飽波神社(藤枝市藤枝)

飽波神社(あくなみじんじゃ)は 社伝によれば 第16代 仁徳天皇6年(318)10月の創建と伝わり 志太平野最古の神社で 飽波郷一円の鎮守とされています かつて岡出山の山裾の小石の周りから清水が湧き出て諸病に霊験があったと伝えられて 川関大明神と称せられています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

飽波神社(Akunami Shrine)
(あくなみじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

川関大明神かわせぎだいみょうじん
かあせぎさん・あくなみさん

【鎮座地 (Location) 

静岡県藤枝市藤枝5-15-36

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
《配》瀬織津姫命(Seoritsuhime no mikoto)
   蛭子命(Hiruko no mikoto)
   天忍穂耳命(Amano oshihomimi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

第16代 仁徳天皇6年(318)10月の創建と伝

由緒

  第十六代仁徳天皇六年(西暦三一八年)戊(つちのえ)寅(とら)十月、飽波郷(旧藤枝一帯)の鎮護の神として祀られた志太平野最古の社で、延喜式神名帳にも駿河國益頭群飽波神社の名があります。

  当時、境内の山裾の小石の周りから清らかな水がこんこんと湧き出ており、諸病に霊験があったと伝えられ、人々に命の水を恵み、近くを流れる瀬戸川の水害からも護ってくださることから、湧波(わくなみ)神社 川関(かわせぎ)大明神(だいみょうじん)とも称され崇敬を集めてきました。

  境内地、社領とも広かったと推測されますが、戦国時代、永禄・元亀の戦乱時、武田勢が乱入し、社殿・旧記録などを焼失。時の神主 曽根彦八家定が御神体を守護して難を逃れ、兵乱が治まると山下に小祠を建てお祀りし、その後江戸時代に入り正徳五年、現在の地に社殿が再建されたと伝えられています。

  江戸時代社領除地高三石四斗。 明治六年三月 郷社に列せられ、明治四十年六月には幣帛供進社に指定されました。

  近年では“あくなみさん”と呼ばれ、藤枝のみならず多くの人々に親しまれています。また三年に一度の『藤枝大祭り』では、長唄による地踊りが奉納され、大変な賑わいをみせます。

飽波神社公式HPより
https://akunami.amebaownd.com/pages/3362169/profile

【由  (History)】

延喜式内(えんぎしきない)

飽波神社(あくなみじんじゃ) (川関大明神 かわせぎだいみょうじん)

〈御祭神〉少彦名命(すくなひこなのみこと)

相殿(あいどの)
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)

蛭 子 命(ひるこのみこと)

天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)

〈由 緒〉
当神社は古墳時代、第十六代仁徳天皇(にんとくてんのう)六年十 月(西暦三一八年)飽波郷(旧 藤枝一円)の鎮護の神としてお祀りされた志太平野で最も 古い伝統のある神社です。

 御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と申し上げて、大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に日本の国を開き産業を進め、医薬の術を教え、人々にさまざまな智恵をお授け下さるなど、幸福をもたらす神様です。

 昔、この山裾の小石のまわりから清らかな水が滾々(こんこん)と湧き出て諸病の霊験があったと伝えられ人々に命の水を恵み、また瀬戸川の水害から護って下さることから、川関大明神(かわせぎだいみょうじん)とたたえられ、沸波神社(わくなみじんじゃ)とも称せられました。

〈例 祭〉 十月第一日曜日の前日の土曜日 例祭
       十月第一日曜日 神輿渡御(武者行列)

・大 祭 三年目毎 十四台の屋台で賑い、日本一の長唄による地踊りが見どころです。

延喜式内とは  平安時代初期(延喜年間 西暦九〇一年~ 九二二年)に制定された延喜式神名帳に記載されている格式の高い神社〈全国3132社〉の事です。

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

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金山神社《主》金山彦命

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七ツ森神社《主》熊野社,諏訪社,泉社,進雄社,藤森社,作神社,七ツ森社,秋葉社

