居森社(いもりしゃ)は 津島神社の南門大鳥居をくぐると鎮座します 素戔嗚大神が この地に初めて来臨され 神船を高津の湊の森に寄せて奉られた地とされ 蘇民将来の裔孫と云う老女が 霊鳩の詫によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われます 彌五郎殿社〈式内社 國玉神社〉の舊跡とされています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
居森社(Imori sha)
〈弥五郎殿の旧鎮座地〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
愛知県津島市神明町1〈津島神社 境内〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》須佐之男命幸御魂(すさのをのみこと さきみたま)
※『尾張國地名考』には 國玉神社の舊跡として 少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る と記されています
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
〈弥五郎殿の旧鎮座地〉
【創 建 (Beginning of history)】
摂社(せっしゃ)居森社(いもりしゃ)
(愛知県指定文化財)
御社殿
本殿 木造流造 銅板葺
天正十九年(一五九一)豊臣秀吉母、大政所の寄進にて再建
宝暦九年(一七五九)建造御祭神 須佐之男命幸御魂(すさのおのみこと さきみたま)
御神徳 無病息災
由 緒 社伝によると、欽明天皇元年(五四〇)に大神がこの地に始めて来臨され、神船を高津の湊の森に寄せて奉ると、蘇民将来(そみんしょうらい)の裔孫と云う老女が、霊鳩の詫によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われる。
荒御魂(あらみたま)・和御魂(にぎみたま)
奇御魂(くしみたま)・幸御魂(さきみたま)万物は、宇宙の元霊神(天之御中主神 あめのみなかぬしのかみ)の霊を受けており、これを直霊神(なおび)と称します。
古来より人々は、この直霊を四つ(荒御魂・和御魂・奇御魂・幸御魂)に分け、四つを調和統一した直霊の働きの他に、四つそれぞれが独立して人格的に働くことがあると思われてきました・荒御魂(勇猛進取な働き)
・和御魂(平安柔和な働き)
・奇御魂(不思議な働き)
・幸御魂(幸福な働き)又、四霊の別により神名を異にする場合もあります。
現地立札より

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【由 緒 (History)】
『津島町史』に記される内容
【抜粋意訳】
第九編 寺社教會 第一章神社
第九項 攝末社
第一 境内攝社
〇 彌五郞殿社
南門の内本宮の西南にあつて神殿東面す。大己貴命・武内宿禰を祀る。創立年代未詳であるが、南朝の忠臣堀田彌五郎正泰の正平元年七月十三日夢想によつて復興せるもので、願主の名によつて この名を稱ふと傳へる。
津島神社の社地の地主の神であって、津田正生はこの宮を式內國玉神社とし、本國神名帳集説訂考 及 尾張國地名考にこれを論じて居る。
社殿には本殿流造、檜材、屋根檜皮葺、縦一間五尺七寸 横六尺六寸、建坪二坪一合四勺五、拜殿大破風造、檜材、屋根銅板葺、縦二間二尺二寸、横四間一尺二寸、建坪九坪八合七勺、渡折造、檜材、屋根銅板葺、建坪三年七勺五。又 拝殿の南北より本殿の周圍にある瑞垣は檜材、屋根銅板葺、延長二十四間三尺、向拝殿の南なる元の御供所は今物置として使用し、平屋造檜材、屋根瓦葺、縦三間五寸、横二間建坪六坪一合六勺六、島居木造檜材、笠木長一丈三尺、柱長九尺。例祭は十月十五日である。
當社はもと神官 堀田右馬太夫の扣で、永享九年十二月五日祭主右馬太夫父子とある棟札をも存して居るが、現存の棟札によれば寛文十三年六月二十六日造營、享保十五年九月二十六日修復、安永四年九月三日造營、文政三年十二月二十一日造營、慶應二年三月吉日修理、慶應四年九月二十八日造營のことが見える。
〇 居森社
大字向島字居森一千八百五十六番地にあって、須佐之男命幸御魂を祀る、末社疹社は同和御魂を祀って左にあり、末社大日孁社は大日孁命を祀って右にある、各本殿並に拝殿・謹番所・石垣等あり、境内二百九十三坪を有す、元は第一別宮と稱した、社號について尾張志には
天王始て来臨し給ひし時、船を馬津の湊によせて、森の中へ居し奉りし、故居森の社と名づけしよし社傳にいへり。
とあり、又 尾張國地名考には
里老曰、社人は下の宮とも呼は御本社に對していふ、正生謹考奉るに、祭神少彦名神也 既にいふごとく國玉の神社の舊跡なり、〔一説に永享以来 今の神主の第宅に半入たるより宮地狭く成といへり、〕
今三社雙座といへども唯北の一社を居森の神 少彦名の神と爲奉る、あとの二社は空社なり、昔日の宮立をもて是を推ば、中央は大國靈の空社、南は須佐雄ノ尊の空社成べし、〔一説に四百五十年このかたは中を少彦名とし、左右を空社とすべしともいふ〕然るを近世の俗 疹社(いものかみ)とおもふは誤なり、此神はよく疱瘡を守護給ふが故に社號を痘守(いももり)と呼べきを約めて伊毛利といふ、居森の二字は借字なり、社傳に中央を素戔鳥之幸魂を大日孁(おほひるめ)の幸魂(さきみたま)とあるは神座を誤れり、且大日霊の日は國の字の誤る事明白なり、
とある。居森社本殿流造、檜材、屋根銅板葺、縦二間一尺八寸 横一間四尺、建坪三坪八合三勺三、
疹社本殿流造、檜材、屋根銅板葺、縦五尺五寸、横四尺五寸、建坪六合八勺七、
大日孁社本殿流造、檜材、屋根銅板葺、縦一間四尺、横五尺二寸、建坪一坪四勺四、
三社共用拜殿切破風造、檜材、屋根瓦葺、縦三間、横二間二尺、建坪七坪、謹番所縦三間三尺、横二間、建坪七坪〔明治三十七年一月十四日落成〕圍垣十六間三尺〔明治四十年十二月二十七日落成〕當社は天正十九年、正保四年、寶暦九年等に造營のあつたことが見える、例祭は陰曆六月一日である。
【原文参照】

