大虫神社(与謝野町温江)〈『文徳天皇實録』大蟲神『延喜式』大虫神社〔名神大〕〉

大虫神社(おおむしじんじゃ)は 『文徳實録』大蟲神」・『延喜式』丹後國 與謝郡 大虫神社(名神大)(おほむしの かみのやしろ)と所載さます 旧鎮座地は池ケ成という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉に 大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれたが 室町時代初期頃に現在地に遷座と伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

大虫神社(Omushi shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府与謝郡与謝野町温江(あつえ)字虫本1821

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)

『与謝郡神社明細帳明治16年には大山咋命

《合祀》少童命(わたつみのみこと)
明治14年(1881)温江字湯の谷に鎮座 村社 阿知江神社合祀〉(延喜式内社の論社)

《合祀》大田命(おほたのみこと)
明治14年(1881)字床浦(とくら)に鎮座 無社格 床浦神社合祀

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

本社祭神大己貴命或曰大山咋命検古記文徳實録齊衡二年正月二十日載 丹波國大蟲神加從四位下之事 延喜式神名帳亦掲 名神大垂跡之古可以知 社殿 元在 大江山山腹池成 後遷之干今地 往昔 用明皇子 麻呂子親王 鬼賊也過此地拜社殿自作神像奉献之以祈 鬼賊調伏云従 是神威顕示垂迹近来拜客平加其多赫祘靈光 郷人長仰其恩頼云爾
明治二十八年七月

拝殿の扁額

゛意訳

当社の御祭神は、大己貴命、または大山咋命とも伝わる。

『古記』および『文徳実録』斉衡二年正月二十五日の条に、丹波国大蟲神社に従四位下の神階を授けられたことが見え、また『延喜式神名帳』にもその名を掲げられ、名神大社として古来より顕彰されてきたことが知られる。

社殿はもと大江山の山腹、池成に鎮まりまししが、後に今の地に遷座された。

往昔、用明天皇の皇子・麻呂子親王が当地を御通過の折、鬼賊の害をこうむり、社殿に参拝し、自ら神像を造りて奉献し、鬼賊調伏を祈願された。これより御神威あらたかに発現し、霊験著しく垂迹された。

近年に至るまで、参詣の人々いよいよ多く、その赫灼たる御神徳を仰ぎ、里人は長くその御加護に浴しているのである。

Please do not reproduce without prior permission.

由緒

創祀年代 約1560年前。

1 大虫神社の由緒

 当神社は六國史存社にして 文徳実録に斎衝2年年正月25日加從四位下とあり。延喜の制名神大社に列せられる。
 当社は住昔大江山、池ケ成に鎮座ありしを中世(室町初期)現在地に遷座する。社地、旧跡、手洗の池等今猶その地に存している。
人皇三十一代用明天皇第三御子、磨子親王自ら神像を造り当社に納め鬼賊の調伏を祈り給う。当社は古代 阿知江郷の産土にして旧村桑飼村、与謝村、加悦町、三河内なり。古老の口碑には昔16ケ村の鎮守であったと言う。
明治20年ころまで、加悦町字後野(現在地より西方2粁余のところに一の鳥居、沓石があったが、当時同町にて取り除かれている。

2 清寧天皇の朝

 (或は人皇二十代安康天皇とあり)億計(仁賢天皇)弘計(顕宗天皇)の二皇子を当社に匿し奉りしが(大虫神社神主細目氏)播磨の国之供奉せりと言われている。
 從って大虫神社は、すでに成立しておりその成立には、かなり年代を遡ることができると考えられる。
 明治6年於豊岡県村社に列せられたが明治8年、本殿、拝殿等再建中、同10年失火により社殿神像、境内地に至るまで悉く鳥有に帰した。
 同14年再建に着手、同年8月落成。同時に延喜式内、村社、阿知江神社、無格社、床浦神社を合祀する。
 明治40年神饌幣帛供進神社に指定され大正7年10月24日、昇格府社に列せられる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『京都府神社略記』昭11年に記される内容

【抜粋意訳】

與謝郡 府社 大虫神社 桑飼村大字溫江

祭神
 大己貴命(おほなむちのみこと)
 少童命(わたつみのみこと)
 大田命(おほたのみこと)

