授かったと記載のある 延喜式内社 常陸國 久慈郡 靜神社 名神大(しつの かみのやしろ)であるとされます
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鹿島神宮 跡宮(鹿嶋市神野)
鹿島神宮(かしまじんぐう)跡宮(あとのみや)は 鹿島の大神が初めて天降(あまくだ)り給いし所とされ 鹿島大神に仕える物忌(ものいみ)〈高い位の女性(巫女)祭主〉が傍らに居住していました 社伝には 天種子命〈神武天皇の御世〉又は国摩大鹿島命〈第11代垂仁天皇〉により宮柱を建てたとあり 鹿島神宮と同じく2000年以上の古い歴史を持ちます
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息栖神社(神栖市息栖)
息栖神社(いきすじんじゃ)は 鹿島神宮・香取神宮と並び称される東国三社の一つとして 古くから信仰を集める神社です 創祀は遠く 神功皇后の御代と伝えられ 六国史『日本三代実録』〈延喜元年(901年)成立〉に「於岐都説神」と記されているのが当社とされています
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石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉
石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります
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常陸國 式内社 28座(大7座・小21座)について
常陸国(ひたちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 常陸国には 28座(大7座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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下総國 式内社 11座(大1座・小10座)について
下緫国(しもふさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下緫国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉
鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています
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八溝嶺神社(八溝山)
八溝嶺神社は ・栃木・福島との県境にそびえ・茨城県内の最高峰(1,022m)を誇る「八溝山(Yamizosan)」の山頂に鎮座しています その歴史は古く 第12代景行天皇40年 日本武尊が東征軍を率い 当山の賊を打ち払い ここにおいて二神を祀られたと伝えられています 又 大同2年(807年)には 弘法大使が神殿を修営し 霊場とした際に山頂に立ち見渡すと 谷が8つに分れ 八方に湧水が流れ落ちる様を見て「八溝の嶺」と名づけられたと伝わります
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近津神社(上野宮)
上野宮近津神社(うえのみや ちかつじんじゃ)は 社伝によれば 慶雲4年(707年)に 池田鏡山城主「藤原富得」が勧請して 神鏡 霊剣 金鈴を奉納されたと伝わります 坂上田村麻呂(758~811)が 八溝山の岩竹丸討伐の際は 當社に参籠したとも伝わる由緒ある古社です
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近津神社(町付)
町付近津神社は 大子町にある 3つの近津神社の「中之宮」にあたります 上野宮の近津神社周辺が稲村という地名でしたので「稲村三社(inamura sansha)」とも云われていて その総称として「近津三社(Chikatsu Sansha)」とも呼ばれています 水戸藩(徳川御三家)の初代藩主が石鳥居を奉納するなど 篤く崇敬されている神社です
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近津神社(大子町下野宮)〈陸奥国一之宮 参考論社〉
下野宮近津神社は 奥久慈大子地方が陸奥國依上郷であった頃 久慈川沿いの三社〔〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下野宮近津神社(当社)〕を゛近津三社゛と総称し〈上宮・中宮〉の都々古別神社は 陸奥国一宮で 当社〈下宮〉は「石都々古別神社」陸奥国一宮と主張します 又 式内社 常陸國 稲村神社とする説あり
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酒列磯前神社(ひたちなか市磯崎町)〈延喜式内社 名神大社〉
酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は 御祭神は 遠い海の彼方「常世の国」から「宝船」に乗って降臨された「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です 「神秘の参道」があり これを抜けると 境内に宝くじの高額当選者が出る続ける「幸運の亀」が坐し 参拝者はあとを絶ちません あなたにもきっと幸運が待っています