愛知県海部郡津島町 編『津島町史』,愛知県海部郡津島町,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1230991

愛知県海部郡津島町 編『津島町史』,愛知県海部郡津島町,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1230991
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
〔・〈中央〉居森社・〈向かって右〉疹社・〈向って左〉大日孁社〕
三社が並んで祀られています

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・末社〈向かって右〉疹社(はしかのやしろ)

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末社(まっしゃ)疹社(はしかのやしろ)
御社殿
本殿 流造 銅板葺
摂社居森社同年建造御祭神 須佐之男命和御魂(すさのおのみこと にぎみたま)
御神徳 疹(はしか)と疱瘡(ほうそう)の守護
由 緒 古来より桟俵(きんたわら) (米俵の蓋 )にー合徳利の酒と赤飯を載せ、赤い御幣を挿して、三本のわら縄で境内の木に吊り下げて、子供の疹や疱瘡の軽症を祈願する信仰が行われていた。
現地案内板より

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・居森社の社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・居森社(津島市神明)は 津島神社の境内社 彌五郎殿社〈式内社 國玉神社〉の舊跡とされています
・彌五郎殿社(津島市神明)〈津島神社の境内〉
・居森社(津島市神明)は 津島神社の境内 摂社です
居森社は 津島神社の発祥地ともされています
・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)海部郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 國玉神社
[ふ り が な ](くにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kunitama no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
゛國魂〈国玉〉神(くにたまのかみ)゛を祀ると想われる゛延喜式内社゛について
・國魂神・国靈神・国玉神とも書く
古代の日本人は 国土には それぞれ神威〈靈威〉が内在していて その神威〈靈威〉の盛衰が国の興亡をも左右する 國を治める神靈゛国魂(くにたま)゛であると考えており 国魂の霊威は 国土そのものの神霊を云う爲 国の支配権にも結び付いた信仰の形態となっていったと云う
延喜式内社 山城國 久世郡 水主神社十座(並 大 月次 新嘗・就中同 水主坐天照御魂神 水主坐山背大国魂命神 二座預相嘗祭)(みぬしの かみのやしろ)
・水主神社(城陽市水主宮馬場)
延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社 三座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほやまとにます おほくにたまの かみのやしろ みくら)
・大和神社(天理市新泉町)
延喜式内社 和泉國 日根郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)
・國玉神社(泉南郡岬町深日)
延喜式内社 攝津國 東生郡 難破坐生國咲國魂神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(なにはにいます いくくにさき くにたまの かみのやしろ ふたくら)
・生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)
延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくたまの かみのやしろ)
・河内國魂神社(神戸市灘区国玉通)
・綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)
延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)
・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會國御神社(わたらひの くにみかみの やしろ)
・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)
・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大国玉神社(松阪市六根町)
延喜式内社 尾張國 海部郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)
・国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町大字万場字郷中)
・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉
・居森社(津島市神明)
〈津島神社の境内 弥五郎殿の旧鎮座地〉
・彌五郎殿社(津島市神明)
〈津島神社の境内〉
延喜式内社 尾張國 中嶋郡 尾張大國霊神社(貞)(をはりおほくにたまの かみのやしろ)
・尾張大國霊神社(国府宮)
延喜式内社 遠江國 磐田郡 淡海国玉神社(あはうみの くにたまの かみのやしろ)
・淡海國玉神社(磐田市見付)〈遠江總社〉
延喜式内社 常陸國 眞壁郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大國玉神社(桜川市大国玉)
延喜式内社 上野國 佐位郡 大國神社(おほくに かみのやしろ)
・大國神社(伊勢崎市境下渕名)
延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)
・大國魂神社(いわき市平菅波宮前)
延喜式内社 能登國 能登郡 能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこの かみのやしろ)
・能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)
・能登生國玉比古神社(中能登町)
・能登部神社(中能登町)
延喜式内社 出雲國 出雲郡 杵築大社〈名神大〉(きつきの おおやしろ)
・出雲大社〈大国主神を祀る〉
延喜式内社 淡路国 三原郡 大和大國魂神社(貞・名神大)(やまとのおほくにたまの かみのやしろ)
・大和大國魂神社(南あわじ市榎列上幡多)
延喜式内社 阿波國 美馬郡 倭大國玉神 大國敷神社二座(やまとおほくにたまのかみ おほくにしきかみの やしろ ふたくら)
・医家神社(三好市池田町)
・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)
〈医家神社 旧鎮座地〉
・倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)
・倭大國敷神社(美馬市脇町拝原)
延喜式内社 壹岐嶋 石田郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)
・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)
延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大國魂神社(しまおおくにたまの かみのやしろ)
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島大國魂神社(対馬 豊)
・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)
・島大國魂神社(対馬 御岳)
延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大国魂神御子神社(貞)(しまおほくにたまのかみの みこの かみの やしろ)
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島御子神社(対馬 曽)
・国本神社(対馬 瀬田)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
名鉄線 津島駅から西へ約1.4km 車で5分程度
津島神社の南門大鳥居をくぐってすぐ左側です