由緒

 創建時代は詳でないが、文德天皇 齊衡二年に從四位下を授けられ 延喜の制名神大社に列せられ、籠神社に次ぐ郡中の名社である。

境内神社 一社
例祭 四月二十一日

【原文参照】

京都府神職会 編『京都府神社略記』,京都府神職会本部,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1228340

京都府神職会 編『京都府神社略記』,京都府神職会本部,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1228340

『与謝郡誌』上,大正12年に記される内容

【抜粋意訳】

第弐編 禮祀 第壹章 神社 第三節 府社・郷社

一、府社 大虫神社

 桑飼村字溫江小字虫本鎭座、府社、祭神 大已貴命(一曰 大山昨命

由緒

 六國史現在社にして文德實錄 齋衡二年正月二十五日 加從四位下とあり(圖版参照)
延喜の制 名神大に列せられ大川、籠、小虫、大宮賣神社二座と共に臨時祭に預る(延喜式三 古事類苑四)
大日本神祇史に「延喜の制 天神地祇の名紳大社に列するもの三百五座 就中二百八十五座は定まりて名神祭に預れり 丹後大川、籠、大虫、小虫、大宮賣神社二座」と載す。

 往古は大江山の池ケ成に鎭座ありしを中世今の地に遷すといふ。尤も神祇志料には神社覈録、宮津藩神社調書、豊岡縣神社調書などを引きて「温江郷温江村温の谷にあリ」と爲せるが如何にや、田數帳 當社神田十四町七反二百三十六歩御免とあり。

 明治六年二月十日 豊岡縣より村社に列せられ,十四年八月再建 同四十一年四月十日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正七年十月二十四日昇格府社に列せらる。當社 安康の朝 履仲の皇孫 億計弘計二王 御避難の傳説あり、氏子六十五戸 崇敬者二千四百四十一戸。
 府社に昇格以後 毎年例祭、祈年祭、新嘗祭には京都府より神饌幣帛料を供進せられ其都度 知事代理として郡長を参向せしめらる。

 境内 床浦神社 阿知江神社あり 後者は延喜式所載の阿知江神社なりと云ふ。

【原文参照】

京都府与謝郡 編『与謝郡誌』上,京都府与謝郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978724

『与謝郡誌』下,大正12年に記される御祭神「二王子御潜在趾」について

億計(仁賢天皇)弘計(顕宗天皇)の二皇子が 潜在した場所として゛與謝郡温江村大虫神社の社家なり゛と記しています

【抜粋意訳】

『与謝郡誌』二王子御潜在趾

 安康天皇の朝丙申 天皇崩し給ふや其の十二月、履仲天皇の皇子、市辺押磐尊雄略天皇の爲めに「蚊屋野」に害せられ給ふや其の臣、日下部使臣、億計、弘計二皇孫を奉じて與謝郡に難を避け給ひ、更に播州赤石郡縮見の屯倉に遁れ給ひしとて、與謝村字與謝小字峠の上王子宮は億計尊、小字北の下王子宮は弘計尊御潜在の地なりといふ。
尤も之れには異説多く『丹後舊事記』『丹後細見録』『丹哥府志』『日本書記』通釈等の諸書には、三重谷に在りし三重長者、五十日真黒人の家に御潜匿の趣を載せ、丹波直見谷の天神社の記録には、與謝郡温江村大虫神社の社家なりとし、『丹後考』には須津村の宮ヶ谷真鈴の宮なりとし、養老村字岩ヶ鼻『日吉神社々記』には、外垣の木積神社なりとし、『府中村郷土誌』及び麓神社の明細帳には同村字難波野の麓神社は其の遺趾にて祭神又二王子を祀るとなし、其他本庄村の浦島にも栗田村の久理陀神社にも傳説あり、
尚ほ加佐都大内郷にも皇子御潜在の爲めに大内の名起れりと爲す、之等の真偽は容易に断ずべからざれども 今は傳説の存することのみを掲ぐるに止めんとす。

【原文参照】

京都府与謝郡 編『与謝郡誌』下,京都府与謝郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978723

京都府与謝郡 編『与謝郡誌』下,京都府与謝郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978723

スポンサーリンク

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

大虫神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

大虫神社 本殿 幣殿

Please do not reproduce without prior permission.

大虫神社 拝殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈手前の境内社〉若宮神社《主》不詳
・〈奥手の境内社〉現皇稲荷神社《主》倉稲魂命

Please do not reproduce without prior permission.

