田笛神社(豊後高田市)

田笛神社(たぶえじんじゃ)は 古老の傳へ云うに「大御神〈八幡大神〉が 御修行の昔 この所で 田笛を吹き 田飯を得ました それで田布江(田笛)と云うなり」と伝わり 宇佐神宮  行幸会(ぎょうこうえ)の 境外8摂社とされていて 行幸会の巡幸地の一つとしての由緒を持ちます

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 田笛神社(tabue shrine)
 (たぶえじんじゃ)

【鎮座地 (location) 】

大分県豊後高田市界398

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》八幡大神(hachiman okami)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・宇佐神宮行幸会 境外8摂社

【創 建 (Beginning of history)】

創建は不詳

【由 緒 (history)】

天平神護元年(765年)10月8日の八幡大神の神託
八幡大神が 御遊化(修行)の昔 高知保(豐後・日向・肥後國の平野)から豊前と豊後の国境(現 田笛)に到着した折 この地で田笛を吹き 田の飯(稲穂の収穫)をもたらされたと伝わります

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります


宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡

かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました

詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

宇佐駅から R213号経由 約2.8km 車8分程度

 田笛神社(tabue shrine)に到着

境内には 鳥居も境内域を区切る玉垣もありませんが 社頭に社号標「田笛神社」とありわかります

拝殿にすすみます 扁額には「田笛神社」とあります 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の裏手に廻ると 覆屋の中に流造の本殿が建ちます

再度本殿にて お祈りします

一礼して 境内を後にします

スポンサーリンク

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される伝承---------

【原文】
豐前國與豐後國乃中尓吾禮至着久號須田布江 云々
古老傳云 田笛也 大御神御修行之昔 於此所吹田笛 令得田飯之坐 故云尓也

意訳
「田布江(田笛)
 豊前国と豊後国の境 
 古老伝に傳へ云う 田笛なり
大御神 御修行の昔 この所で 田笛を吹き 田飯を得ました それで田布江(田笛)と云うなり」

宇佐神宮行幸会 境外8摂社とされていて 行幸会の巡幸地の一つとしての由緒を持ちます

田笛神社(tabue shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

宇佐神宮の記事もご覧ください

スポンサーリンク

「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-その他の神社
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.