延喜式神名帳

東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東海道」に鎮座する(731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679)神社の一覧表です

畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「畿内」に鎮座する(658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427)神社の一覧表です

京中に鎮座する 3座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂された 当時の官社の一覧表です このページには 「京中」に鎮座する(3座…大(預月次新嘗)3(うち預相嘗2))神社の一覧表です 現在の論社を掲載しています

宮中に鎮座せらる式内社 36座『延喜式神名帳』の所載一覧  

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「宮中」に鎮座する(36座…大(預月次新嘗)30・小6)神社の一覧表です

八神殿(宮中 神殿に鎮座)

八神殿(hasshin den)は 「天皇守護の神」と言われる「八神」を祀り 古代日本において 国家祭祀の中枢として「宮中神祇官 西院」に祀られて  神祇官が 祭祀を司ってきた神殿です 
神祇官西院の西北に八神殿として 八社南北に東面して並んでいたと伝わります 
現在は 宮中三殿の「神殿」において 祭祀は 継承していると云われています 

白山比咩神社(白山市三宮町)【後編】

白山比咩神社(白山市三宮町)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされています 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」で 境内には「白山奥宮 遥拝所」があり ここからお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 奥宮が鎮座するのは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つに数えられる白山(haku san)標高2,702 mです 神体山として崇められて その山頂に奥宮は鎮座します

白山比咩神社(白山市三宮町)【前編】

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされ 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」 境内にある「白山奥宮 遥拝所」からお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 神体山として崇められる 白山(haku san)標高2,702 mは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つで その山頂に奥宮は鎮座します

八本杉(雲南市木次町)Eight Cedar Trees

八本杉(はちほんすぎ)は 神代より「しるしの杉なり」八岐大蛇(yamata no orochi)の「8つの角」を埋めた所なりと伝わります 『出雲国風土記』に記されている「樋社(hi no) yashiro」の旧鎮座地とされています

斐伊神社(雲南市木次町)

斐伊神社(ひいじんじゃ)は 「肥(hi)の河上」に鎮座する社とされています 斐伊神社(hii shrine)の古史伝の記載では 武藏國一之宮「大宮氷川神社」(さいたま市大宮)は 孝昭天皇5年に分霊奉遷したものとしています これによれば 東京都・埼玉県に数多く分布する氷川神社(hikawa shrine)の発祥の元宮となります

宇能遲神社(雲南市加茂町)

宇能遲神社(うのちじんじゃ)は 『出雲國風土記』屋裏郷(yauchi no sato)の伝承「古老が伝えて言うには「所造天下大神(amenoshita tsukurashishi okami)=大国主命」が 笶(ya)を 殖(ta)て 令(shi)めなさった所であります だから 矢内(yauchi)といいます」に通じる「矢聲神事(yagoe no shinji)」を今に伝えます

飯石神社(雲南市三刀屋町多久和)

飯石神社(いいしじんじゃ)(多久和)は 「伊毘志都弊命(iishitsube no mikoto)」の天降られた盤石を御神体としています その「磐座(iwa kura)」は荒垣で囲まれて拝殿の奥に坐ます 直接神体を拝むことができ 磐境 磐座という古代の聖地形態を伝えています 境内社の託和神社(たくわじんじゃ)は 吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀ります

鹽冶神社(出雲市上塩冶町)

鹽冶神社(えんやじんじゃ)は 「大國主命(okuninushi no mikoto)」の御孫神「鹽冶毘古命(yamuya hiko no mikoto)」を祀ります 江戸時代に流行した『仮名手本忠臣蔵』の主役「塩谷判官(enya hangan)」はこの子孫になります

洲崎神社(館山市洲崎)〈延喜式内 大社・安房國一之宮〉

洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります

熊野神社(馬木町)

熊野神社(くまのじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載の「久奈爲神社(kunai no kamino yashiro)」論社の可能性があります

久奈子神社(出雲市古志町)

久奈子神社(くなこじんじゃ)は 眼下に広がる「出雲の平野」を一望のもと見渡せる「栗栖山(久留須山)」の山腹に坐ます

美談神社(出雲市美談町)の境内社について

美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます

美談神社(出雲市美談町)

美談神社(みたみじんじゃ)は かつて『出雲國風土記』に御祭神「和加布都奴志命(Waka futsunushi no mikoto)」が祀られていた「彌太彌(Mitami no)社」として所載されていました 「彌太彌(Mitami no)社」は全部で13社あったと記されています 現在の美談神社は その13社全てと 他の所載の論社と合わせて 風土記所載の論社が「16社」も境内に合祀されて坐ます

玖潭神社(出雲市久多見町)〈出雲國風土記・延喜式神名帳の所載社〉

玖潭神社(くたみじんじゃ)は 「所造天下大神命=大穴牟遅大神(onamuji no okami)」を祀ります 『出雲國風土記』には「玖潭(kutami)」の地名の呼称由来として 御祭神が「にわか雨が くたみ(弱り)やまむ」と云われたからと伝承として記されています

佐太神社(松江市)【後編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.