・〈拝殿に一対の明鏡をさげた狛犬〉狛犬の彫刻

Please do not reproduce without prior permission.

犬鏡大明神

 大虫神社を犬鏡大明神と言い伝えられているのは、推古天皇三十三年磨子親王勅を奉じて大江山の鬼賊を征伐に行かれたときに、丹波の国生野の里に来られたとき八句の老翁が皇子を迎えて白犬を献上したところが、この犬の頭に明鏡を載いているのでこの犬を教導にして雲原村に来られ、皇子は自ら薬師像七体を彫刻された。今この地を仏谷と言っており、皇子は能心鬼賊を誅伐すること、出来れば、丹波の国において、七寺を建て、七体の尊像を寺に安置せんと言われて大江山にむかわれた。大江山の鬼賊妖街をもっていると言うが、この犬の明鏡に照されて、鬼賊はその妖街を発することができずに遂に悉く殺されたと言うことである。
この後皇子は祈誓のとおり七寺を建立された。このうち成願寺と言う寺があるがその一寺と言われている。そこで白犬が明鏡を戴き皇子の道案内をして鬼賊を征伐べきたことはこの白犬のおかげとして、大虫神社に葬ったことから今も拝殿前に一対の明鏡をさげた狛犬がある。
このような言い伝えから、一つには犬鏡大明神と言われ崇拝されている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

・拝殿前の狛犬〈山犬の狛犬〉

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・磐座か?

Please do not reproduce without prior permission.

・社務所

Please do not reproduce without prior permission.

・境内入り口 鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

・参道の入口 鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈旧鎮座地〉大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉

かつて大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていたが 室町時代初期の頃に現在地に遷座と伝わります

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

丹後國 大蟲神に神位が加経られています

【抜粋意訳】

卷七 齊衡二年(八五五)正月丙午廿五

○丙午

伊勢國 阿耶賀神
丹後國 大蟲神 從四位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・
・・・〈中略〉
・・・

 出雲神社一座 小川月神社一座 麻気神社一座 櫛石窓神社二座〈已上丹波国〉

 大川神社一座 篭神社一座 大虫神社一座 小虫神社一座 大宮神社二座〈已上丹後国〉

・・・
・・・〈中略〉
・・・

 住吉神社一座 兵主神社一座 月読神社一座 中津神社一座 天手長男神社一座 天手長比売神社一座〈已上壱岐嶋〉
 和多都美神社一座 和多都美御子神社一座 高御魂神社一座 和多都美神社一座 太祝詞神社一座 住吉神社一座〈已上對馬嶋〉・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

大虫神社(与謝野町温江)は 明治14年(1881)延喜式内社の論社であった村社 阿知江神社合祀して 二つの式内社の論社となっています

①丹後國 與謝郡 阿知江神
明治14年(1881)村社 阿知江神社(延喜式内社の論社)を合祀

丹後國 與謝郡 大虫神社〔名神大〕

①丹後國 與謝郡 阿知江神社明治14年(1881)村社 阿知江神社(延喜式内社の論社)を合祀

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)與謝郡 20座(大3座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 阿知江神社
[ふ り が な ](あちえの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Achie no kaminoyashiro

丹後國 與謝郡 大虫神社〔名神大〕

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)與謝郡 20座(大3座・小17座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 大虫神社〔名神大〕
[ふ り が な ]おほむしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohomushi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

明治14年(1881)大虫神社に合祀された 村社 阿知江神社(延喜式内社の論社)について

阿知江神社は 明治14年(1881)大虫神社に合祀されるまでは 温江字湯の谷に鎮座していたと云い

又 合祀先である大虫神社の現社地が 阿知江神社本来の鎮座地であった可能性を示唆する説もあり 大虫と阿知江の両式内社の元々の鎮座地や両者の関係に検討が必要とも云われています

延喜式内社 丹後國 與謝郡 阿知江神社(あちえの かみのやしろ)の論社について

・大虫神社(与謝野町温江)
〈阿知江神社の合祀先〉

・木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)

・加悦天満宮(与謝野町加悦)

