四至神(みやのめぐりのかみ)は 皇大神宮(内宮)所管社で『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉の「一、年中行事幷月記事の條」に゛宮廻神百二十四前を祭る゛ことが二月十三日・六月・九月の十八日に記され 古くからの神であることが分ります 五丈殿(ごじょうでん)は 雨儀の時に祓の行事等の行われる所です
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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
四至神(Miya no meguri no kami)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市宇治舘町1(内宮境内)
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》四至神(みやのめぐりのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
四至(神域の四方の境界)を守る神様
【格 式 (Rules of dignity) 】
・〈皇大神宮(内宮)所管社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮綜覧』〈1915年〉に記される内容
【抜粋意訳】
・五丈殿
神樂殿の東、参道の北にあり。五丈殿は、其奧行の丈尺より名けたる名にて、現今は雨儀の修祓・遙拜式・大祓等の諸式、又攝社以下遙祀の祭典、及び遷宮に関する諸祭の饗膳を行ふ殿舎なり。古は直會殿(ナホラヒデン)ー院とて、その中に、九丈殿・五丈殿・四丈殿各壹宇ありしが、今はたヾ此の殿舎のみ存せり。
・・・
・・・・四至神(ミヤノメグリノカミ)
此神は、大宮の廻に鎭座して、其の境界を守り給へる神等にて、五丈殿の東方に石疊西面を構へて、四十四前を合祀せり。
【原文参照】
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神宮司庁 編纂『神宮綜覧』,国史研究会,1915.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1907594
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神宮司庁 編纂『神宮綜覧』,国史研究会,1915.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1907594
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年〉に記される内容
【抜粋意訳】
五丈殿(ごぢょうでん)
風宮より戻りて神樂殿の前に至り、参道を奥へ進めば神樂殿の東、参道の左手に、砂利敷きだけの殿舎を拜するであらう。これを五丈殿といってゐる。柱間五丈あるを以ての名である。この御殿は雨儀のとき、二の鳥居及び忌火屋殿(いみひやでん)の前に於て行はれる祓の行事等の行はれる所である。又直會式のあるときも、この殿で行はれるのが古來からの例である。延喜式によると、昔、神主が朝廷より位記を賜はるときの式も、ここで行はれた。このとき、先づ拍手両段を以て大御神(おほみかみ)の方へ向って拜禮し、次に北京都の方に向って朝拜することになってゐる。神恩を謝し、朝恩を難有く謹しみ拜受したものであるが、これが神宮・宮城遙拜の順序を示す古來の典據を示すものである。
四至神(みやのめぐりのかみ)
由貴御倉神を拜し、五丈殿の東前の所を見ると、西面してゐる石積みの石神を拜することが出來る。
これが皇大神宮所管社の四至神(みやのめぐりのかみ)である。社殿はなく、たヾ一間四方位いの石畳(いしだたみ)があるだけである。四至神といふのは宮廻神(みやのめぐりのかみ)といふ意味で、皇大神宮の大宮地の周圍を護ります神である。延暦儀式帳にると二月十三日、及び六月、九月の十八日に宮廻神百二十四前を祭ることが見えてゐるるから、随分古くからの神であることが分る。不淨、穢れを守る道饗の神(みちあいのかみ)、道祖神(どうそしん)、塞神(さへのかみ)などと同じやうな信仰の神であったと思はれる。
【原文参照】
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猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626
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猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
四至神は 皇大神宮(内宮)の所管社です
・皇大神宮(内宮)
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』(こうたいじんぐうぎしきちょう)と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉
「一、年中行事幷月記事の條」に゛宮廻神百二十四前を祭る゛ことが二月十三日・六月・九月の十八日に記され 古くからの神であることが分ります
゛二月例 十三日゛の條
゛以十三日 太神宮廻神百廿四前 祭始所管所々宮并社神奉行事〔具所宛神税太神宮司〕゛
゛六月例 十八日行事゛の條
゛十八日行事 以同日辰時 神官廻神祭百廿四前 祭料下従外幣帛殿 神酒二缶神贄二荷・・・・・・゛
゛九月例 神嘗祭供奉行事 以十八日゛の條
゛以十八日 巳時 官廻神祭酒二缶神贄二荷 瀧祭酒ー缶贄一荷 荒祭宮酒ー缶贄一荷 月讀宮酒ー缶贄一荷 瀧原宮酒ー缶贄一荷 伊雑宮酒ー缶贄一荷 大歳社酒ー缶贄一荷゛
九月十八日に宮廻神祭では 別宮に先んじて゛酒二缶神贄二荷゛が奉られていることが見えています
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
皇大神宮(内宮)に参詣
・皇大神宮(内宮)
神楽殿の横にあるこの大きな建物が五丈殿(ごじょうでん)
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至神〈皇大神宮(内宮)所管社〉は 五丈殿の東側に鎮座されています
四至神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)に参着
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四至(神域の四方の境界)を守る神様 石畳に石神が祀られています
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神宮要綱』〈昭和3年〉に記される伝承
【抜粋意訳】
皇大神宮殿舎 五丈殿
遷宮に関する諸祭の饗膳、竝に年中恆例の雨儀の諸式、又攝社以下遙祀の祭典を行はるゝ殿舎なり。皇太神宮儀式帳に見ゆる直會殿院の一にして、古來より其の主殿なるを以て之を第一殿又はー殿と稱したり。祭儀畢りて勅使以下の直會饗膳に用ゐられ、又延喜大神宮式によれば、當殿に於て禰宜内人の位記傳達の式を行ひたり。他の二殿卽ち九丈殿・四丈殿とともに中絶せしに、慶長寛永の間に本殿のみ再興あり。
儀式帳時代には檜皮葺にて長五丈四尺、弘二丈、高一丈一尺なりしが、江戸時代に長二丈四尺、廣一丈九尺となり、明治七年七月神宮祭主より增尺の事を上申して、現今の如くなれり。蓋し五丈殿の名稱は、其の長さの丈尺に本づくものなるべし。皇大神宮所管社 四至神
四至神(ミヤノメグリノカミ)は大宮の廻に鎭座して、其の境界を護り給へる神等にて、五丈殿の東方に石畳を構へ、石神を安んじて合祭す。二月十三日及び六月・九月の十八日に宮廻神百二十四前を祭ることは既に延曆の儀式帳に見え、正月十一日の旬神拜に四十四所の四至神を拜し、五月五日及び六月十八日•十月一日に御巫内人の四至神を祭るこざ建久年中行事に記せり。而して本朝世紀〔仁平三年十月廿七日の條〕・兵範記〔仁安三年十二月禰宜の注進狀〕等に據るに、當時は外院御馬屋前に神座ありて霊木を祭祀せしこと明かなり。然るに後世 其の諸神の神座明かならざるを以て、五丈殿の前方、櫻宮拜所の附近なる石疊に於て祭事を行ふことゝなり、以て今日に及べり。
【原文参照】
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神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814
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神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814
四至神〈皇大神宮(内宮)所管社〉(内宮境内)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814