中氷川神社(なかひかわじんじゃ)は 社名の由来について 社説では゛上 (かみ)氷川゛〈足立郡大宮〉武蔵國一の宮 氷川神社(さいたま市)と゛奥(おく)氷川゛〈西多摩郡氷川〉氷川神社(奥多摩町) との中間に鎮座するので゛中(なか)氷川゛とされたとします 延喜式内社 武蔵國 入間郡 中氷川神社(なかひかはの かみのやしろ)の論社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
中氷川神社(Nakahikawa shrine)
【通称名(Common name)】
明神様(みょうじんさま)
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県所沢市山口1849
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》素戔嗚尊(すさのをのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
《合祀》陣屋・大西の稲荷社
《合祀》谷戸・新田・荒久の氷川社
《合祀》椿峰の八坂社
《合祀》山王峰の日枝社
《合祀》弁天前の市杵島姫社
《合祀》大塚の浅間社
《合祀》七社大神
・大山昨命・建御名方命・奥津姫命・一大物主命・素盞鵈命・下照姫命・牛御子命
〈昭和4年10月6日山口貯水地の湖底に埋もれた 旧勝楽寺村鎮座の七社神社〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・厄除開運、良縁縁結び、子授け安産、農商工業の繁栄
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
当社は崇神天皇の朝に創祀せられ、武蔵國造 (長官) の崇敬厚く平安時代に朝廷が編纂した延喜式(国の法律書)神名帳に記載された、祈年國幣社(当時の官社) であった。
中古は、入間・多摩二郡にまたがる九十二ヶ村の総鎮守として、また山口城主にも尊崇され、徳川幕府より社領四石三斗を賜りました。明治維新後は、埼玉県の県社の社格を賜りました。宗教法人 中氷川神社公式HPよりhttps://www.nakahikawa.or.jp/yui-syo/
【由 緒 (History)】
由緒
武蔵国三氷川中の社。延喜式内祈年國幣社で入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守として山口城主崇敬も厚かった。 約3500坪の狭山丘陵の杜に大社造りの御本殿に鎮座している。山口貯水池の湖底に沈んだ、朝鮮半島より渡来した人の居住地と伝えられる勝楽寺村の七社神社が合祀されている。
埼玉県神社庁HPよりhttps://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/9105/
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・和魂宮
・〈社殿向かって右4社合殿 境内社〉
八坂神社・秋葉庤神社・市杵島姫神社・諏訪庤神社
・石上神社・稲荷神社
・金刀比羅神社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵國 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)入間郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 中氷川神社
[ふ り が な ](なかひかはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakahikaha no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
武蔵三氷川〈上氷川・中氷川・奥氷川〉について
中氷川神社(所沢市三ケ島)神社の案内によれば
゛当社については、足立郡大宮(現さいたま市)にある武蔵一の宮の氷川神社と、西多摩郡氷川村(現東京都西多摩郡奥多摩町)にある奥氷川坤社とともに「武蔵三氷川」と言われている。この三社は、ほぼ一直線に並んでおり、本宮、中宮、奥宮の関係になっている。゛
中氷川神社(所沢市山口)神社の案内によれば
゛上 (かみ)氷川゛〈足立郡大宮〉武蔵國一の宮 氷川神社(さいたま市)と゛奥(おく)氷川゛〈西多摩郡氷川〉氷川神社(奥多摩町) との中間に鎮座するので゛中(なか)氷川゛とされた゛
と記されています
武蔵三氷川〈上氷川・中氷川・奥氷川〉とは
・上氷川
延喜式内社 武蔵國 足立郡 氷川神社(名神大 月次 新嘗)(ひかは かみのやしろ)
・大宮氷川神社(さいたま市)
・中氷川
延喜式内社 武蔵國 入間郡 中氷川神社(なかひかはの かみのやしろ)の論社
・中氷川神社(所沢市山口)
・中氷川神社(所沢市三ケ島)
・奥氷川
式外社
・奥氷川神社(奥多摩町氷川)
上氷川・中氷川・奥氷川の位置関係について
実際にマップを作成してみると 三社〈上氷川・中氷川・奥氷川〉の位置関係は 一直線ではなく 頂点に゛中氷川゛がある二等辺三角形の形になっていますので 中間点ではあります
延喜式内社 武蔵國 入間郡 中氷川神社(なかひかはの かみのやしろ)の論社
・中氷川神社(所沢市山口)
・中氷川神社(所沢市三ケ島)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西武狭山線 西武球場前駅から県道55号を北西へ約1.5km 車5分程度
一の鳥居は南向き 県道55号沿いにあります
一の鳥居のすぐ先を左折〈北へ〉すると 東向きの境内の社頭があります