丹後國(たんごのくに) 與謝郡にある延喜式内社「大虫神社と小虫神社」について

現在 大虫神社(おおむしじんじゃ)と小虫神社(こむしじんじゃ)は 京都府与謝郡与謝野町温江(あつえ)に鎮座します
両社は 往古ともに大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉に鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていたと云う

大虫、小虫の伝説

 大虫神社祭神 大己貴命
 小虫神社祭神、少彦名命(小虫神社は大虫神社の西北1.5粁の地に鎮座されている)が、大虫神社と同様、大江山池ケ成に鎮座され、中世現在地に遷座されやはり延喜式名神大社に列せられている社である。
 ところで、この大虫、小虫神社の歴史の多くは伝承多く、その始まりは昔、大国主命が沼河姫と加悦に住んでいたころ、槌鬼と言う病いが姫にとりつき、たちまち病いにかかられて大国主命はあまりになげかれたので少彦名命7色に息をはいて、この槌鬼の病いを追いだされたので姫の病いを癒されたがその息がかかったため人や植物が病にかかって苦しむようになり、少彦名命は「私は小虫と名のって貴男の体内に入り病のもととなる虫を除きましょう。」と言われ、大国主命は「私は人の体の外の病を治そう」と言われ、鏡を二面つくられ一つを少彦名命が一つは大国主命が持たれた。ここで大虫、小虫と名のられたと言うことである。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

延喜式内社 丹後國 與謝郡 大虫神社(貞・名神大)(おほむしの かみのやしろ)について

〈旧鎮座地〉大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉
  かつて大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていたが 室町時代初期の頃に現在地に遷座と伝わります

・大虫神社(与謝野町温江)

延喜式内社 丹後國 與謝郡 小虫神社(貞・名神大)(こむしの かみのやしろ)について

〈旧鎮座地〉大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉
  かつて大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていたが 室町時代初期の頃に現在地に遷座と伝わる

・小虫神社(与謝野町温江)

越前國(えちぜんのくに) 丹生郡にある延喜式内社「大虫神社と小虫神社」について

越前國 丹生郡(現在の福井県越前市)にも延喜式内社「大虫神社と小虫神社」があります

現在 福井県越前市大虫(おおむし)町に鎮座します

大虫神社

崇神天皇7年丹生岳(現在の鬼ヶ嶽)の峯に鎮座された。式内名神大社にして、土地開闢の神で、あらせられる。

垂仁天皇26年国中に蝗虫(イナゴ)がたくさん増えて、五穀作物を食いあらした。人々は大変困り国民挙りて神社に祈願すると、不思議にも蝗虫(イナゴ)はことごとく退滅し、五穀豊作となる。以来人々はこの神社を五穀豊穣の神として信仰するようになった。

この事が朝廷にも達し、いたくその神徳に感心されて、今の宮地に遷して虫除守護の神威を仰ぎて、大虫神社を称え奉った。

文武天皇、慶雲2年8月、名神大の官社とされた

福井県神社庁HPより抜粋
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160805_112850

小虫神社

上代より丹生嶽に大虫神社と共に鎮座
天正十一年(1583)大虫神社 相殿に合祀

延喜式内社 越前國 丹生郡 大虫神社(貞・名神大)(おほむしの かみのやしろ)について

〈鬼ケ岳山頂 大虫神宮 社跡〉大虫神社 奥宮(越前市大虫町 鬼ケ岳山頂)

・大虫神社(越前市大虫町)

延喜式内社 越前國 丹生郡 小虫神社(をむしの かみのやしろ)について

〈大虫神社相殿に合祀〉小虫神社(越前市大虫町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道宮豊線 与謝野駅からR176 府道608号経由で南方向へ約7.6km 車での所要時間は15~16分程度

府道608号の温江(あつえ)の交差点を「丹後天橋立大江山国定公園 池ケ成公園」の方向 東方向へ

Please do not reproduce without prior permission.

与謝野町温江(あつえ)地区からの登山道の入口辺り 「池ヶ成公園まで6.0km」と書かれた標識があります その横に「延喜式内 名神大 大虫神社」の社号標が立っています

「池ヶ成(いけがなる)」は かつて大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていたが 室町時代初期の頃に現在地に遷座と伝わる 旧鎮座地で 正面に見えている大江山の中腹にあります

Please do not reproduce without prior permission.

そこから400m程進むと「与謝野礼巌追念碑」があります

Please do not reproduce without prior permission.