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湧玉の庭

(わくたま)の庭(にわ)

作者 杉付孝

飽波(アクナミ)神社の(飽波 アクナミ)は昔 湧波と呼ばれ、比の山すその石のまわりから霊水がこんこんと湧き出で諸病や災難から人々を護って下さったことから名づけられたと伝えられます。
 この(湧霊の庭)も同様の意味をもって居ます。丸石はタマ石とも呼ぼれますが、このタマは(玉)で有り(魂)で有り(霊)でありそれ故丸石はタマシイの入れものであるといわれます。
丸石に願ひをこめて祈願して下さい。

昭和586月吉日 飽波神社

現地案内板より

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)駿河国 22座(大1座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)益頭郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 飽波神社
[ふ り が な ]あくはの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Akuha no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

飽波神社大祭の奉納踊りについて

飽波神社の例祭は毎年行なわれますが、大祭となるのは、寅(とら)・巳(み=へび)・申(さる)・亥(い=いのしし)の年のみ。現在ではこの飽波神社大祭を『藤枝大祭』と呼んでいます。  三層高欄型山車の時代には、山車の三層高欄の部分に飾る人形を競いあい、その人形に合わせて手踊りが披露されていました。現在では長唄による地踊り披露というスタイルに変わっています。長唄・三味線・囃子方というフルメンバーによる演奏で、地踊り(手踊り)を披露しています。この長唄による手踊りという祭礼形態が継承されているのも、現在では旧東海道沿いの藤枝・島田・掛川のみ。まさに日本一の長唄の地踊りです。
『藤枝大祭』には旧藤枝宿の9町と隣接5町の、合わせて14町から屋台が曳き廻され、最終日には、連合会本部前(千歳公園)で各屋台の屋台回しと地踊り披露があります。(静岡浜松伊豆情報局HPより)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

藤枝駅から 県道225号と東海道経由で北東に約3km 車10分程度
藤枝市役所傍です

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道路沿いに社号標「飽波神社」が建っていて 案内看板には「延喜式内 飽波神社 志太平野最古の」と掲示されています
飽波神社(Akunami Shrine)に参着

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一の鳥居をくぐります

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広い駐車場があり 目の前には玉垣に囲まれた社頭に二の鳥居が建ち 社務所や社殿が建ち その背後には こんもりとした小山と鬱蒼と茂る鎮守の杜があります

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一礼をして 社頭の鳥居をくぐると すぐ左手には手水舎があり 清めます 右手には社務所が構えます

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境内地は 社殿の前に10段程の階段があり その下に狛犬が構えています

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階段を上がり 拝殿にすすみます 

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拝殿扁額には「延喜式内 飽波神社」と記され 絵馬が掲げられていて 提灯や賽銭箱には御神紋「波巴」

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の向かって左手から 境内社への階段ががあり 裏手の山へと上がれます 拝殿の奥は立入が出来ず 境内社へ向かう階段の途中から 本殿が僅かに拝せます

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境内社にお詣りをして 拝殿の横に戻ると 御祈祷所の受付から拝殿へと繋がる渡り廊下があることに気付きました 階段を下りて 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

少彦名神を祀り あくなみと称すると記されています

【意訳】

飽波(アクナミ)神社

駿風 益頭郡 飽波神社 大鷦鷯天皇(おおさざきてんのう)6年戌寅10月 所祭 少彦名神なり 神貢八十二九三宇田
和抄 飽波 阿久奈美

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在は 津村〈現 飽波神社(藤枝市)〉と記しています

【意訳】

飽波神社

飽波は 阿久奈美と訓ずべし
和名抄 郷名部 飽波 仮字上の如し 但し 在に上下

〇祭神 少彦名命 風土記

津村に在す 今川関神と称す
惣国風土記五十七残映伝云 駿河国 益頭郡 飽波神社 大鷦鷯天皇(おおさざきてんのう)6年戌寅10月 所祭 少彦名神なり 神貢八十二九三宇田

