出雲大社(出雲市)【後編】

出雲大社(いずものおおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(okuninushi no okami)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(amatsu kami)」が 天日隅宮(amenohisumi no miya)を献上されたことに始まるとされています

目次

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「出雲大社(izumo ooyashiro)」のお詣りです

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

【御祭神】《主》 大国主大神(okuninushi no okami)はどちら向きに鎮座 ?

御祭神は 実は 西を向いて鎮座されておられます

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「御神座正面(okamino imasuno shomen)」があり 御本殿を横から拝礼するのですが 実はここが正面です
「八足門(yatsuashi mon)」からぐるりと回ってる垣を「瑞垣(mizu gaki)」の西側にあります

案内看板より

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御祭神 大國主大神のお鎮まりになる御本殿の正面は南向きですが 殿内の御神座は西向きとなっています。

昔より御参拝の皆様は大神様に向い合い御神座正面から拝しております。

先づ御本殿正面で御拝礼の後 瑞垣に沿って摂末社を参拝され、御神座正面に当たる此の場所より 再度心を込め拝礼なさいます。

どうぞ御拝礼下さいませ。 出雲大社 「拝礼作法」 二拝四拍手一拝

案内看板より

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

一畑電車 大社線の「出雲大社前駅」にて下車 ここから徒歩

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参道の一般道路が石畳になっている ちょっとお洒落な「神門通り」には 新しいお店も増えていて 人通りもあり 活気があります(写真は早朝)
歩きながら「勢溜(sei damari)」に着きます

「出雲大社(izumo ooyashiro)に到着」

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とても広大な境内ですので 一般的なご参拝順にご紹介します

出雲大社公式HPにある境内案内図です 記事の場所をご確認ください

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「勢溜(sei damari)一の鳥居 と 下り参道」

「勢溜(sei damari)」ここからが 御神域となります
ですので 正式には ここの鳥居が 「一の鳥居」となります

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一礼の後「一の鳥居」をくぐりぬけ 参道を少し進むと下っていきます 上り参道が一般的な神社の参道の中でも 珍しい「下り参道」です

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「祓社(harae no yashiro)《主》祓戸神四柱」

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下り参道の途中 右手に「祓社(harae no yashiro)《主》祓戸神四柱」があり お詣りの祭は 最初にまず ここにお詣りして清めます

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出雲大社公式HP「祓社(はらえのやしろ)」より

御祭神 祓戸四柱の神(はらえどよはしらのかみ)

出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清めていただきます。
祓戸四柱の神とは、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)です。 

正面下り参道と神楽殿前の2箇所お祀りされております。

出雲大社公式HP

「野見宿禰神社(nominosukune jinja)」

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参道から左手は 御祭神の野見宿禰命(nomi no sukune no mikoto)は出雲大社の社家「千家国造家」のご先祖さまで  第11代 垂仁天皇(suinin tenno)の御代に御前相撲で勝ちました「相撲の元祖」とも称えられていて 出雲と相撲の深い関係がわかります

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出雲大社公式HP「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」より

御祭神 野見宿禰(のみのすくね)

野見宿禰は 第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)の別称です。

垂仁天皇の御代7年、当時大和国に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下一の力人がおりましたが、垂仁天皇はこの当麻蹶速に匹敵する者が他にいないだろうかと御下問になられました。

その際、一人の家臣が進み出て、出雲国には野見宿禰という力人がいることを申し出ると、すぐに役人が出雲国へと遣わされ、野見宿禰は朝廷へと趣きました。

そして当麻蹶速と野見宿禰による御前相撲が執り行われ、野見宿禰は見事に打ち勝ち、以降、大和国へ留まって朝廷へ仕えました。

このことが『日本書記』に伝えられていることから、野見宿禰は古くより相撲の祖と称えられ、今日では相撲を始めスポーツを志す人々に篤く信仰されています。

また、野見宿禰が朝廷へ仕えた際、墓陵での殉葬を取り止め、代わって埴輪(はにわ)を納める葬儀を考案。

その功が称えられて焼物に適した土地を与えられ、土部(土師)職(=はじのつかさ)に任じられるなど、文武両道の神として崇められています。

出雲大社公式HP

「祓端(haraehashi)」と「浄の池(kiyome no ike)」

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祓社(harae no yashiro)にお詣りして 少しに参道を下っていき「祓端」を右手に「浄の池(kiyome no ike)」があります 少し静かに休憩すると心が落ち着きます

