鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は 朝熊神社の御前神゛御神鏡゛〈岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)〉を鎮祭する皇大神宮(内宮)の末社です かつて二面の神鏡は 二つの川の合流点にある神聖な岩の上に祀られていた〈虎石(とらいし)〉(神域内〈朝熊川の岸〉木柵の中にある)とも〈潮干石(しほひいし)(五十鈴川の川中にある)とも伝わります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鏡宮神社(Kagaminomiya shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市朝熊町字西沖2266

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・〈皇大神宮(内宮)末社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮摂末社巡拝 下』〈昭和18年(1943)〉に記される内容

【抜粋意訳】

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)

神宮神田を奉拜してから ,もとの五十鈴橋を渡り、五十鈴川に沿ふて鹿海(かのみ)の方に下って行く。途中椿淵橋(つばいふちばし)といふ小さい橋がある。この邊りの五十鈴川の淵を椿淵(つばいぶち)といひ、猿田彦大神の御由緒地の一つになってゐる。この邊り、現在の五十鈴川はもとは、今の川筋よりも西北の方鹿海の部落の中央を流れてゐたのであるが、明治四十四年耕地整理のため、川筋を現在の所へ移したものである。

 鹿海の部落へ入って、東鹿海の五十鈴川に架ってゐる鹿海橋(かのみばし)を渡ると大字朝熊の地内である。堤防を三丁程北へ下ると ,五十鈴川と朝熊川との合流点の三角洲の所に神社が鎭座してゐる。
 これが皇大神宮の末社、鏡宮神社である。
御祭神は岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)と申上げる。
この社の東北に面せる水涯に、一つの大きなる岩がある。この岩の上に早くより二面の神鏡を齋ひ祭りありたるを本社の由緖とするのである。社名の鏡宮は神鏡を祭る宮なるによりて稚されれものである。この御神座の岩は ,この由緒によりて、現在本柵を結ひ ,神聖視されてゐる 。

尚ほ社殿背後の五十鈴川の河中に虎石(とらいし)、潮干石(しほひいし)なる奇石の蟠居してゐるのも見える。

【原文参照】

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

【由  (History)】

『神宮大綱』に記される内容

【抜粋意訳】

皇大神宮 同末社

鏡宮(かがみのみや)神社 度會郡、四郷村、大字朝熊鎮座

祭神 岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)

殿  舎 正殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉  垣 連子板打・・・壹重
鳥  居 神明造・・・壹其
神宮司庁造替

本社は、朝熊神社の御前神にして、皇大神宮の末社なり、御鎭座本緣に、凡此神社二座之寶鏡二面、是日天月天之所化白銅神鏡、依に神詫 倭姫命之御製作也、故此處乎云に鏡宮是也とありて、卽ち御鏡を鎭祭する所なり、故に朝熊神社をーに鏡宮とも稱せり、小朝熊神鏡沙汰文(正治元年五月ノ文書)に、此者岩上鎭座之御鏡也、而根元由緒更難に勘得とあり、

又 弘安参詣記に、此御鏡二面は各別の神也、御體は卽御鏡也、いづれの御神にて御坐と云事、知人すくなく侍事也、御鏡は霊験やむ事なき御神也とありて、全く神鏡の霊を祭りしものなり、盜難度々ありしかども、康永の比までは現存せしを、其の後紛失して終に神鏡の所在不明となれり、詳細は朝熊神社の下に注す、

某の御座石と傳ふるは、現今霊石として、殿舎の後に存在せるなり、然れも、神境紀談に、彼御鏡の座石も、今は知人なし、又初め失給ひし御鏡の帰座ありし時、彼岩の四面を堀廻して、其内に安置し奉ると云事あれども、餘の岩のあれば、何れを其座石とも分ち難し、
俗に 潮干ノ岩 と云傳る岩あり、此を其座石ならんと云ふ人あれども、奮記には、見えずと云へり、
抑も舊記古書に鏡宮と稱せるは、卽ち小朝熊神社の一名にして、別に現今の地に祉殿の存ぜしにあらざるを、寬文三年に朝熊神社と共に、本社をも再興せられしなり、
元來本社は、朝熊神社の御前神にして、小朝熊神鏡沙汰文に載する所の、正治、天福等の文書、皆前社に作り、又享保二年鏡宮修覆神遷沙汰文に、鏡宮者、攝社歟、末社歟、古來有に疑惑之徒乎、鏡宮者、小朝熊神社之前社也、是故曰、建久之注進狀別社小朝熊御前社也、とあるが如くなるをや、
然るに何の時か、同域内に別に社殿を建造して、前社と稱するが故に、朝熊神社と、鏡宮神社と、茲に分立するに至れり、
明治五年六月地方廳に引渡ししが、更に九年神宮所轄に復舊し、末社に列せられて今日に至れり、二十五年上地官林、貮畝貮拾貮步を復舊奮して、現今の體裁をなせり、

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮大綱』,神宮司庁,明45.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815528