神位 国内神名帳云 正4位下 飽波明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

所在について 往古は飽波山の下にあり 中古に山上に移した と記しています

【意訳】

飽波(アクナミノ)神社

祭神 少彦名神
今按〈今考えるに〉
駿河国式社備考に 近世 藤枝若王子郡等の地おしなべて 飽波の一郷上下の地なりけん
今 藤枝驛本町に湧泉あり その下流 清水川と云い ここ津村にも湧泉あり泉森と云あり
想うに郷名は 泉の湧き出るに依れるかと云うによりて 考えるに祭神 少彦名神 相殿に瀬織津比咩命 蛭子命 天之忍穂耳命と云えるは 総國風土記の説なれば容易く信じがたきを 相殿 瀬織津比咩命は この湧泉にも由あり 川関明神と云うにもかないて聞こえれば 瀬織津比咩命を祭れるならん歟 されど今姑く旧説に従う

祭日 10月19日
社格 郷社
所在 津上村飽波山(志太郡藤枝町大字津村)
今按〈今考えるに〉
往古は 山下に鎮座ありしを 中古 山上に移さる
正徳5年の棟札に頭郡 頭庄 飽波神社 川関明神と記せれば
この時に 両社相殿となれるか詳らかならず 一説に志太郡 時が谷村の蔵王権現社辺りに鳥居が崎など云う字もあれば これならんと云えど信じがたし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

所在について 〈現 飽波神社(藤枝市)〉を式内社とするのが学者の定説だが ある説に「高草山の山頂」とする説があり これが道理に適っていると記しています 

【意訳】

静岡縣 駿河國 志太郡 藤枝町 大字 津 字 岡出山

郷社 飽波(アクナミノ)神社

祭神 少昆古那命(スクナヒコナノミコト)
相殿 瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)
   蛭子命(ヒルコノミコト)
   天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)

旧と川関明神とも称す 創立年代詳らかならず
但し 当社は延喜式所載の飽波神社なりといふ 飽波神社は延喜の制 小社に列せられ 諸郡神階帳に 正4位上 飽波神社 津群坐 と見えたり
元と山麗に鎮座あらせられしが 中古 今の地に奉遷せりと 正徳5年の棟札を蔵す 云く「益頭郡 益頭荘 飽波神社 川関明神」と
社領は 往古 若干を有せしが 永禄 元亀の乱に失いたりと伝わる 然れども 幕府時代は除地高三石四斗たりき 明治6年3月 郷社に列す

社殿は 本殿 拝殿を備え 境内は672坪あり 境内地付近に神木と称する松樹あり 四擁許ありと 

当社が式の飽波神社なることは 既に学者の定説の如くなるが ある説に 津群花澤村高草山法華寺の縁起に「式内 飽波神社は 当山上にあり 祭神 水分神なり」とあり 同寺の背後の山を高草山と称す 頭有度両郡に跨り ここ古の飽波山なるべしとの説も見えたる山なるが 絶頂平坦なる地あり 俗に権現平と称し 近世迄 小社ありしが 今は礎を存すと この地若し社地とする時は 神名帳順次にも叶い
又 類聚国史に「孝徳天皇 大化3年丁未春 令に阿部大臣蒐蓴河國益頭郡 飽波山 鳥獣以 千級算之 神官負幣出 神饌歟為 穢汚列卒不聴之終告 阿部大臣 故止之 その夜有小狐入 阿部之夢贈兼金三百圓帰官奏之後永停 神山之云々」と見えたるにも よくかなえりと 地名辞書亦「高草山は飽波山なるべく 随って 飽波神社は 川関神社にあらざるべし」と云えり 後考を俟つ
尚 当社を飽波神社 及び 川関神社の両社とするあり その間甚だ曖昧たり

境内社 稲荷神社 熊野神社 諏訪神社 泉神社 藤森神社

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

飽波神社(Akunami Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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