物部氏(もののべうじ)は 太古の大和朝廷で 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と用命天皇2年(587)戦い敗れ 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります

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目次
古代日本の武力と祭祀を担った氏族「物部氏」について
物部氏(もののべうじ)の出自と系譜
祖神 饒速日命(にぎはやひのみこと)
祖神 饒速日命(にぎはやひのみこと)は 『日本書紀』などの記述によれば 神武天皇の東征に先立ち 天照大神から十種の神宝を授かり 天磐船(あまのいわふね)に乗って 河内国(大阪府交野市)の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)に降臨し その後 大和国(奈良県)に移って 大和に勢力を築いたとされます
饒速日命(にぎはやひのみこと)の降臨に随伴した神について
この饒速日命(にぎはやひのみこと)の天降り神話は 『日本書紀』などの邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨神話とは別系統の天降り神話と考えられています
『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』「巻第三 天神本紀」には 天降ったおりに 高皇産霊尊から防衛(ふせぎまもり)として三十二人に命じて随伴させたと記述があり
さらに
警備のため天物部の「天物部造(5名)」と「天物部(25名)」が兵杖を持って伴い
これらを 船で運んだと記しています
物部氏(もののべうじ)の概要について
物部氏(もののべうじ)は 神武朝より大王家に仕えた氏族とされます
歴史上 大和朝廷の表舞台に出てくるのは 古墳時代から飛鳥時代にかけて 日本古代の有力氏族として活躍が見られます 大伴氏・中臣氏と並ぶ大和朝廷の中心的豪族でした。
「物部」とは「もの(武器・軍事具)」を司る部民を意味し 彼らは武器の製作・管理・軍事・警護・祭祀を担う「武と神の氏族」として知られています
物部氏の初代の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)(可美真手命)について
饒速日命は 登美夜毘賣(とみやびめ)〈那賀須泥毘古の妹〉を妻とし 物部氏の初代の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)(可美真手命)をもうけました
「宇摩志麻治命」を祖と称し その後裔が「物部氏」となります 即ち 饒速日命の子孫となります
物部氏(もののべうじ)の職掌と権力
物部氏は、古代の国家体制の中で軍事と祭祀を担当する実務豪族とされます
主な役職・職掌は以下の通り
分野 内容
軍事 兵器の製造・保管・管理、天皇の親衛・宮殿警備
祭祀 神宝(剣・鏡・玉など)の守護、武神・祖神の祭祀
政務 朝廷の要職に就く(大連・大臣級)
特に6世紀に「物部尾輿(もののべの おこし)・物部守屋(もののべの もりや)」父子が 朝廷の実権を握り 大連として国家運営の中枢にありました
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物部氏(もののべうじ)の信仰と思想
物部氏は 神道的伝統を重んじる氏族で 彼らは仏教受容に強く反対した保守的立場を取つたとされます
これは後に「廃仏派(物部氏)」と「崇仏派(蘇我氏)」との対立として知られています
崇仏派:蘇我氏(海外文化・仏教の導入を推進)
廃仏派:物部氏(日本固有の神祇信仰を尊重)
物部氏(もののべうじ)の衰退と滅亡
6世紀後半「崇仏派(蘇我氏)」の蘇我馬子(そが゛のうまこ)と対立
『日本書紀』によれば 587年(用明天皇2年)丁未の乱(ていびのらん)で 大連であった 物部守屋(もののべの もりや)は敗北・戦死します
この戦いにより 物部氏の宗家は敗北し 政治的権力は崩壊していきます
ただし 一族が完全に滅んだわけではなく 宗家以外の一族・地方に分散していた一族は 後世には
石上(いそのかみ)氏(神官職)
斎部(いんべ)氏
などと結びつき 石上神宮(奈良県天理市)を中心に信仰的伝統を継承していきます
物部氏(もののべうじ)の主な関連地
地名 意義
河内国(大阪府東部) 物部氏の本拠地(河内磐船・交野など)
大和国(奈良県) 石上神宮を中心とする祭祀の拠点
伊勢・出雲など 神宝管理・祭祀の関与が伝承される地域
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物部氏(もののべうじ)を象徴する神社・遺跡
石上神宮(奈良県天理市):物部氏の祖神・布都御魂大神を祀る
延喜式内社 大和國 山邊郡 石上坐布留御魂神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(いそのかみのます ふるのみたまの かみのやしろ)
磐船神社(大阪府交野市):饒速日命の天磐船伝承地
物部守屋神社(大阪府八尾市):滅亡後の守屋を祀る
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物部氏(もののべうじ)の歴史的意義
物部氏は
「神道的世界観を日本国家に根づかせた祭祀氏族」
「日本最古の軍事貴族」として重要な位置づけがされています
蘇我氏との対立による物部宗家の滅亡は 日本における仏教公認と国家宗教体系の転換点となつたとされています
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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について
太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります
『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています
東海道
「伊勢國 飯高郡 物部神社」
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
「伊勢國 壹志郡 物部神社」
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
「尾張國 春日部郡 物部神社」
・〈物部神社 旧鎮座地〉二子山古墳(春日井市二子町)
・味美白山神社(春日井市二子町)
〈相殿 物部神社(二子山古墳)合祀 大正七年(1918)〉
・諸大明神社(春日井市松本町)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
「尾張國 愛智郡 物部神社」
・物部神社(名古屋市東区筒井)
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
「甲斐國 山梨郡 物部神社」
・物部神社(笛吹市石和町)
・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉
・大石神社(山梨市西)
・大石神社(甲州市塩山赤尾)
・白山建岡神社(山梨市上栗原)
「武蔵國 入間郡 物部天神社」
・北野天神社(所沢市小手指元町)
東山道
「美濃國 厚見郡 物部神社」
・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)
・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)
・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)
・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉
北陸道
「越中國 射水郡 物部神社」
・物部神社(高岡市東海老坂)
「越後國 頸城郡 物部神社」
・物部神社(上越市清里区)
「越後國 三嶋郡 物部神社」
・二田物部神社(柏崎市西山町)
「佐渡國 雑太郡 物部神社」
・物部神社(佐渡市小倉)
山陰道
「丹波國 船井郡 嶋物部神社」
・荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)
「丹後國 與謝郡 物部神社」
・物部神社(与謝野町石川)
「但馬國 城崎郡 物部神社」
・韓國神社(豊岡市城崎町)
「石見國 安濃郡 物部神社」
・物部神社(大田市)石見国一之宮
山陽道
「播磨國 明石郡 物部神社」
・可美真手命神社(押部谷町細田)
・惣社(神戸市西区伊川谷町)
西海道
「壱岐島 石田郡 物部布都神社」
・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉
・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉
・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
古代豪族 物部氏(もののべうじ)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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