神宮司庁 編『神宮大綱』,神宮司庁,明45.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815528

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

虎石(とらいし)〈獅子伏石〉〈朝熊川の河岸にある木柵の中

・潮干石(しほひいし)〈五十鈴川の中程〉

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写真は 朝熊川の対岸の朝熊神社から 鏡宮神社を見た様子
河岸にある石段の下 木柵の中“虎石”と呼ばれる石があり 倭姫命が制作されたと伝わる 依代の御神鏡が祀られていたと伝わります
或は 御神鏡が祀られていたのは 五十鈴川の中程にある岩゛潮干石゛とも伝わる奇石です

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・木場(内宮造営貯木場)

木場(内宮造営貯木場)

慶安二年(1649年)ごろから昭和十六~十七年ごろまで貯木場があり各地区の川曳用のお木をあずかっていた所で、鹿海町の青年団がお木をあずかりお守りをしていました。
現地立札より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

鏡宮神社は 朝熊神社の御前神とされます

・朝熊神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

鏡宮神社は 皇大神宮(内宮)末社です

・皇大神宮(内宮)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

内宮・外宮の摂社・末社にある゛御前神(みまえのかみ)゛について

本社とする神社の御前(みまえ)にある神の意です

朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ)〈内宮域外の摂社(朝熊神社境内)〉

・朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)

園相神社(そないじんじゃ)に御同座 御前神(みまえのかみ)

・園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

鴨神社(かもじんじゃ)に御同座 御前神(みまえのかみ)

・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

田乃家御前神社 (たのえみまえじんじゃ)〈田乃家神社御同座〉

・田乃家神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御滄川神(おおかみのみさむかわのかみ)

蚊野御前神社 (かのみまえじんじゃ)〈蚊野神社御同座〉

・蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)

田上大水御前神社 (たのえおおみずみまえじんじゃ)〈外宮域外の摂社〉

・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)〈伊雑宮 所管社〉

・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)《主》佐美長御前神

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)〈内宮の末社〉

鏡宮神社は 朝熊神社の御前神とされます 朝熊神社の境内に朝熊神社が建てられたため 現在地に遷座

・鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉《主》岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)
〈朝熊神社の御前神 岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する〉

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の摂社・末社について

お伊勢さん125社について

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄鳥羽線 朝熊駅から北へ約1.9km 車5分程度

五十鈴川(いすずがわ)と朝熊川(あさまがわ)の合流地点の東岸にある丘に 朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉が鎮座します

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朝熊神社社頭は朝熊川の東岸〈写真の右側〉で 目の前に朝熊川の西岸〈写真の左側〉と五十鈴川の合流地点があり その三角州〈朝熊川の西岸〉には゛鏡宮神社゛が鎮座します

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正式な参拝順序は 先に朝熊神社へ参った後 朝熊御前神社に参るのが正しいと伝わりますので゛朝熊神社゛へ

・朝熊神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊川に架かる歩道橋〈朝熊橋〉を渡り 朝熊神社から鏡宮神社へ 

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こんもりとした森の中にあるようです

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鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉に参着

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参道には 神宮司庁の立札があります

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向かって左手には 五十鈴川が流れています

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殿にすすみます

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お祈りをしま

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます

古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待つ〉

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『伊勢参宮名所図会 』巻之下 (大日本地誌大系 第4,11冊)に記される伝承

朝熊神社は 江戸時代初期 寛文3年(1663)大宮司・河辺精長(かわべきよなが)により 現在地に復興〈その際 掘り出された石の上に古鏡あり〉

この時 不明となった社地の選定は かなり苦慮されたと伝わり 社地の整備が進められた折には 掘り出された石の上に古鏡があり その下に鏡を守るかのように蟠屈(ばんくつ)した小蛇が見え この小蛇が自ら新殿に蟠居した奇瑞を得て 人々は驚し 社地選定に苦慮した大宮司らは勇気づけられたと云い伝えられている 此の事が記されています

【抜粋意訳】

鏡宮(カカミノミヤ)

朝熊より五町、鹿海村の内 晝川村尾崎に在り。

石上御前の社と云。
是は小朝熊の社の神の神鏡を祭りたる所なり。神鏡の事は、正治年中の解文に有。
社頭並に神鏡も飢世のと跡なく亡せしを寛文年中 大宮司精長社頭造立の時土中よの形ちなもの多く掘出せし内に、一つの古鏡圓規損せざるを得たり。小蛇其外に蟠伏して守護のごとし。依之神鏡なる事をし更に新殿を造立し鏡を納めんとするに此小蛇自ら新殿の内に蟠居す人々恐驚して今に鏡と共に神體と祭れりと云。
此所に獅子伏石・汐干石等あり。

【續拾遺】
神代より光うをとめて朝熊や、かヾみの宮にすめる月影

【原文参照】

蔀関月 著『伊勢参宮名所図会』巻之下,大日本地誌大系刊行会,大正4-5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/952765

鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

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