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宇能遲神社(雲南市加茂町)
宇能遲神社(うのちじんじゃ)は 『出雲國風土記』屋裏郷(yauchi no sato)の伝承「古老が伝えて言うには「所造天下大神(amenoshita tsukurashishi okami)=大国主命」が 笶(ya)を 殖(ta)て 令(shi)めなさった所であります だから 矢内(yauchi)といいます」に通じる「矢聲神事(yagoe no shinji)」を今に伝えます
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石壺神社(雲南市木次町)
石壺神社(いわつぼじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社の 2つの論社となっています 又 境内には「尾呂地神社(orochi shrine)」があり ここには「八岐大蛇(yamata no orochi)の尾」が祀られていると伝わります
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飯石神社(雲南市三刀屋町多久和)
飯石神社(いいしじんじゃ)(多久和)は 「伊毘志都弊命(iishitsube no mikoto)」の天降られた盤石を御神体としています その「磐座(iwa kura)」は荒垣で囲まれて拝殿の奥に坐ます 直接神体を拝むことができ 磐境 磐座という古代の聖地形態を伝えています 境内社の託和神社(たくわじんじゃ)は 吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀ります
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鹽冶神社(出雲市上塩冶町)
鹽冶神社(えんやじんじゃ)は 「大國主命(okuninushi no mikoto)」の御孫神「鹽冶毘古命(yamuya hiko no mikoto)」を祀ります 江戸時代に流行した『仮名手本忠臣蔵』の主役「塩谷判官(enya hangan)」はこの子孫になります
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洲崎神社(館山市洲崎)〈延喜式内 大社・安房國一之宮〉
洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります
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熊野神社(馬木町)
熊野神社(くまのじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載の「久奈爲神社(kunai no kamino yashiro)」論社の可能性があります
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久奈子神社(出雲市古志町)
久奈子神社(くなこじんじゃ)は 眼下に広がる「出雲の平野」を一望のもと見渡せる「栗栖山(久留須山)」の山腹に坐ます
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美談神社(出雲市美談町)の境内社について
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
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美談神社(出雲市美談町)
美談神社(みたみじんじゃ)は かつて『出雲國風土記』に御祭神「和加布都奴志命(Waka futsunushi no mikoto)」が祀られていた「彌太彌(Mitami no)社」として所載されていました 「彌太彌(Mitami no)社」は全部で13社あったと記されています 現在の美談神社は その13社全てと 他の所載の論社と合わせて 風土記所載の論社が「16社」も境内に合祀されて坐ます
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葦原神社(出雲市西郷町)
葦原神社(あしはらじんじゃ)は ・縁結び・家内安全・五穀豊穣・厄除け「全て成就」のお宮とされています 御祭神は「大国主神」の亦の名「葦原魂男命(ashihara shikoo no mikoto)」を祀ります 古事記上巻の大国主神の事績の条に「大国主の神」は 五つの御名があるがその内の亦の名が「葦原の色許男の神」であると記されています
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久多美神社(出雲市東福町)
久多美神社(くたみじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の論社2社が鎮座します 「久多美社(kutami no)yashiro」の分霊を永保元年(1081)「御本殿」に奉遷・同時期に「同久多美社(onajiki kutami no)yashiro」も「境内の三女社」に分霊奉遷します
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玖潭神社(出雲市久多見町)〈出雲國風土記・延喜式神名帳の所載社〉
玖潭神社(くたみじんじゃ)は 「所造天下大神命=大穴牟遅大神(onamuji no okami)」を祀ります 『出雲國風土記』には「玖潭(kutami)」の地名の呼称由来として 御祭神が「にわか雨が くたみ(弱り)やまむ」と云われたからと伝承として記されています
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
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草野神社(松江市上大野町)
草野神社(かやぬじんじゃ)は 江戸時代までは八幡宮でした 明治元年に「草野社」(『出雲國風土記』所載)の論社とされていた「杠(yuzuriha)神社」が合祀遷座されます これを機に明治8年から「草野神社(kayanu shrine)」と呼称を改めた由緒を持ちます
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杠神社 跡地(松江市上大野町)
杠神社(ゆずりはじんじゃ)跡地は 明治39年(1906)の神社合祀令後も 里人は以前のまま 祀り続けていました由緒ある神社です 現在は 草野神社(島根県松江市上大野町1856)に遷座していますが 現地には「鳥居」「狛犬」「石灯篭」「手水石」が残り御本殿の跡に「杠神社 跡地」と社号碑が建ち 今なお 静かにたたずみ坐ます
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佐太神社(松江市)【後編】
佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
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佐太神社(松江市)【前編】
佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
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蜛蝫神社(八束町江島)
蜛蝫神社(たこじんじゃ)は 『出雲國風土記』に「杵築の御崎(kizuki no misaki)」にいた「蜛蝫(tako)」が「天羽々鷲(羽の広く大きな鷲)」に捕らえられて運ばれてきた島「蜛蝫島(tako shima)」にあったとの伝承を持ちます
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久良彌神社(松江市)
久良彌神社(くらみじんじゃ)は 『出雲國風土記』の中に登場する有名な「国引き神話(kunibiki shinwa)」で「国来 国来」と引いて来こられて 宇波折絶(unami no oritae)から縫へる国は「闇見の国(kurami no kuni)」とされている 「闇見の国(kurami no kuni)」の総社です
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支布佐神社(安来市吉佐町)
支布佐神社(きふさじんじゃ)は 『出雲國風土記』に「支布佐社(kifusa no) yashiro」が2社ありますが 双方の論社です 本殿の「支布佐神社《主》天穂日命(amano hohi no mikoto)」と「境内社の国津神社《主》天津子命(amatsuko no mikoto)」がこれに相当します