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狹井坐大神荒魂神社(桜井市三輪)
狹井坐大神荒魂神社(さいにますおほみわあらみたまじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の御代〈BC29~AD70〉渟名城稚姫命(ぬなきわかひめのみこと)が勅を奉じて創祀されたと伝わり 『延喜式AD.927』に鎮花祭社(はなしずめのまつりのやしろ)と記され 通称 花鎮社とも呼ばれます
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大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉
大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています
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目久美神社(米子市目久美町)
目組神社(めぐみじんじゃ)は 久延毘古命(くえびこのみこと)」が御祭神です 『古事記』神代巻に「この 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)のことを申し上げた 久延毘古(くえびこ)というのは 今 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉といいます この神は 足では歩あるきませんが 天下のことをすっかり知っている神です」と記されます
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高鴨神社(御所市鴨神)
高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます
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白山神社(糸魚川市能生)
能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)は 白山信仰の開祖 泰澄大師(682-767)が 能生白山神社に仏像を安置布教し 社号を白山権現に改めたと伝えられています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の越後国 頸城郡 奴奈川神社(ぬなかはの かみのやしろ)の論社です
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奴奈川神社(糸魚川市田伏)
奴奈川神社(ぬながわじんじゃ)は 社伝では 第13代 成務天皇の御代 市入命が越後国の国造となり当地に来て 奴奈川姫命の子 建沼河男命の裔 長比売命を娶り 奴奈川姫命の社を建て 神田神戸を寄附したと伝わります『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の越後国 頸城郡 奴奈川神社(ぬなかはの かみのやしろ)の論社です
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伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)
伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は 紀伊国一之宮で『続日本紀』大宝二年(702)に記事が見える古社 木の国〈紀伊国〉のルーツとされ“木の神”五十猛命を祀ります 秋月(現在の日前宮鎮座地)より山東(現在の伊太祈曽周辺「亥の森」)に遷座されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』には 紀伊国 名草郡 伊太祁曽神社〈名神大 月次 新嘗 相嘗〉と記されます
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賣沼神社(鳥取市河原町)〈゛稻羽(いなば)の八上比売(やがみひめ)゛を祀る古社〉
賣沼神社(めぬまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の因幡国 八上郡「賣沼神社(ひめぬの かみのやしろ)」とされます 創建は神代に遡り 神話の舞台でもあります『古事記』大国主の稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)の段で登場する゛稻羽(いなば)の八上比売(やがみひめ)゛を神に祀ります
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刺田比古神社(和歌山市片岡町)
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の紀伊国 名草郡「刺田比古神社(さしたひこの かみのやしろ)」とされます 中古に荒廃し その後 再興され 江戸時代には 徳川吉宗公〈産土神の拾い親〉開運出世の神として 徳川八代将軍ゆかりの国家安泰の祈願の社でした
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白兎神社(鳥取市白兎)
白兎神社(はくとじんじゃ)は 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に ”これ 稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ) 今では 兎神(うさぎがみ)と云うなり” と記される 神代からの神話の舞台で 正しい由緒を持つとされ 皇室の紋章である菊花を型どった菊座石が社殿の土台に使われています
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天神社〈美保神社 境外社〉(松江市美保関町)
天神社(あまつかみのやしろ)〈美保神社 境外社〉は 『古事記』神話にある 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 海の彼方から天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って寄り帰り来た 我が日本国への上陸の地 出雲の御大御埼(みほのみさき)であるとするならば 神代から鎮座する由緒ある古社となります
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美保神社(松江市美保関町美保関)〈延喜式内社・出雲國風土記 掲載社〉
美保神社(みほじんじゃ)は 特殊な形式の本殿〈大社造の二殿が連なった美保造または比翼大社造〉には 向かって・右側の御殿〈三穂津姫命〉・左側の御殿〈事代主神〉を祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「美保社(みほ)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』の「美保神社(みほのかみのやしろ)」です
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赤猪岩神社(西伯郡南部町寺内)
赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)は 『古事記(712)』に 八上比売(やがみひめ)を得た大穴牟遅神(おおなむじのかみ)が 八十神(やそがみ)〈兄弟〉の怒りを買い 伯岐国 手間山上から 猪に似た赤く焼けた大石を落とされ これを麓で捕らえたことにより焼死したと伝えます この赤猪岩が祀られています
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加賀潜戸〈加賀神社 当初の鎮座地〉
加賀潜戸(かかのくけど)は 加賀神社 当初の鎮座地とされ『出雲國風土記733 AD.』には 加賀 神埼の窟〈潜戸〉は 佐太大神のお産生れの所 大神誕生の際 母神が 金弓(かなゆみ)を射通されたものであると記されます 故に 古には 神が坐まし 神域であったと伝わります
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加賀神社(松江市島根町加賀)
加賀神社(かかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「加加社(かか)のやしろ」とされ ご祭神 支(枳)佐加比売命(きさかひめのみこと)は 『出雲国風土記』では 佐太大神の母神として その誕生の時に金(かね)の弓矢を射通して出来た加賀潜戸(かかくけど)に坐す 『古事記』には大国主大神を救済復活した蚶貝比売(きさかひめ)〈赤貝の霊神〉にあたるとされます
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芦谷の滝〈比布智神社 当初の鎮座地 天ヶ淵〉
芦谷の滝(あしだにのたき)は 比布智神社 当初の鎮座地 天ヶ淵(あまがぶち)とされます その後 比布智神社は 芦渡 保知石(ふぢし)の比布智神社旧跡「阿弥陀堂(あみだどう)」に遷り 寛永九年~十三年(1632~1636)にかけて現在地に遷座しました
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韓竈神社 遥拝所(出雲市唐川町)
韓竈神社 遥拝所(からかまじんじゃ ようはいじょ)は 里人が普段からお参りできるよう集落の中にあります 拝殿の後方には 険しい山中に鎮座する御本殿が位置する山があり その御本殿を拝むのと同じ御利益があるとされます 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「韓銍社(からかま)のやしろ」の遥拝所〈拝殿〉です
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韓竈神社(出雲市唐川町)
韓竈神社(からかまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「韓銍社(からかま)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』には「韓竈神社(からかま)の かみのやしろ」とされます 巨岩を穿った岩穴の狭間を抜ければ 素戔嗚尊を祀る社が鎮座する 古い由緒を持つ神社です
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布自伎美神社(松江市上東川津町)
布自伎美神社(ふじぎみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社の三つ「布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ」「多氣社(たけ)のやしろ」「門江社(かどえ)のやしろ」の論社で 風土記には 鎮座する嵩山(だけさん)は 出雲の5つの烽火(とぶひ)〈のろし〉の一つで 布自枳美烽(ふじきみのとぶひ)と記されています
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都武自神社(出雲市国富町)
都武自神社(つむじじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」とされます 風土記には 鎮座する旅伏山(たぶしさん)は 出雲の5つの烽火(とぶひ)〈のろし〉の一つ 多夫志烽火(たぶしのとぶひ)と記されています