延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

新屋坐天照御魂神社(西河原)

新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)は 3社(・西福井・宿久庄・西河原)があり その中で中心的とされるのが(西福井)です 異説では『倭名類聚抄』にある「新屋郷」は 当地(西河原)の事であり元社とする説 又 享保14年(1729~1734)編纂『五畿内志(ごきないし)』や『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』〈寛政8年(1796)-寛政10年(1798)刊行〉でも 当地(西河原)を 3社の中心地としています

新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

新屋坐天照御魂神社は 3社(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的な地位を占めるのが(西福井)で背後にある「日降丘」に神が降臨したのが創建とされ その後 神功皇后が荒魂を当地(宿久庄)に勧請したと伝えられています

和爾坐赤阪比古神社(和爾町)

和爾坐赤阪比古神社(わににますあかさかひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の古社ですが 創建はさらに古く不詳です 鎮座する場所についての記述としては『日本書紀』〈養老4年(720)編纂〉に 第10代 崇神天皇(スジンテンノウ)〈在位 BC97~BC 37年頃〉10年の条に「忌瓮(イワイベ)〈儀式用の瓶〉を 和珥(ワニ)の武鐰坂上(タケスキサカノウエ)に鎮座(チンザ)」と 祭祀の場として記されています

和爾下神社(大和郡山市横田町)

和爾下神社(わにしたじんじゃ)は 二座あり 櫟本(イチノモト)と横田(ヨコタ)に鎮座します 横田に鎮座する当神社「和爾下神社」は 本来は 横田(ヨコタ)氏の氏神であると伝わり 横田氏の本姓は 物部(モノノベ)氏であり『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』にいう饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の降臨の際に 随従した天物部(アメノ モノノベ)25部の中に横田物部(ヨコタモノノベ)氏があり その苗裔(ビョウエイ)との説があります

新屋坐天照御魂神社(西福井)

新屋坐天照御魂神社(にいやにます あまてるみたまじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈推定在位 BC97~BC30年〉が 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)に命じ 天照御魂大神(あまてるみたまのおほかみ)を奉祀とあり 亦名を 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテル クニテルヒコ アメノホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト)と云い 神武天皇即位前に大和国を治められていた尊い神であるとされます 創建から2100余年の長い歴史と高い社格を誇る延喜式内名神大社です(西福井)(宿久庄)(西河原)に3社の論社があり その中で中心的な存在が 一般に当神社(西福井)です

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