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居森社(津島市神明〈津島神社 境内〉)〈弥五郎殿の旧鎮座地〉に参着

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一礼をしてから 鳥居をくぐると すぐに割拝殿があります

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立札があり 素戔嗚大神が この地に初めて来臨され 神船を高津の湊の森に寄せて奉られた地とされ 蘇民将来(そみんしょうらい)の裔孫と云う老女が 霊鳩の詫によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われる と記されています

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割拝殿を抜けると 本殿の前に賽銭箱が置かれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
〔・〈中央〉居森社・〈向かって右〉疹社・〈向って左〉大日孁社〕の三社あり

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居森社は 津島神社の発祥地ともされています
津島神社にお参りをします
・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉
津島神社の南門大鳥居を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 國玉神社について 所在は゛在所詳ならず゛とあり 所在不明と記されています
【抜粋意訳】
國玉神社
國玉は久爾陀麻と訓べし
○祭神 大國玉命、〔考證〕
○在所詳ならず
集説に、與に中島郡 國霊社不同歟、以に伊勢國 度會郡 大國玉社之例謂之、則此社 盖海部直祖神乎、と云るはいかやあらん、
類社
和泉國 日根郡 國玉神社の條見合すべし神位
國内神名帳云、從二位 國玉名神、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 國玉神社について 所在は゛今 海東郡戸田庄万場村 八劔社の相殿に坐り、゛〈現 国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町万場)〉と記されています
【抜粋意訳】
尾張國 海部郡
國玉(クニタマノ)神社
〔〇按 尾張國内神名帳、國玉を太國玉に作る、〕
今 海東郡戸田庄万場村 八劔社の相殿に坐り、〔尾張式社確實記、愛知縣神社調、〕
大物主命を祀る、〔社傳説、尾張國内神名帳、〕
凡正月十五日、五月五日 十一月卯日 祭を用ふ、〔愛知縣神社調、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 國玉神社について 所在は゛戸田庄萬場村 今属 海東郡(海東郡富田村大字萬場)゛〈現 国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町万場)〉と記されています
他の説として゛彌五郞殿宮是なりとあり 此宮は津島社内にあり゛〈現 〈津島神社の境内〉彌五郎社(津島市神明)〉を挙げています
【抜粋意訳】
國玉(クニタマノ)神社
祭神 大物主命
祭日 正月十五日 五月五日 十一月初卯日
社格 郷社
所在 戸田庄萬場村 今属 海東郡(海東郡富田村大字萬場)
今按 尾張式内神社錄に 尾張地名考に 國玉の本因は今 彌五郞殿宮是なりとあり 此宮は津島社内にありて元祿文化の呈記に國玉神社と云ことみえず 確に確證なし
但 萬場村 八劔社の相殿にます國玉神社は享祿三年棟札に國玉名神と記し既に明治元年に官帶使もありと云り 今之に因て決め記せり
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
居森社(津島市神明〈津島神社 境内〉)〈弥五郎殿の旧鎮座地〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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