日御碕神社(島根町野波)

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は 野波浜の西に鎮座します 古記録に「古くは この西方 御(島にあった大波のため破損 天正9年(1581)この地に遷座」とり 又 合祀された日吉神社の祭神が本宮地へ里帰りされる秋の祭礼 奇祭「ガッチ祭り」があります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

日御碕神社(Hinomisaki shrine)

 [通称名(Common name)]

野波日御碕神社(のなみひのみさきじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

島根県松江市島根町野波313

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大御神(あまてらすおおみかみ)

明治42年に野波の権現山にあった「日吉神社」を合祀〉
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

国土平安・五穀豊穣・生命力向上

【格  (Rules of dignity)

出雲市大社町日御碕の日御碕神社の御分霊

【創  (Beginning of history)】

日御碕神社 御由緒

主祭神 天照大御神
    建速須佐之男命

祭 日 祈年祭 四月十一日
    例大祭 十月二十四日
    新嘗祭 十一月二十五日

 
当社 創立年代は不詳
古くはこの西方 御(島にあった
天正八年(1580)年12月17日 夜大波のため破損  天正9年3月この地に移転しったという古記あり

神 事
野波村大字野波前田に鎮座された日吉神社を明治42年 日御崎神社に合してから 毎年10月23日 元の宮所に神幸式が行う

社頭の案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

日御碕神社(Hinomisaki jinja)(野波浦 のなみうら)

祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
   建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

歴史の足跡
『出雲国風土記』島根郡条の「野浪浜」、現・野波の最西端に鎮座するのが日御碕神社である。
社伝では かつては西方海中の雄島に鎮座していたが、天正八年(1580)に大波で破損、現・社地に遷座という。大社町の日御碕神社の分霊を勧請したのはそれ以前となる。雄島は雄の「グり(岩礁)」とすれば黒島(オグリ島)のことであろうか。
 秋の祭礼、奇祭として知られる「ガッチ祭り」は合祀された日吉神社の祭神が里帰りされる祭りで、「祇園社神幸祭」の別名をもつ。春には「チューリップロード」の七百本に及ぶ桜並木が咲き誇り、野波の風物詩を歌い上げる。
島根半島四十二浦巡り再発見研究会
[島根県観光素材造成支援補助事業により設置]より

Please do not reproduce without prior permission.

由緒

野波村前田地区に鎮座す日吉神社を明治42年 日御碕神社に合祀してより後、毎年元つ宮所に神幸式を行う。ガッチ祭。
島根県神社庁HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿向かって左手より
荒神
・歳徳神
高神社(多賀明神)《主》伊弉諾尊
八幡宮《主》誉田天皇
住吉社石祠

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

出雲風土記733 AD.に記された
野浪(のなみはま広さ二百八十歩 東也有神社(東の辺りに神社り)」について

野浪(のなみはま広さ二百八十歩 東也有神社(東の辺りに神社り)」と記されている事象について 現在の状況と比較してみます

現在の 野波浜の東には社はありません
浜の西に日御碕神社」があり 古記録に「古くはこの西方 御(島にあったが 夜大波のため破損 天正9年(1581)3月この地に移転しったというがあります しかし出雲風土記733 AD.』の時代には 野波浜に鎮座していません
合祀された日吉神社は 野波浜の中央部の東 前田地区に鎮座しました

現在の 小波(小)浜には 浜の東に「奴奈彌神社〈元 國司明神」があります 記述に一致します

出雲風土記733 AD.記載の尺度は「天平尺(てんぴょうじゃく)」

「風土記」編纂の官命は 和銅六年(713)に発令
出雲風土記』は 詳細な距離の記述があり その記載は新尺度として「唐尺」が導入された律令時代以降に使われ定着していた「天平尺(てんぴょうじゃく)」との見解が一般的です

「天平尺」では 一尺が0.297m 六尺で一歩となり 一歩は 1.782m になる
このため「野浪(のなみはま広さ二百八十歩
1.782m × 280歩 = 498.96m(約500m)となります

浜の広さ(約500m)から見ると 現在の小波(小は約500mです
野波は1km近くあり 湾内の狭い箇所でも600mはあります

これらを見た時に 古は 小波(小野浪=奴奈彌」の中心であったとの説が有力視されてきます

日御碕神社(島根町野波)

奴奈彌神社(島根町野波小波)

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

野波海岸の西端 漁港入り口近く 野波の浜の西 県道37号沿いに鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

日御碕神社(島根町野波)に参着
一礼をして鳥居をくぐると 社号標には「日御碕神社」とあり 続いて隋神門が立ちます

Please do not reproduce without prior permission.

境内に構える出雲式の狛犬

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の奥には 幣殿 本殿が鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.島根郡にある伝承

【意訳】

野浪(のなみはま〈現 松江市島根町野波小浜の海岸

広さ二百八十歩
東の辺りに神社有り また百姓(おおみたから)の家が有る

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『雲陽志(unyo shi)1835AD.』島根郡 野波 にある伝承

『雲陽志(unyo shi)では

「日御碕大神宮」と記され
素盞嗚尊(すさのおのみこと)大日孁貴神(おおひるめのむちのみこと)五男三女を祭る
本社 八尺に七尺五寸 東向き 幣殿九尺に七尺五寸 拝殿 二間 梁五間半 隋神門あり

祭礼 九月二十九日 十月五日 七座の神事あり
元和四年造立の棟札あれも 勧請年代不分明
宮山の中に亀瀧 住吉松とて古木二株あり 里民の伝えもなければ いかなる故あるも知る人なし」 と記しています

【原文参照】

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

日御碕神社(島根町野波)に (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-その他の神社
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.