-
京中に鎮座する 3座『延喜式神名帳』の所載一覧
『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂された 当時の官社の一覧表です このページには 「京中」に鎮座する(3座…大(預月次新嘗)3(うち預相嘗2))神社の一覧表です 現在の論社を掲載しています
-
宮中に鎮座せらる式内社 36座『延喜式神名帳』の所載一覧
『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されていますこのページは
「宮中」に鎮座する(36座…大(預月次新嘗)30・小6)神社の一覧表です
-
伊佐山神社(大東町遠所)
伊佐山神社(いさやまじんじゃ)は 遠所川の清流に守られて『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の社が鎮座しています 御祭神は「瓊々杵尊(ninigi no mikoto)」の妻神となられた姉妹の女神を祀ります 出雲の地にある古社としては 稀ですが天孫降臨で名高い「大和の皇子」ゆかりの神々を祀ります
-
八神殿(宮中 神殿に鎮座)
八神殿(hasshin den)は 「天皇守護の神」と言われる「八神」を祀り 古代日本において 国家祭祀の中枢として「宮中神祇官 西院」に祀られて 神祇官が 祭祀を司ってきた神殿です
神祇官西院の西北に八神殿として 八社南北に東面して並んでいたと伝わります
現在は 宮中三殿の「神殿」において 祭祀は 継承していると云われています
-
白山比咩神社(白山市三宮町)【後編】
白山比咩神社(白山市三宮町)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされています 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」で 境内には「白山奥宮 遥拝所」があり ここからお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 奥宮が鎮座するのは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つに数えられる白山(haku san)標高2,702 mです 神体山として崇められて その山頂に奥宮は鎮座します
-
白山比咩神社(白山市三宮町)【前編】
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされ 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」 境内にある「白山奥宮 遥拝所」からお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 神体山として崇められる 白山(haku san)標高2,702 mは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つで その山頂に奥宮は鎮座します
-
八本杉(雲南市木次町)Eight Cedar Trees
八本杉(はちほんすぎ)は 神代より「しるしの杉なり」八岐大蛇(yamata no orochi)の「8つの角」を埋めた所なりと伝わります 『出雲国風土記』に記されている「樋社(hi no) yashiro」の旧鎮座地とされています
-
斐伊神社(雲南市木次町)
斐伊神社(ひいじんじゃ)は 「肥(hi)の河上」に鎮座する社とされています 斐伊神社(hii shrine)の古史伝の記載では 武藏國一之宮「大宮氷川神社」(さいたま市大宮)は 孝昭天皇5年に分霊奉遷したものとしています これによれば 東京都・埼玉県に数多く分布する氷川神社(hikawa shrine)の発祥の元宮となります
-
船林神社(雲南市大東町北村)〈船林社『出雲國風土記733 AD.』不在神祇官社〉
船林神社(ふなばやしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「船林社(ふなはやし)のやしろ」の論社で 『出雲国風土記』には 鎮座する「船岡山」について 「阿波枳閉委奈佐比古命(あわ きへ わなさひこのみこと)が 曳いてきて据えた船が 山になったので「船岡」という」伝承が記されます
-
宇能遲神社(雲南市加茂町)
宇能遲神社(うのちじんじゃ)は 『出雲國風土記』屋裏郷(yauchi no sato)の伝承「古老が伝えて言うには「所造天下大神(amenoshita tsukurashishi okami)=大国主命」が 笶(ya)を 殖(ta)て 令(shi)めなさった所であります だから 矢内(yauchi)といいます」に通じる「矢聲神事(yagoe no shinji)」を今に伝えます
-
石壺神社(雲南市木次町)
石壺神社(いわつぼじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社の 2つの論社となっています 又 境内には「尾呂地神社(orochi shrine)」があり ここには「八岐大蛇(yamata no orochi)の尾」が祀られていると伝わります
-
飯石神社(雲南市三刀屋町多久和)
飯石神社(いいしじんじゃ)(多久和)は 「伊毘志都弊命(iishitsube no mikoto)」の天降られた盤石を御神体としています その「磐座(iwa kura)」は荒垣で囲まれて拝殿の奥に坐ます 直接神体を拝むことができ 磐境 磐座という古代の聖地形態を伝えています 境内社の託和神社(たくわじんじゃ)は 吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀ります
-
鹽冶神社(出雲市上塩冶町)
鹽冶神社(えんやじんじゃ)は 「大國主命(okuninushi no mikoto)」の御孫神「鹽冶毘古命(yamuya hiko no mikoto)」を祀ります 江戸時代に流行した『仮名手本忠臣蔵』の主役「塩谷判官(enya hangan)」はこの子孫になります
-
洲崎神社(館山市洲崎)〈延喜式内 大社・安房國一之宮〉
洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります
-
熊野神社(馬木町)
熊野神社(くまのじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載の「久奈爲神社(kunai no kamino yashiro)」論社の可能性があります
-
久奈子神社(出雲市古志町)
久奈子神社(くなこじんじゃ)は 眼下に広がる「出雲の平野」を一望のもと見渡せる「栗栖山(久留須山)」の山腹に坐ます
-
美談神社(出雲市美談町)の境内社について
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
-
美談神社(出雲市美談町)
美談神社(みたみじんじゃ)は かつて『出雲國風土記』に御祭神「和加布都奴志命(Waka futsunushi no mikoto)」が祀られていた「彌太彌(Mitami no)社」として所載されていました 「彌太彌(Mitami no)社」は全部で13社あったと記されています 現在の美談神社は その13社全てと 他の所載の論社と合わせて 風土記所載の論社が「16社」も境内に合祀されて坐ます
-
葦原神社(出雲市西郷町)
葦原神社(あしはらじんじゃ)は ・縁結び・家内安全・五穀豊穣・厄除け「全て成就」のお宮とされています 御祭神は「大国主神」の亦の名「葦原魂男命(ashihara shikoo no mikoto)」を祀ります 古事記上巻の大国主神の事績の条に「大国主の神」は 五つの御名があるがその内の亦の名が「葦原の色許男の神」であると記されています
-
久多美神社(出雲市東福町)
久多美神社(くたみじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の論社2社が鎮座します 「久多美社(kutami no)yashiro」の分霊を永保元年(1081)「御本殿」に奉遷・同時期に「同久多美社(onajiki kutami no)yashiro」も「境内の三女社」に分霊奉遷します