賀茂那備神社(かもなびじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の隠岐国 周吉郡「賀茂那備神社(かもなひの かみのやしろ)」です 鎮座地の加茂は 隠岐の島〈島後〉南部の深い入り江の奥にあり かつて本土との表玄関として栄えた場所で 別雷神(わけいかづちのかみ)が到着された港と伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
賀茂那備神社(Kamonabi shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
島根県隠岐郡隠岐の島町加茂342
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》別雷神(わけいかづちのかみ)
《配》素盞嗚命(すさのをのみこと)
玉安姫命(たまやすひめのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『賀茂大明神傳記〈寛保二年(1742)〉』に「人皇四十六代 孝謙天皇の御宇〈天平年中(729~)〉 玉安姫 隠岐国に入到る 時十二月三十日 船を繋いだのは 今の賀茂浦なり 彼 神明を守り来て宮を造る これ今の社なり 給仕久しく終に卒す」
『式内社調査報告』より
【由 緒 (History)】
隠岐島後民話・伝説案内板 No.18
的の前(まとのまえ)
昔(むかし)、都を切り開き、鴨川(かもがわ)のほとりに住んでおられた別雷神(わけいかづちのかみ)は、次の行き先を決めるのに、葵の葉(あおいのは)を結んだ矢を射放(いはな)った。
その矢を追って、川を越え、野を越え、ついに若狭(わかさ)の港から船で追い、島にたどり着いた。
入り江に近づくと、かたわらの断崖絶壁(だんがいぜっぺき)にまぎれもなく、葵の葉を結んだ矢が突き刺さっていた。島の名は隠岐(おき)であった。 そこでその湾(わん)に加茂(かも)の名をつけ、別雷神は、加茂の地域を開発し、人々の暮らしを導き、住みよい村落を作った。
後(のち)に加茂那備神社(かもなびじんじゃ)に祭(まつ)られ、今も、その矢の立った岩を「的の前」と呼んでいる。
神社前の加茂湾の案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・恵比須神社《主》事代主命
・弁才天神社《主》弁才天
・大山祇神社《主》大山祇命
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)周吉郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 賀茂那備神社
[ふ り が な ](かもなひの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kamonahi no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
隠岐国には 16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
隠岐空港から 空港道路を西へ 44号線で加茂の集落を目指します 約8km 車15分程度
木製の両部鳥居が建ちます
賀茂那備神社(隠岐 隠岐の島町加茂)に参着
一礼をしてから 鳥居をくぐると 鳥居と石灯篭の間 地面に出雲式の狛犬が構えています
石灯籠の先には 玉垣が廻された境内地となり 隋神門が建っています
隋神門の手前には 手水舎があり サンゴのような手水鉢があり清めます
ちょうど社殿は 補修工事中で ブルーシートに覆われています
拝殿にすすみます
拝殿の扁額には「賀茂那備神社」
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
普段 狛犬は目線よりも高い位置にありますが こちらの狛犬は地面にありますので 後ろ姿もちょっとユニークです
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)太政官符の命により編纂 国内神名帳〉に記される伝承
穏地郡には正3位 水祖明神があったが 周吉郡は従4位上 と記されています
【意訳】
周吉郡
・・・・
従4位上 賀茂奈比明神
【原文参照】
『隠州視聴合記(Onshu shichogakki)〈寛文7年(1667年)著〉』に記される伝承
村の東にある 鴨大明神 と記されています
【意訳】
巻之二 周吉郡 鴨里の条
鴨里 按に応書に加茂
鴨ノ里は 未の方に向かいたる入海の濱あり 左右の山崎 遠の出て二十町許濱にて 住居あり
村の東隣は 明神の社なり 鴨大明神と号す
・・・・・・・・・・・・」
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
今 鴨村に在すと 記されています
【意訳】
周吉郡 四座
賀茂那備(カモナヒノ)神社旧事記
事代主神 坐 倭国高市郡 高市社 亦 甘南備 飛鳥社〇今在 鴨村の東 号すに鴨明神(鴨ノ里は 未の方に向かいたる入海の濱あり 左右の山崎 遠の出て二十町許濱にて)
〇信友云う 近北弘者縁起を作れり 仏事を付会す
〇備後 葦田郡 加茂奈備神社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在は 賀茂村〈現 西郷町大字八田〉であると記しています
【意訳】
賀茂那備神社
賀茂那備は 仮字なり
〇祭神 詳らかならず
〇賀茂村に在す 今 賀茂明神と称す神位 国内神名帳 従4位上 賀茂奈比明神
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在は 賀茂村〈現 隠岐の島町加茂〉であると記しています
【意訳】
賀茂那備神社
祭神
今按〈今考えるに〉
明細帳に 尊号 不詳 神體 内殿に九寸位冠袍坐像一坐 古作なり云々と見え
又 国内神名帳には 従4位上 賀茂奈比明神とあり祭日 四月初酉日
社格 村社
所在 賀茂村(周吉郡 磯村 大字 賀茂)
今按〈今考えるに〉
視聴合記に 鴨ノ里は 未の方に向かいたる入海の濱あり 村の東に 明神の社あり 鴨大明神と号す 近頃にや浮園氏某延喜作けるとぞ云々 按 明細帳 周吉郡 賀茂那備神社 必可為此神なり 然るに即ち この里以之為名欺と見えたり
【原文参照】
賀茂那備神社(隠岐 隠岐の島町加茂)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)