能理刀神社(のりとじんじゃ)は 社伝によれば「神功皇后が新羅征伐の時 海上安全 戦捷祈願 行宮の古跡の社であり 延喜式神名帳に 能理刀社・・・亀卜所 占祈祷の神霊神をまつる古社とされています この権現山は 古神道の霊神山で 中世に至り 熊野系の修験道者山伏が 入山して修練した 亀卜所であったとされている 」又「文永11年(1274)元寇の時 三所大権現神に祈れば 荒神権現山の中腹より 神石三ツ飛出し来りて 異賊船を打砕き給ひて 浦合の村人を助け給うた神石」とあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
能理刀神社(Norito Shrine)
(のりとじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市上対馬町西泊字横道218
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宇麻志麻治命(Umashimaji no mikoto)
天児屋根命(Amenokoyane no mikoto)
雷大臣命(Ikatsuchioomi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
能理刀神社 由緒記
鎮座地 対馬国上対馬町大字西泊字横道218番地
神社名 能理刀神社 旧指定 村社
御祭神 宇麻志麻治命 天児屋根命 雷大臣命
例祭日 夏祭旧暦6月1日 秋祭旧暦11月3日 元旦祭1月1日
新年祭2月17日 新嘗祭11月23日
神社進展
江戸時代 現在の能理刀神社は熊野三所大権現社であった
承知10年9月19日従5位下に叙せられる
貞観12年従5位上を授かる
明治7年6月社格村社に列せられ
大正3年6月16日指定村社昇格 神饌幣帛料供進神社に指定さる境内社 合祀 龍神神 祭神 海童神 観音不動神
由 来
大古昔 老人夫婦 熊野三所大権現神 現在 能理刀神を小舟に乗せ奉りて この部落の西北隣浜に来り 殿を造り奉り留り そこに榎木があって 衣掛けといった後に 現在のこの高台の地に遷宮奉りて 老人夫婦は行方知れず
この地は 神功皇后の新羅征伐の海上安全戦捷祈願 行宮の古跡の社であり
延喜式神名帳に能理刀社は この近郷の古名社として名記されている
亀卜所 占祈祷の神霊神をまつる古社で この権現山は 古神道の霊神山で 中世に至り 熊野系の修験道者山伏が 入山して修練した 亀卜所であったとされている
昔 当浦合外目の浜に この神を最初着給ふ浜辺丘に 朝日不出前に里人至れば 年頃60才計の御形にて冠を着し至り 高貴の官人座給ひて 是の貴官人を奉見すると里に帰り不幸あり 其後 貴官人行方所不明 それより この浜辺丘に里人朝至らず
文永11年 蒙古軍襲来の際 霊神山の中腹より大石(神石)三ツ落来りて 異賊船は 打破給ひて 州浜里人を御助給ひし 由来記は隣の丘に建立す神社修改築経過
文化4年 社殿改築
明治14年4月 神殿改築
大正4年秋 拝殿改築
昭和8年3月 神殿改築
昭和13年 参道一部改修
昭和43年 拝殿屋根履替
昭和56年11月 通殿拝殿改築
平成2年11月御大典奉祝記念行事としてこの由緒板を建立する平成2年11月吉日
能理刀神社
宮 司 修行大助
祢 宜 ひさみ 氏子総代
権祢宜 勝代 西泊区境内案内板より
【由 緒 (History)】
神石 三ツ石の由来については
文永11年(1274)元寇の時 三所大権現神に祈れば 荒神権現山の中腹より 神石三ツ飛出し来りて 異賊船を打砕き給ひて 浦合の村人を助け給うた神石
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
・三ツ石神社(対馬 西泊) 三ツ石の由来を持つ
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・龍神神《合》龍神神
・観音神《合》観音神
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 能理刀神社
[ふ り が な ](のりとの かみの やしろ)
[Old Shrine name](Noritono kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「對馬嶋 上縣郡 能理刀神社」の論社は2つです
① 能理刀神社(対馬 西泊)
② 霹靂神社(対馬 浜久須)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
比田勝の港から 約1.3km 車 3分程度 西泊に鎮座します
西泊の港の脇 民家の間から 権現山の中腹に鎮座します
能理刀神社(Norito Shrine)に参着
長い石段の下から 見上げると 中段に 一の鳥居が建ち 上段にも鳥居が見えます
中段に至ると 熊野権現であったとの雰囲気を残していて 石灯籠が建ち 鳥居が建っています 扁額には「・・大権現」とあり 参道の横には案内板 更に宝篋印塔や石塔の並ぶ「西福寺」があります
良く見ると 獣〈猪or鹿〉除けの網が張られいていますので これをまくり 一礼をしながら 鳥居をくぐります すぐに白い鳥居が建っていて さらに上に鳥居が見えます
上段まで上がると 下から見えていた鳥居は 無垢の木の鳥居でした
すぐ先 参道の階段上に 社殿が建っています
拝殿にすすみます 扁額には「三所大権現」とあります
拝殿の中には 拝所があり 社号「能理刀神社」と記されています
奉納の絵馬が数多く掲げられていて「叶大漁」の祈願もあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の扉からは 遥か下に西泊の港が見えています
上にある 木製の鳥居からは美しい眺めがあります
長い階段を下りて 港に向かいます 下まで降りて 振り返り一礼をします
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
吉刀神(キトノカミ)もしくは 告刀神(キトノカミ)と記されます
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下
従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
意訳
能理刀(ノリトノ)神社
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
亀兆傳 (釈記 所 引用)
〈『亀兆伝』 という鎌倉時代以前のものとみられる 亀卜祭文の古書〉亀津比女命(カメツヒメノミコト)〈亀卜祭文の亀の神霊〉
今称す 天津詔戸太詔戸命(アマツノリトノフトノリトノミコト)なり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
式内社として 能理刀神社(対馬 西泊)をこれとしています
意訳
能理刀神社
祭神 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
今 按〈考えるに〉
本社 由緒書きに 昔より 天児屋根命を祭るとあるのを
明細帳 長崎県式内社記には 宇麻志麻治命(ウマシマヂノミコト)烏賊津命(イカツノミコト)をも合祭る由に記せども 式帳〈延喜式〉にも 一座とみえ 由緒書きにもしかあれば 今はこれに従う神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
祭日 6月朔日
社格 村社
所在 西泊村 字 熊野山
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承
式内社として 能理刀神社(対馬 西泊)をこれとしています
意訳
能理刀神社
能理刀は仮字なり
〇祭神 太祝詞命 考証 〇古蹟集 素戔嗚尊という 今は従わず〇豊崎郷 西泊村に在す 玉勝間 今 権現と称す 古蹟集
〇当国 下縣郡 太祝詞神社
神位 三代実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
能理刀神社(Norito Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)