茨城県

鹿島神宮 跡宮(鹿嶋市神野)

鹿島神宮(かしまじんぐう)跡宮(あとのみや)は 鹿島の大神が初めて天降(あまくだ)り給いし所とされ 鹿島大神に仕える物忌(ものいみ)〈高い位の女性(巫女)祭主〉が傍らに居住していました 社伝には 天種子命〈神武天皇の御世〉又は国摩大鹿島命〈第11代垂仁天皇〉により宮柱を建てたとあり 鹿島神宮と同じく2000年以上の古い歴史を持ちます

息栖神社(神栖市息栖)

息栖神社(いきすじんじゃ)は 鹿島神宮・香取神宮と並び称される東国三社の一つとして 古くから信仰を集める神社です 創祀は遠く 神功皇后の御代と伝えられ 六国史『日本三代実録』〈延喜元年(901年)成立〉に「於岐都説神」と記されているのが当社とされています

石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉

石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります

常陸國 式内社 28座(大7座・小21座)について

常陸国(ひたちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 常陸国には 28座(大7座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

下総國 式内社 11座(大1座・小10座)について

下緫国(しもふさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下緫国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉

鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています

八溝嶺神社(八溝山)

八溝嶺神社は ・栃木・福島との県境にそびえ・茨城県内の最高峰(1,022m)を誇る「八溝山(Yamizosan)」の山頂に鎮座しています その歴史は古く 第12代景行天皇40年 日本武尊が東征軍を率い 当山の賊を打ち払い ここにおいて二神を祀られたと伝えられています 又 大同2年(807年)には 弘法大使が神殿を修営し 霊場とした際に山頂に立ち見渡すと 谷が8つに分れ 八方に湧水が流れ落ちる様を見て「八溝の嶺」と名づけられたと伝わります

近津神社(上野宮)

上野宮近津神社(うえのみや ちかつじんじゃ)は 社伝によれば 慶雲4年(707年)に 池田鏡山城主「藤原富得」が勧請して 神鏡 霊剣 金鈴を奉納されたと伝わります 坂上田村麻呂(758~811)が 八溝山の岩竹丸討伐の際は 當社に参籠したとも伝わる由緒ある古社です

近津神社(町付)

町付近津神社は 大子町にある 3つの近津神社の「中之宮」にあたります 上野宮の近津神社周辺が稲村という地名でしたので「稲村三社(inamura sansha)」とも云われていて その総称として「近津三社(Chikatsu Sansha)」とも呼ばれています 水戸藩(徳川御三家)の初代藩主が石鳥居を奉納するなど 篤く崇敬されている神社です

近津神社(大子町下野宮)〈陸奥国一之宮 参考論社〉

下野宮近津神社は 奥久慈大子地方が陸奥國依上郷であった頃 久慈川沿いの三社〔〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下野宮近津神社(当社)〕を゛近津三社゛と総称し〈上宮・中宮〉の都々古別神社は 陸奥国一宮で 当社〈下宮〉は「石都々古別神社」陸奥国一宮と主張します 又 式内社 常陸國 稲村神社とする説あり

酒列磯前神社(ひたちなか市磯崎町)〈延喜式内社 名神大社〉

酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は 御祭神は 遠い海の彼方「常世の国」から「宝船」に乗って降臨された「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です 「神秘の参道」があり これを抜けると 境内に宝くじの高額当選者が出る続ける「幸運の亀」が坐し 参拝者はあとを絶ちません あなたにもきっと幸運が待っています

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