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建部神社(五個荘伊野部町)〈近江一の宮「建部大社」の元宮〉
建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります
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神洗神社(一宮町綱田)
神洗神社(かみあらいじんじゃ)は 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた処とされ 玉前神社(一宮町一宮)の元宮とされます 現在は その末社として奉 ...
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濱宮(和歌山市毛見)〈日前神宮・國懸神宮の元宮〉
濱宮(はまのみや)は 神武天皇が御東征のとき 神鏡及び日矛を天道根命に託し 斎祭せしめた日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の元宮であり 豊鋤入媛命が斎祭った元伊勢 奈久佐浜宮(なくさのはまのみや)でもあります
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〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)
日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です
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三生神社〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉(和歌山市伊太祈曽)
三生神社(みぶじんじゃ)は 亥の森(いのもり)とよばれる伊太祁曽神社の旧鎮座地の森に鎮座します 御祭神は本社と同じ 五十猛命(いたけるのみこと)大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)都麻津比賣命神(つまつひめのみこと)を祀ります
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出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)
出雲〈北島〉國造家鎮守 御三社(こくぞうけちんじゅ ごさんしゃ)は 出雲大社の東隣 出雲大社宮司〈北島〉家の祖先神をお祀りした鎮守社として〈天穂日命社・荒神社 稲荷社〉が 並んで鎮座されています
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喪山天神社(美濃市大矢田)
喪山天神社(もやまてんじんしゃ)は 『古事記』『日本書紀』に記された国譲り神話(大国主命が天照大神に葦原中国を譲る神話)の中に出てくる「美濃国の喪山(もやま)」とされ 天若日子(あめのわかひこ)を祀り鎮座されます
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喪山古墳(不破郡垂井町)
喪山古墳(もやまこふん)は 『日本書紀』『古事記』に記された国譲り神話(大国主命が天照大神に葦原中国を譲る神話)の中に出てくる「美濃国の喪山(もやま)」〈天稚彦(あめのわかひこ)の御陵〉であると古くから言われてきました
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加夜堂(多伎町多岐)〈加夜社の旧鎮座地〉
加夜堂(かやどう)は 阿陀加夜努志多伎吉比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)を祀り 『出雲國風土記733 AD.』「加夜社(かや)のやしろ」の旧鎮座地として「多岐村加夜堂也」との説があり 今は仏式ですが かつては加夜社であったと伝えられています
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加都麻神社跡〈小勝間山跡〉(松江市鹿島町名分)
加都麻神社跡(かつまじんじゃあと)は かつて小勝間山に鎮座していた勝間神社の跡地で『出雲國風土記733 AD.』島根郡 加津麻社(かつま)のやしろ の旧鎮座地とされます 現在は 小勝間山も山ごと取り壊されていて 今は田の中に「名勝 小勝間山跡」の標柱があるのみです
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布吾弥神社趾(松江市八雲町)
布吾弥神社趾(ふごみじんじゃあと)は 現在 熊野大社 境内 伊邪那美神社に合祀されている田中神社の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の布吾彌社(ふごみ)のやしろ『延喜式神名帳927 AD.』 所載の布吾彌神社(ふごみ の かみのやしろ)の跡地とされます
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速玉神社趾〈熊野大社 上の宮跡〉(松江市八雲町)
速玉神社趾(はやたまじんじゃあと)は 熊野大社 上の宮 境内地趾にあって 現在 熊野大社 境内 伊邪那美神社に合祀されている速玉神社の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の速玉社(はやたま)のやしろ『延喜式神名帳927 AD.』 所載の速玉神社(はやたま の かみのやしろ)の跡地に該当します
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久米神社趾〈熊野大社 上の宮跡〉(松江市八雲町)
久米神社趾(くめじんじゃあと)は 熊野大社 上の宮 境内地趾にあって 現在 熊野大社 境内 伊邪那美神社に合祀されている久米神社の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の久米社(くま)のやしろ『延喜式神名帳927 AD.』 所載の久米神社(くめ の かみのやしろ)の跡地とされます
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前神社趾(松江市八雲町)
前神社趾(さきじんじゃあと)は 現在 熊野大社 境内 稲田神社に合祀されている御崎神社(前神社)の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の前社(くま)のやしろ『延喜式神名帳927 AD.』 所載の前神社(さき の かみのやしろ)の跡地とされます
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楯井神社趾(松江市八雲町)
楯井神社趾(たていじんじゃあと)は 現在 熊野大社の境内 伊邪那美神社に合祀されている楯井神社の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯井社(たてゐ)のやしろ『延喜式神名帳927 AD.』 所載の楯井神社(たてゐ の かみのやしろ)の跡地とされます
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能利刀神社趾(松江市八雲町)
能利刀神社趾(のりとじんじゃあと)は 現在 熊野大社 境内 伊邪那美神社に合祀されている能利刀神社の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の詔門社(のりと)のやしろ『延喜式神名帳927 AD.』 所載の熊〔能〕利刀神社(くま〔の〕りとのかみのやしろ)の跡地とされます
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田中神社趾(松江市八雲町)
田中神社跡(たなかじんじゃあと)は 現在 熊野大社 境内 伊邪那美神社に合祀されている田中神社の旧鎮座地です 『出雲國風土記733 AD.』所載の田中社(たなかのやしろ)『延喜式神名帳927 AD.』 所載の田中神社(たなかのかみのやしろ)の跡地とされます
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一夜神社(松江市鹿島町名分)
一夜神社(ひとよじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』「島根郡 不在神祇官社 一夜社(ひとよ)のやしろ」とされます 明治期に多久神社(鹿島町南講武)に合祀されますが 現在は旧社地に戻り 鎮座されています
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石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉
石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります
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⑯阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)高比賣命(たかひめのみこと)
天にいる 天若日子(あめのわかひこ)の父親と その妻子が 八日八夜の間 踊り食べて飲み遊び 死者を弔いをしている時 阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)が 弔問においでにならた すると 天若日子の父親と その妻子が 阿遅志貴高日子根神を天若日子と間違えます この二柱がとても似ていたからです