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「松の参道と中ノ鳥居」

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祓いの橋を越えると参道が広くなります 中央に二列に松並木が並び「松の参道」と呼ばれています

途中の松並木に「中ノ鳥居」があり 参道は 真ん中の松並木と左右の参道の三つに別れます 
真ん中は神さまの通り道・参拝者は通れません 
人は左右の参道を 行きは右側・帰りは行きと反対側 つまり右側の参道を歩きます

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「杵那築の森(kinatsuki no mori)」

東の神苑の奥に 鳥居が見えるところで ここは「杵那築の森(kinatsuki no mori)」という 大社の建築に関する伝説がある聖地です
神代の昔 出雲大社の造営に使用された杵(kine)が納められているという伝説がのこります 

昔 「社」と書き「もり」と読んだように 森が神聖な聖域として 神社のように古い祭祀の場所としての思想を受け継いでいます
ですので 鳥居はあっても 社殿はありません

「御慈愛の御神像とムスビの御神像」

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参道を進んむと 左に有名な神話「大国主大神さまと因幡の白兎」をモチーフとした「御慈愛の御神像」があります

その反対側には「ムスビの御神像」があります これは 昔 国造りをされ終えた「大国主大神(okuninushi no okami)」を幸魂奇魂(saki mitama kushi mitama)が お助けになられた神話に基づき 海の向こうから光がやってきた という神話をモチーフにしています

「手水舎(chozu sha)」

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御本殿に近づき 右手に「手水舎」 竹筒からも清めの水は流れ出ています お清めです

「銅鳥居(do no torii)」

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「銅鳥居(do no torii)」をくぐると「荒垣内(ara gaki)」に入ります 垣根は複数 垣根を越える度に 一段と重要な聖域となっていきます

この「銅鳥居(do no torii)」は 長州藩 第2代藩主 毛利綱広公(mori tsunahiro)が寄進されたものです 毛利家は 大江氏の出と言われ 大江氏の祖は「天穂日命(ameno hohi no mikoto)」です
出雲大社の社家「千家国造家」と同じ氏神であるため 崇敬の念が篤かったとのことです

「神馬・神牛の像」

お詣りです

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「拝殿」

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銅鳥居(do no torii)をくぐると 左前に見えてくるのが「拝殿」大国主大神(okuninushi no okami)に 人々がお願いを申し上げ 御祈願がお取り次ぎされるところです
また「古伝新嘗祭」や「神在祭の神等去出祭」などの重要なお祭りも執り行われます

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「八足門(yatsuashi mon)」

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拝殿の横を進むと「八足門(yatsuashi mon)」があります
御本殿正面に一番近いところです こちらで ご拝礼しましょう

一般の神社とは 拝礼の作法が違いますので ご注意ください
「拝礼作法」 二拝四拍手一拝

※「拝 (hai)」は (90度のお辞儀)

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「おにわ」と「楼門(ro mon)」

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ここより中のご神域のことを「大国主大神(okuninushi no okami)」のお鎮まりになる聖地「おにわ」と申しあげます 

「おにわ」は 通常入ることができません 許可された人だけが入ることができ 正月の三ヶ日は 特別にこの「八足門(yatsuashi mon)」から中に進み 奥にあるもう一つの門「楼門(ro mon)」の前で ご参拝することができます

「御本殿」

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「古代の神殿の柱跡」

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「八足門(yatsuashi mon)」の階段下に 赤く丸い印で書かれたところがあります 古代の高層神殿の柱跡が 発掘された場所の印です

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三本の太い木を束ねて さらに太い柱にし その柱を真っ直ぐに高々と伸ばした上に 古代の出雲大社の神殿があったとされています

「瑞垣(mizu gaki)」

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「八足門(yatsuashi mon)」から ぐるりと回ってる垣を「瑞垣(mizu gaki)」といいます これに沿って 右側から参りましょう

彰古館(shoko kan)の資料写真より

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「十九社(juku sha)(東)《主》八百萬神(yaoyorozu no kami)」

詳しくは こちらの記事をご覧ください

「釜社(kama no yashiro)《主》宇迦之御魂神(ukano mitama no kami)」

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十九社(juku sha)(東)の隣にあります「釜社(kama no yashiro)」ですので 食物全般をつかさどられる神がお祀りされています