ここに参道入口の鳥居が建ちます

1939年(昭和14年)に氏子等の寄付により再建された社号碑には「府社 大虫神社」と刻字されています

Please do not reproduce without prior permission.

境内の前には駐車スペースが確保されています

Please do not reproduce without prior permission.

この駐車スペースから 石段を上がると 石造りの両部鳥居が建っています

大虫神社(与謝野町温江)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内に進みます
鳥居の扁額には「大虫神社」と刻字されています

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居をくぐると 左手には 社務所があります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の建つ境内地は さらに上の壇にあり 再び石段を上がり
拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

石段の上 玉垣内に狛犬が構えています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

この狛犬は 山犬〈おおかみ〉の様相です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

地面に近いところに座す狛犬は 可愛らしくも やはり山犬〈おおかみ〉の様相です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

最初は

丹後國の同じ名神大社 大川神社(舞鶴市大川)が゛山犬信仰゛でしたので こちらも山犬信仰であろうと想っていました

丹後國 加佐郡 大川神社(名神大)(おほかはの かみのやしろ)

・大川神社(舞鶴市大川)の記事はこちらを参照

しかし とうやら それだけではなく 大虫神社を犬鏡大明神と言い伝えられている訳によるらしい 

麻呂子親王が勅命を受けて 大江山の鬼賊を征伐するに際し 明鏡を戴いた白犬が親王を嚮導したので、その白犬の霊を「犬鏡大明神」と崇めるようになったとの伝え 詳しくは 本ページの狛犬の説明文に記してあります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿に一対の明鏡をさげた狛犬の彫刻があります

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿は 拝殿の奥に幣殿 本殿と続いています

Please do not reproduce without prior permission.

ここから振り返ると 一段下の境内に社務所があります

Please do not reproduce without prior permission.

やはり つい気になってしまう「山犬」の狛犬

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 境内を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

参道入口の鳥居を抜けます

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 阿知江神社について 所在は゛温江村に在す゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〈阿知江神社の合祀先〉〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江神社

阿知江は假字也、和名鈔、〔郷名部〕謁叡、

〇祭神詳ならず

〇温江村に在す〔舊事記〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

式内社 大虫神社〔名神大〕について 所在は゛温江村に在す゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〉と記しています

【抜粋意訳】

大虫神社 名神大

大虫は於保牟志と訓べし

○祭神詳ならず

温江村に在す〔舊事記〕

〇式三、〔臨時祭〕名神二百八十五座、〔中略〕丹後國 大虫神社一座、

類社
 越前國 丹生郡 大虫神社の條見合すべし

神位
 文徳實録、齊衡二年正月丙午、丹後國 大虫神 加に從四位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 阿知江神社について 所在は゛今 温江郷温江村字湯谷に在り、゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〈阿知江神社の合祀先〉〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江(アチエノ)神社

今 温江郷温江村字湯谷に在り、〔神社覈録、宮津藩神社調書、豐岡縣神社取調帳

式内社 大虫神社〔名神大〕について 所在は゛ 温江虫本村にあり、゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〉と記しています

【抜粋意訳】

大虫神社、

 温江虫本村にあり、〔神社道志流倍、丹後式内神社考〕

文德天皇 齊衡二年正月丙午、大虫神に從四位下を加へ、〔文徳實録〕

醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、〔延喜式〕

伏見天皇 正應元年、神田凡十四町七段百二十六步ありき、〔丹後王數帳〕

凡 毎年九月廿一日祭を行ふ、〔明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 阿知江神社について 所在は゛温江村〔字温ノ谷〕゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〈阿知江神社の合祀先〉〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江(アチエノ)神社

祭神
祭日 九月二十八日
社格 村社

所在 温江村〔字温ノ谷〕

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 大虫神社〔名神大〕について 所在は゛温江村〔字虫本〕(與謝郡桑飼村大字溫江)゛〈現 大虫神社(与謝野町温江)〉と記しています

【抜粋意訳】

大虫神社 名神大

祭神
神位 文德天皇 齊衡二年正月丙午 丹後國大虫神加從四位下
祭日 十月三十日
社格 村社(府社)

所在 温江村〔字虫本〕(與謝郡桑飼村大字溫江)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

大虫神社(与謝野町温江) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

丹後国 式内社 65座(大7座・小58座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, , ,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.