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國津意加美神社(壱岐市郷ノ浦町本村触)
國津意加美神社(くにつおかみじんじゃ)は 社記に 神代 素盞嗚尊が韓国を巡られて 御帰朝の際 壱岐国 郷ノ浦江上に着岸され 後に宮殿を建て村浦の宗廟と崇敬し奉ってきた妙見宮と申す と伝わり 壱岐嶋に24座ある式内社の一つで 藩政時代には毎年の祭礼に藩主の代参があったほどの由緒ある神社です
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本宮八幡神社(壱岐市勝本町本宮西触)
本宮八幡神社(ほんぐうはちまんじんじゃ)は 社縁起に兵主神社であり八幡宮と称すとあり 聖母縁起に 本宮八幡宮は 中住吉大明神 左誉田尊 右息長帯姫尊を祭る 神功皇后 三韓退治の時 住吉大明神の出現ありて神力を添へ給ふ故 当社住吉大明神を兵主神社と称す也とあり 式内社 兵主神社であると有力視されています
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兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)
兵主神社(ひょうすじんじゃ)は 元々は日吉山王と称し奉っていましたが 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉によって 聖母神社〈現 聖母宮〉を日吉山王権現と査定し 現 兵主神社を聖母神社と査定して 式内社 壱岐郡 兵主神社 名神大と比定されました 其の後この処置が誤りであると藩も認め 聖母宮は元に戻りましたが 兵主神社はそのままと据え置かれています
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大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)
大國玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 社伝に 嵯峨天皇 弘仁二年(811)草創と伝わり 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉で 式内社 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)と比定されました それ以前は 田原天神(たいばるてんじん)と称されていました
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比賣神社(壱岐市芦辺町深江鶴亀触)
比売神社(ひめじんじゃ)は 太古 目の前が海岸〈湿地帯〉であった時 真埼(まさき)の渡所であったので砥宮(とのみや)〈渡ノ宮〉と呼ばれていた 式内社 弥佐支刀神社(みさきとの かみのやしろ)は 御崎渡(みさきと)の意であり 壱岐氏系譜にも 弥佐支刀社に壱岐眞根子連〈玉比賣の遠祖〉を祀るとあり 式内社の論社とされます