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案内板より

出雲大社末社

釜社  かまのやしろ
御祭神 宇迦之魂神 うかのみたまのかみ

由緒
素戔嗚尊の御子神で 食物をつかさどられる神様であり、全国にある稲荷社の御祭神です。
十一月二十三日 夜の古伝新嘗祭の終段では、この御社より奉遷された 御神釜の大前にて 御釜の神事が斎行されます。

祭日 三月二十八日 十一月二十三日

案内板より

「門神社(mikado no kamino yashiro)
            (東)《主》宇治神(uji no kami)」
「門神社(mikado no kamino yashiro)
            (西)《主》久多美神(kutami no kami)」

彰古館(shoko kan)の資料写真より

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「瑞垣(mizu gaki)」の内側 「八足門(yatsuashi mon)」の左右に二つ向かい合って御門を守られる神として 東側・西側にお祀りされています

大国主大神(okuninushi no okami)のお鎮まりになる聖地「おにわ」のご門衛の役として守護される神です
通常は八足門内には入れませんので 近くでお参りすることはできません 瑞垣の外からお詣りです

・御向社(mimukai no yashiro)
          《主》須勢理毘売命(suserihime no mikoto)

詳しくは こちらの記事をご覧ください

・天前社(amasaki no yashiro)
         《主》蚶貝比売命(kisakahime no mikoto)

            蛤貝比売命(umukahime no mikoto) 

詳しくは こちらの記事をご覧ください

・素鵞社(soga no yashiro)
         《主》須佐之男尊(susanoo no mikoto)」

詳しくは こちらの記事をご覧ください

「彰古館(shoko kan)」

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 西に進むと「彰古館(shoko kan)」があります 奉納されたいろいろな「恵比寿・大黒さまの像」などが展示されていたり 出雲大社(izumo ooyashiro)に関わる色々の資料が展示されています 拝観料は安く 開館しているようでしたら ぜひ立ち寄られてください

案内板より抜粋

彰古館 (国)登録有形文化財

明治四十五年(一九一二)、御本殿や宝庫に収蔵されていた宝物・歴史的遺品などを常設の展示施設で公開するための宝物館建設の政府許可を得、大正三年(一九一四)に彰古館を新造開館しました。・・・・・

案内板より

「御神座正面(okamino imasuno shomen)」

御本殿を横から拝礼するのですが 実はここが正面です

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)をご覧ください

「筑紫社(tsukushi no shiro)
           《主》多紀理毘売命(takirihime no mikoto)」

詳しくは こちらの記事をご覧ください

西側には 同じような大きさのお社が二つ並びます

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「氏社(uji no yashiro)(北)
          《主》天穂日命(ameno hohi no mikoto)

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「北側のお社」の御祭神は 天穂日命(ameno hohi no mikoto)をお祀りしています 

天照大御神(amaterasu omikami)の御子神で 大御神から 出雲大社(izumo ooyashiro)の祭祀を司るように命じられます 
以来 その神裔の「出雲国造千家家」が 現在に至るまで「大国主大神(okuninushi no okami)」にお仕えしています

 氏社(uji no yashiro)(南)
          《主》宮向宿禰命(miyamuki no sukune no mikoto)」

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「南側のお社」の御祭神は 宮向宿禰命(miyamuki no sukune no mikoto)をお祀りしています 天穂日命(ameno hohi no mikoto)より 十七代目の神裔で 允恭天皇の元年はじめて國造出雲臣の姓(kabane)を賜りました

「出雲国造千家家」のご先祖さまです お社でお祀りされていますので 特別に大きな業績があったということです

「十九社(juku sha)(西)《主》八百萬神(yaoyorozu no kami)」
東側「十九社(juku sha)」と同様に 

詳しくは こちらの記事をご覧ください

「神楽殿(kagura den)」

神楽殿の御朱印も授与

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西側の門を出て 流れている「素鵞川(soga gawa)」を向こう側に渡り「神楽殿」があります 有名な「大しめ縄」は 日本最大といわれ重さが4.5トンもあります

「出雲国造 千家家」

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神楽殿の前庭を南に出ると すぐ右にある大きな門があります 出雲大社の宮司家である出雲国造千家家のお屋敷の門です

