走落神社(高月町馬上)

走落神社(はしりおちじんじゃ)は 高月町馬上(まけ)にあり 社伝によると神亀年間(724~729)の創祀と伝わる延喜式内社です 仁和年間(885~889)の頃 この地で名馬が産まれ 宇多天皇に献上し「馬上」の 2文字の宸筆の額を賜り その後 祠堂を建立し 鳥居に「馬上」の額を掲げ この鳥居を通過する際は 必ず下馬し拝礼したと伝わっていますが 天明 7 年(1787)大火で この扁額や社蔵文書を焼失しています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

走落神社(Hashiriochi Shrine)
(はしりおちじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

滋賀県長浜市高月町馬上1181

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天児屋根命(Ameno koyane no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

当初の創祀については 度重なる火災の為め 社蔵の文書を失い之を明確にすることを得ないが 古く神亀年間〈724~729〉の創立と伝承する

【由  (History)】

御由緒

当初の創祀については、度重なる火災の為め、社蔵の文書を失い之を明確にすることを得ないが、古く神亀年間の創立と伝承する。
 往古は 当村を走落村と称し、氏神の名を村の名称とした、仁和年間 当地に名馬を産し、之を宇多天皇に献上、天皇大いに之を賞でられ、馬上の2字の辰筆の額を賜り 背後の山麓に一祠を建立し納む。後にこの地を宇多山と称するに至った。後神託により鳥居に掲げた。
 その頃 北国脇往還路として武門武将の往来繁く、この鳥居を通過の際は、必ず下馬拝礼した後に乗馬したと伝え、今もこの鳥居の近くに馬乗場という地名も現存する。
 天正11年 賤蛾ヶ岳の合戦に際し 豊臣秀吉 美濃国より乗馬で来た折に、この鳥居の手前にて下車し戦勝を祈願したと伝える。
 天明7年 大火ありて1村悉く焼失し、鳥居の扁額又社蔵文書も焼失した。
延喜式内社。明治9年村社に加列。明治41年神饌幣帛料供進指定。

滋賀県神社庁HPより
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1217

【境内社 (Other deities within the precincts)】

意冨布良(オホフラ)神社 《主》六十善師権現

※ 式内社近江國伊香郡 意富布良神社」〈『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載論社です

・意冨布良神社〈走落神社 境内社〉 

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江国 155座(大13座・小142座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)伊香郡 46座(大1座・小45座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 走落神社
[ふ り が な ]はしりをち かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hashiriwochi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の神社で「走落神社」の名称を持つ式内社と論社について

攝津國 嶋下郡 走落神社 鍬靫

・走湯神社跡(豊能町切畑) 

・走落神社(豊能町木代) 

近江國 伊香郡 走落神社

・走落神社(高月町馬上) 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

河毛駅から県道265号を東へR365号を北上 約4.5km 車10程度
小谷城跡がある 小谷山を右手にして北上します

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馬上(マケ)地区を通る道沿いには 清流の太い水路が 村の家々の軒先を流れていて 水に浮かぶ家々のようでもあり 水に感謝して 一体になって生活している様が伝わります

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大きなケヤキ古木があり その横に 社号標「式内 走落神社」とあります走落神社(Hashiriochi Shrine)に参着

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このケヤキから 高月町の由来があると案内板に記されています

文化財保護事業
高月町歴史のおくりものシリーズ第一回

『槻(つき)の木 十選』

 往古、槻(ケヤキの古名)の巨木があることから、「高槻」と名づけられたこの地は、大江匡房(おおえのまさふさ)(平安後期の歌人)が月見の名所と和歌を詠んだことから「槻」の字を「月」に改めたといいます。
 町名の語源・ケヤキの中から、大きさ・古さ・美観・風格・来歴・地域との結びつきなどを総合的に考慮し、左記の十本を選定しました。(順不同)
所在地        幹周り
尾山  井明神橋西堤 二本一組 3.3m 3.0m
井口  日吉神社   二本一組 4.3m 3.6m
雨森  雨森芳洲庵  二本一組 2.8m 2.6m
雨森  天川命神社  四本一組 5.8m~4.2m
柏原  野神     一本   8.5m
渡岸寺 野神     一本   3.2m
馬上  走落神往   一本   4.3m
高月  薬師馬場   一本   4.2m
東物部 野神     二本一組 4.0m 3.5m
西物部 野神    一本   6.1m

 高月町は悠久の歴史に満ちて文化の香り高く、豊かな自然に恵まれた美しいまちです。
 先人がのこしてくれた埋もれた歴史的地域遺産に光をあて、その顕彰を通じて、この町のよさを再発見し、将釆に向けた「個性と魅力あるまちづくり」に寄与することを的に企画したのが、「高月町歴史のおくりものシリーズ」です。
平成3年3月1日 高月町教育委員会

社頭の案内板より

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一礼をして 鳥居をくぐります 扁額には「走落神社」とあります

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石畳み参道を進むと 参道の左手に鬼瓦があり「己千学校跡」と石碑があります 明治時代には小学校が建っていたようです

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更に 神仏習合時代の名残りで 延命地蔵尊 極楽寺が境内地に接して建っています

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この極楽寺の前面に 鳥居があり 境内社で延喜式内社近江國伊香郡 意富布良神社」〈『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載論社が鎮座しています

・意冨布良神社〈走落神社 境内社〉 

参道の正面には 左手に池と手水舎 右手には神馬の像があり 一段高い檀に拝殿が建ち 更に高い檀には本殿が建てられています

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階段を上がって 二の鳥居くぐり 拝殿にすすみます 

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拝殿の前には 苔むした狛犬が構えています 左手の石垣の上に鎮座しているのが境内社の意冨布良神社です

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拝殿の裏手には 階段があり 本殿へと続いています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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階段を下り 参道を戻りながら 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社名称のみが記されています

【意訳】

走落(ハシリオチノ)神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

神社名を記し 祭神や所在は不詳と記しています

【意訳】

走落神社

走落は 波志利於知と訓ずべし
〇祭神 所在等 詳らかならず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

所在は 馬上村と記しています

【意訳】

走落(ハシリオチノ)神社

祭神
祭日 4月9日
社格 村社
所在 馬上村 字上の山(伊香郡北富永村大字馬上)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』1 『特選神名牒』2

走落神社(Hashiriochi Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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近江国 式内社 155座(大13座・小142座)について に戻る 

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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