神洗神社(かみあらいじんじゃ)は 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた処とされ 玉前神社(一宮町一宮)の元宮とされます 現在は その末社として奉斎されます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
神洗神社(Kamiarai Shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
千葉県長生郡一宮町綱田
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》玉依姫命(たまよりひめのみこと)
鵜茅葺不合命(うがやふきあへずのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
日子火々出見命(ひこほほてのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の元宮
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
玉前神社末社
神洗神社と神洗池上総国一ノ宮玉前神社の元宮というべき社で 玉前神社 ご祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)と鵜茅葺不合命(うがやふきあへずのみこと)、姉神 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と日子火々出見命(ひこほほてのみこと)をお祀りしている。
神代の昔、ご祭神が海から上陸された時その身体を洗われたと伝えられる池が参道左に見え神洗池と称されている。
昔は賑やかな祭典が行われていたと伝えられており、現在は月と日がほぼ同時刻に昇る旧暦の元旦に例祭を、また玉前神社例祭の九月十三日にも祭典を執行している。
なお、この社地は地元在住の 鵜澤 平氏より平成六年に奉納を受け、さらに社殿は平成十七年に玉前神社氏子有志により奉納されたものである。
平成十七年 玉前神社社務所
現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・神洗池(かみあらいいけ)
神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた池
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
玉前神社の元宮とも云われる
玉前神社の社伝では
「神代の昔、ご祭神が海から上陸された時その身体〈髪〉を洗われたと伝えられる池が 参道左に見え神洗池と称されている。」とされます
記事を参照してください
・玉前神社(一宮町一宮)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
上総十二社祭り(かずさじゅうにしゃまつり)について
上総十二社祭り(はだかまつり)は 約1200年前の大同2年(807)に始まったと伝えられています
房総半島の浜降り神事のなかでも最古の伝統と格式を誇ります
現在は 一宮町の無形文化財(平成15年4月 千葉県無形民俗文化財)に指定
概要
旧上総国一宮の玉前神社を中心とする寄合い祭りである。玉前神社の神霊は、海中より玉として現れたと伝えられ、年に1度、その祭神である玉依媛を中心に、眷属となる諸神が集まるものとされている。
十二社の所以は、元禄3年(1690)に書き写された「三之宮福大権現由趣書」に「一番下之郷玉垣大明神、二番三之宮福大権現、三番本納大明神、四番二之宮大明神、五番金田村南宮大明神、六番一之宮玉前大明神の神輿十二社は、太東釣ヶ崎といふ所へ出御」云々ともあるように、古くは6社12基の神輿が寄合っていたことによるが、これまでにいくつかの出入りがあって変動している。現在の祭りは、毎年9月8日から14日にかけて行われるが、なかでも13日の例大祭では、長生郡一宮町一宮の玉前神社をはじめ、同町宮原の南宮神社、いすみ市岬町中原の玉崎神社、同町椎木の玉前神社、同町谷上の谷上神社から、計5社9基の神輿が釣ヶ崎の祭場に集結し、それぞれ神霊合わせの祭儀をいとなんでから、次々と還御の途についている。
上半身裸の男たちが神輿を担ぎ、シオフミといって波打ち際を駆け上がるさまは勇壮で、俗に裸祭りとも称されている。
千葉県庁公式HPより抜粋
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p321-060.html