西門から参道を戻り 東門へ向かいます

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「出雲国造 北島家」

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出雲国造 北島家へ向かい 「天神社」などへお詣りをします

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再び正面参道に戻り 松並木を左に見ながら 下り参道を上り「勢溜(sei damari)」へ戻ります

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 出雲大社(izumo ooyashiro)に振り返り一礼 

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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

「出雲大社(izumo ooyashiro)創建の伝承」について

『古事記(kojiki)』『日本書紀(nihon shoki)』では 「国譲り神話」の中で 天津神(amatsu kami)が 大国主命(okuninushi no mikoto)に捧げる社として 杵築大社(出雲大社)を造営する話となっています
一方 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』には 『記紀神話』とは全く違う内容の伝承が残ります

『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』出雲郡(izumo no kori)条

『意訳』
『杵築郷 郡家の西北二十八里六十歩にあります

八束水臣津野命(yatsukamizu omizunu no mikoto)が 国引きをなされた後に  所造天下大神(amenoshita tsukurashishi okami)に お宮をお造り申し上げようと 諸の神々たちが お集まりになられ お宮を築きになられました

ゆえに「寸付(kizuki)」といいます 〔神亀3年に字を杵築(kizuki)と改めました〕』

『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記(kojiki)』国譲りの段

大国主命(okuninushi no mikoto)が 国土奉献の大業を終えて 天日隅宮(amenohisumi no miya 出雲大社のこと)にお鎮まりになるときの様子が描かれています

『意訳』
『 私の子どもの二柱の神の申し上げた通りに 私も誓ってはそむきません この葦原中国(ashihara nakatsukuni)は 仰せの通りに献上いたします

ただし 私の住むところは 天つ神の御子が 天つ日嗣(amatsu hitsugi)を継がれて 天照大御神の御心のままに納められている立派な神殿のように 地底の岩盤に届くほどに太い宮柱を立てて 高天原に届くように千木を高々とつけて 神殿を建てるならば 
多くの曲がり角を曲がり曲って 私は遠い幽界(yukai)に隠れておりましょう

また 私の子どもの百八十神(yaso gami)たちは 八重事代主神(yae kotoshironushi no kami)が 先頭に立てば また しんがりとなって お仕えしたならば 背く神は 一神も居ないでしょう」と申し上げました

このように大国主神(okuninushi no kami)が申し上げて
「出雲国の多芸志の小浜(tagishi no obama)」(出雲大社のご鎮座地の古名)に大国主神(okuninushi no kami)のための神聖な宮殿を造っりました

その時 水戸神(minato no kami)の孫の 櫛八玉神(kushiyatama no kami)を 料理人として 神聖な神饌を献上する時に  

祝詞を唱えて 櫛八玉神(kushiyatama no kami)が 鵜(u)の姿となって 
海底にもぐり 海底の粘土を咥えてきて それで神聖な平たい土器(皿)をつくり 海草の茎を刈り取って 火を切り出す燧臼(hikiri usu)を作り また 別の海藻の茎で火をきりだす燧杵(hikiri kiri)を作り 神聖な火をきりだして言いました

「私がきりだした火は 高天原の神産巣日御祖の命(kamimusuhi no mioya no mikoto)の立派な宮殿の煤(susu)が 長々と垂れ下がるまで 焚き上げ 大地の下は 地底の岩盤に届くまで焚き固まらせて 
長い長い楮(kozo)の木の皮で作った釣縄を(延縄漁のように)海中に打ち延ばして 海女(ama)が釣り上げた口が大きく尾鰭も大きい立派な鱸(suzuki)をざわざわと賑やかに引き寄せて上げて 
鱸(suzuki)を載せる台が たわむくらいに沢山盛って 神聖な魚の料理を奉ります」と申し上げました

そこで 建御雷神(takemikazuchi no kami)は 高天原に帰り 天津神のもとに参上し 葦原中国を平定するに至る経緯をご報告申し上げました』

『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『古事記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047400&ID=M2014101021074889308&TYPE=&NO=画像利用

『日本書紀(nihon shoki)』 第九段 本文より

『意訳』
『大己貴神(onamuchi no kami)は 子どもの言葉を受けて 二柱の神に申し上げました

「私が信頼している子どもは 去りました 私も その子どもと同じようにいたしましょう
もしも 私が防ごうとしたならば 国内の諸々の神も同じように防ごうとするでしょう 今 私が避ければ 誰も歯向かう者は無いでしょう」