中氷川神社(所沢市山口)に参着
平成十一年(1999)に修復工事があつたようで境内は整備されています
拝殿にすすみ
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には本殿が祀られています
境内社にお参りをすると
本社に引けを取らず立派な社があり゛和魂宮(にぎみたまのみや)゛があり お参りをします
社殿に一礼をして 参道石段を下ります
この石段は社殿と同じように東向きです
一の鳥居は 南向きですので 表参道は 下に見えている神楽殿の横を下るようになっています
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承
氷川村の氷川社〈現 中氷川神社(所沢市山口)〉について 里人の伝えによれば 式内社 中氷川神社と伝えている
しかし 三ケ嶋村の長宮明神〈現 中氷川神社(所沢市三ケ島)〉も社伝に式内社 中氷川神社と伝えていて こちらの方が信憑性が高いので 氷川村の氷川社〈現 中氷川神社(所沢市山口)〉を式内社とするのは如何だろうか?と記しています
又 〈現 中氷川神社(所沢市山口)〉に合祀されている 旧勝楽寺村(朝鮮半島より日本に渡来した百済人・高麗人の居住した地と伝えられている)に鎮座していた〈昭和4年10月6日に山口貯水地の湖底に埋もれた〉七社神社 (七社権現=七社大明神)について記しています
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 卷之一百五十八
入間郡 巻之三 山口領 氷川村附新田 氷川社
社領四石の御朱印を賜ひ 外に四畝の御供免そへり 土人の傳へに これ神名帳にのせし中氷川の神社なりと云 今社地のさまを見るに いかにも年ふり且村名をも古くより氷川と唱ふるときは 古社なることは疑ふべくもあらざれば 式内の社なるもしるべからず
されど今 三ケ嶋村長宮明神も中氷川の神社なるよし社傳にいひ 現に彼社に正長・天文等の棟札ありて 其文に中氷川神社と記したれば 當社を中氷川と云はいかがあらん 姑く疑を存せり 身體は木像にていと古色なり 打越村普賢寺持入間郡 巻之三 山口領 勝楽寺村 山王七社
蔵王権現 聖女権現 八王子権現 大行事権現 天御子権現 副行事権現の七座を祀る
其内 蔵王権現は 弘法大師の作なりと云 慶安年中 社領七石の御朱印を賜へり 例祭は九月十九日末社 稲荷社 三峰社 辨天社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 中氷川神社について 所在は三箇島村に在す 今長宮大明神と稱す〈現 中氷川神社(所沢市三ケ島)〉と記しています
ある説では 氷川村にあり〈現 中氷川神社(所沢市山口)〉との説も載せています
【抜粋意訳】
中氷川神社
中氷川は奈加比加波と訓べし
〇祭神 素戔嗚尊、大己貴命、少彦名命、地名記
〇三箇島村に在す、地名記
今長宮大明神と稱す、例祭 月 日、
〇頭注云、日本武東征之時勧請、稻田姫也、
或云、氷川村にあり、
〇諸社ー覽紀に、氷川社在に江戸四谷、此所入間郡也と云るは誤り也、此邊は豊島郡にて、夫より新座郡を經て、入間郡は遙に西にあたれり、此説信用べからず、社領
當代御朱印高十石
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 中氷川神社について 所在は氷川村の西北 三箇島村にあり〈現 中氷川神社(所沢市三ケ島)〉と記しています
【抜粋意訳】
中氷川(ナカヒカハノ)神社
今 氷川村の西北 三箇島村にあり、巡拝祠舊記、神名帳考土代、武蔵國全図
〇按 本村北野村に隣し 蓋 氷川神を移祭る、或は云 稲田姫神なり、勘酌延喜式、神名帳頭注大意、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 中氷川神社について 所在は中氷川村〈現 中氷川神社(所沢市山口)〉と記しています
又 三ケ島郷にも中氷川神社〈現 中氷川神社(所沢市三ケ島)〉があり 式内社を唱えるが 正長元年(1428)又 天文二十三年(1554)の棟札に武州入東郡宮寺郷下村 中氷川神社造替などあり 天保十四年(1843)卜部家より興へし狀に稱中氷川神社長宮大明神者とあるが 考えるに此時から中氷川神社と云始めたように想うと記しています
【抜粋意訳】
中氷川神社
祭神 大己貴命
今按 明細帳祭神不詳とあれど 本國に氷川神社と云は何れも足立郡の氷川神を祭れるにて祭神みな同じければ 此社も祭神大巳貴命なるべきこと決し故今祭神を記しつ
祭日 二月二十三日
社格 村社所在 中氷川村
今按 ありて 正長元年九月二十三日 又 天文二十三年卯月二十一日等の棟札に武州入東郡宮寺郷下村 中氷川神社造替などあれど天保十四年十二月卜部家より興へし狀に 宣奉 稱中氷川神社長宮大明神者諦宣之狀如件とみえ
又 同時の祝詞に神砥官領卜部良芳爾告弖舊稱爾遂比 中氷川神社長宮大明神止奉 稱羅牟止乞 故仁願乃随爾宗源乃神宣乎 申行比 宇津乃幣帛乎 調弖内陣乎 飾利自今以住 中氷川神社長官大明神奉 稱羅牟止 廣前爾厚久稱辭竟奉留
とあるを以て考ふるに 此時より中氷川神社と云始めたるが如しかかれば三ケ鳥なるは式社にあらざること明了なり武藏式道法命附に中氷川村 是は所澤より南の方 山口村観音の近邊に中氷川村 今に中氷川と云社あり 是なるべし明細帳にも入間郡氷川村 中氷川神社〔式内〕足立郡氷川神社 幷に多摩郡柚之保内氷川村鎭座 上氷川神社里程中央にして當村鎮座 中氷川神社なりとみえたるが如く 現に村名を中氷川と云ひ 其處に鎮座の社なれば中氷川神社と云は確証と云べし故今之に從ふ
【原文参照】