祭りの流れ
江戸時代の記録には玉前神社(一宮町)玉垣神社(睦沢町)三之宮神社(睦沢町)橘樹神社(茂原市)二之宮神社(茂原市)南宮神社(一宮町、長生村)を「玉前六社」、またこれを迎える役目で、玉崎神社(旧岬町和泉、中原)、玉前神社(旧岬町椎木、一宮町綱田)を「山之内四社」としている。なお、神輿一基を一社と数え、各神社は「大宮」「若宮」2基ずつあるので、「玉前六社」が集まると「十二社」となる。
現在は、玉前神社(一宮町)と南宮神社、「山之内四社」、谷上神社(旧岬町谷上)の5社9基の神輿が集合する(三之宮神社は玉前神社まで)。九十九里浜の波打ち際を走ってきた氏子たちは、神輿を高く持ち上げて再会を喜び、またそれぞれの神社へ祭神を乗せて帰っていく。いすみ市役所 水産商工観光課観光・誘客推進班公式HPより抜粋
https://www.city.isumi.lg.jp/soshikikarasagasu/suisanshokoka/kankopromotionhan/2/2/787.html
上総十二社祭り(かずさじゅうにしゃまつり)浜降り神事の舞台 釣ヶ崎海岸に建つ東浪見(とらみ)の鳥居
釣ヶ崎海岸に建つ浪見(とらみ)の鳥居は 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸されたとする場所に建てられた鳥居です
ちょうど玉前神社の元宮の神洗神社への海からの参道に当たり 故に神洗神社の鳥居とも思われています
上総国十二社祭り祭典場顕彰碑
文部政務次官 石橋一彌書惟時大同二年旧八月 国造大伴武日連裔第十六代盛長神主となり「裸まつり」を始めてより一一七五年間に亘り執り行う
嘗て此の地は 人皇第一代神武天皇 生母玉依姫を中心に女系集団によって現 太東岬釣ヶ崎に移住せし処にして南総一帯の開拓を行いその勢力は玉前神社を中心に次第に強大となり東国鎮護の拠点となった
毎年九月十三日には旧 延喜式内大社 国幣中社 玉前神社 御祭神 玉依姫命を主神に附近十二社郷に奉祀する御縁故深き神々の神輿が この由縁りの浜にて年に一度再会する神事で通称「十二社まつり」また「上総のはだかまつり」とも呼ばれ黒潮文化圏に属した雄大な古代の民俗祭祀を伝承する処の聖地である
茲に十二社郷中より石鳥居を再建に際し之れを記念して顕彰碑を建立する
昭和五十六年九月十三日
玉前神社 一宮鎮座
南宮神社 宮原鎮座
玉崎神社 中原鎮座
玉前神社 椎木鎮座
鵜羽神社 岩井鎮座
玉垣神社 下之郷鎮座
三宮神社 北山田鎮座
谷上神社 谷上鎮座
現地記念碑より
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR上総一ノ宮駅からR128号を南下 約9Km 車10分程度
R128号に神洗神社の案内板「玉前神社 元宮 神洗神社」があり 右折します
朱色の木製の鳥居が道脇に建ちます
神洗神社(一宮町綱田)に参着
一礼をして 鳥居をくぐります 少々朽ちていますが注連縄が張られてしっかりと祀られています
その奥にも コンクリート製の鳥居と更に木朱色の木製鳥居が二連に建ちます
その二連鳥居の左手には 案内板と 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた池と伝わる神洗池(かみあらいいけ) 髪(かみ)を洗ったと玉前神社の社記にはあるようで髪洗池なのかもしれません
改めて 一礼をして 二連鳥居をくぐります
木の根元を抜けるように参道があり その奥に祠が祀られています
本殿にすすみます
向かって右 社殿は平成十七年に玉前神社氏子有志により奉納されたもので
向かって左 石祠は 元々の社のようです
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に深く一礼をして 参道を戻ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
玉前神社(一宮町一宮)の「年間行事案内」祭りに記される伝承
ご祭神「玉依姫命」が この地に上がったときに髪(かみ)を洗ったとされる神社 と記しています
神洗神社 例祭
1月25日〈旧暦1月1日〉10時
玉前神社のご祭神「玉依姫命」が、この地に上がったときに髪を洗ったとされる神社の例祭。
毎年、海より日月が同時に昇る旧正月に祭典を行います。
玉前神社の公式HP「年間行事案内」よりhttps://tamasaki.org/photo/index.htm
神洗神社(一宮町綱田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)