そして 国を平定したときに 突いた廣矛(hiro hoko)を 二柱の神に授けて 申し上げました
「私は この矛で国を治め 事を成しました 天孫(ame mima)が この廣矛(hiro hoko)を使って 国を納めれば 必ずや 平定出来るでしょう
今から 私は「百不足之八十隈(momotarazu yaso kumade)」に隠居しましょう」(隅は矩磨泥(kumade)と読みます)と言い終えると 御隠れになられました

これによって 二柱の神は 諸々の従わない鬼神の誅罰を終えて 高天原に帰られて ご報告をしました

一説によると…
二柱の神は 邪神と草木・石などを罰して 全てを平定されました そのとき従わなかったのは 星神香香背男(hoshikami no kagaseo)だけでした
そこで倭文神(shitori no kami)の建葉槌命(takehazuchi no mikoto)を派遣すると 従いました それで 二柱の神は 天に昇られました(倭文神は斯圖梨俄未(shitori kami)と読みます)』

『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047400&ID=M2014101021074889308&TYPE=&NO=画像利用

『日本書紀(nihon shoki)』 第九段 一書にいわく

『意訳』
『ある書にいわく

天神(amatsu kami)は 經津主神(futsunushi no kami)と武甕槌神(takemikazuchi no kami)を 葦原中国(ashihara nakatsu kuni)を平定させる為に遣わしました

この時 二柱の神が 申し上げました
「天に悪い神がいます その名を「天津甕星(amatsu mikahoshi)」またの名を「天香香背男(amano kakaseo)」という まずこの神を誅罰して しかる後 葦原中国(ashihara nakatsukuni)に天から降りよう」

この戦いのとき 齋主(ihahi nushi)の神を 齋之大人(iwai no ushi)といいました
この神は現在、東国(azuma no kuni)の檝取(katori)の地に在りました

すなわち この二柱の神は 出雲の「五十田狹の小汀(isada no obama)」に降りて 大己貴神(onamuchi no kami)に申し上げました「あなたは この国を天神(amatsu kami)に譲られますか?」

大己貴神(onamuchi no kami)はお答えになりました「どうゆうことでしょうか? あなたたち 二柱の神が 私の元に来たのではないですか 許せません」

これを聞いた經津主神(futsunushi no kami)は すぐに天に昇り帰り 報告を差し上げました
この時 高皇産靈尊(takamimusuhi no mikoto)は 二柱の神をまた地上に遣わし 大己貴神(onamuchi no kami)にお伝えをするよう命じました

「今 あなた様が おしゃったことは なるほど道理が通っています ですので一つ一つ詳細にご説明をいたしましょう
あなた様が 治められている この世に現れている事はすべて 天神(amatsu kami)が治めるべきです あなた様は 神事(kamu koto)を治めていただきたい
あなた様が お住まいになられる「天日隅宮(ameno misumi no miya)」は 今から お造り申し上げます

千尋(chi hiro)もある 長い栲縄(taku nawa)を180箇所も結んで組み立てます 宮を造るにあたりましては 柱は高く大きく 板は広く厚く いたしましょう また 田もお作り申し上げます
あなた様が 海に遊びに行かれるために 高い橋や浮橋(uki hashi)や天鳥船(ameno torifune)も また お造りいたしましょう

また 天安河(ameno yasukawa)にも打橋(uchi hashi)をお造りいたします
また 百八十縫(momoamariyasonui)の白盾(shira tate)もお作りします
また あなた様の祭祀を司るのは 天穗日命(ameno hohi no mikoto)です」

大己貴神(onamuchi no kami)は お答えになりました
「天神(amatsu kami)の申し出は とても懇切丁寧で わかりましたので 従わない訳にはいかないでしょう 

私が 治める現世のことは 皇孫(sume mima)が治められるのがよろしいでしょう 私は現世から退き 幽事(kakuri koto)の世界を治めましょう」

『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047400&ID=M2014101021074889308&TYPE=&NO=画像利用

”遠き神代に国を譲られた”「大国主大神(okuninushi no okami)」
その偉業に応えて「天神(amatsu kami)」は 神殿として大社(ohoyashiro)を献上します

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「出雲大社(izumo ooyashiro)」に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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出雲大社【前編】もご覧ください

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