鳴雷神社&高山神社〈春日大社末社〉(奈良市春日野町 春日山内)

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)高山神社(こうせんじんじゃ)は 佐保川と能登川の源流 春日山の分水嶺 香山(こうせん)に鎮座する水神様 水源祭祀の御神体として龍王池祀る鳴雷神社は 明治8年1875まで香山龍王社と呼ばれ 又『延喜式神名帳AD.927』所載 宮中36座 主水司坐神もいとりのつかさにましますかみ1座 鳴雷神社は 大和国式内大社 鳴雷神社〈当社〉を遷座したものとされます

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高山神社

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鳴雷神社(Naruikazuchi shrine)
高山神社(Kosen shrine

 [通称名(Common name)]

〈鳴雷神社〉高山龍王社(たかやまりゅうおうしゃ)

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市春日野町160〈春日神社境内 春日山林内〉

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)
《主》天水分神 (あめのみくまりのかみ)

高山神社(こうせんじんじゃ)
《主》春日四座若宮神祓戸神水谷神

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

水神

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 春日大社末社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)高山神社(こうせんじんじゃ)は 佐保川と能登川の源流である春日山の分水嶺に香山(こうせん)に鎮座する水神様です 鳴雷神社は 式内大社明治8年までは香山龍王社とよばれていました 小祠の下にある龍王池は 鳴雷神社の神体とされ 天水分神をお祀りする水源祭祀の対象となっています

当初

龍王池は 鳴雷神社の神体として 原始的な水源祭祀の対象となっていたとされます

又『延喜式神名帳AD.927』の宮中36座主水司坐神もいとりのつかさにましますかみ1座 鳴雷神社は 大和国の鳴雷神社〈当社〉を遷座したものと考えられています
やはり ここにも水神としての御神威が垣間見れます

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

鳴雷神社&高山神社は 春日大社の境外末社です

・春日大社(奈良市春日野町)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)式内社です

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 二月祭 鳴雷神祭一座 十一月准

四時祭上「鳴雷神の祭一座」に 二月と十一月に神祇官の中臣一人を差遣して降雨の順調が祈願された祭祀内容が記されています

【抜粋意訳】

巻1 四時祭上 二月祭 鳴雷神祭一座
十一月准 此に 坐 大和國添上郡

絁二疋、絲二絇、綿二屯、五色薄絁各六尺、倭文四尺、調布二端、庸布二段、木綿、麻各一斤、鍬四口、白米五斗、糯米二斗、大豆、小豆各一斗、酒二斗、稻四束、鰒(あはひ)、堅魚、雑の腊(きたひ)各二斤、鮭(さけ)五隻、雑の鮨(すし)二斗、海藻二斤、雑の海菜(もは)二斤、塩二斗、菓直銭、〈多少随時、〉明櫃二合、折櫃四合、高案一脚、缶二口、堝四口、片盤廿口、匏四柄、槲一俵、席四枚、食薦六枚、輦篭一口、〈已上祭料、〉庸布二段、木綿、麻各一斤、鍬四口、米一斗、酒一斗、稲二束、鰒、堅魚各四斤、腊一斗、海藻六斤、雑海菜六斤、塩四升、坩二口、坏五口、席二枚、輦篭一脚、〈已上祓料、〉祝詞当色袍一領料、紺絁三丈七尺、裏料緑帛三丈五尺、⇒右差中臣一人供祭

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)
[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 鳴雷神社(大月次新嘗)
[ふ り が な ]なるいかつちの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Naruikatsuchi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載 宮中神「鳴雷神社」について

宮中「鳴雷神社」は〈平城京から平安京への遷座の際〉大和国の鳴雷神社を遷座したものと考えられています

主水司坐神もいとりのつかさにましますかみとは
宮内省に属する
水・氷の調達等を司る主水司に祀られた神
水を司る鳴雷神

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)宮中 36座…大(預月次新嘗)30・小6)
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)主水司坐神もいとりのつかさにましますかみ 1座(小)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 鳴雷神社
[ふ り が な ]なるいかつちの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Naruikatsuchi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

龍神信仰平城京の水源地 春日山に鎮座の奥山5社〉について

春日大社(奈良市)は 平城京の水源地として背後春日山持ち 古来 龍神信仰で知られ 春日山に鎮座する鳴雷(なるいかずち)神社など5社で 雨乞(あまご)いが行われるなど
春日山に鎮座の奥山5社と称される〈・鳴雷神社高山神社神野神社上水谷神社大神神社〉が鎮座しています

鳴雷神社の里宮「龍王社」について

春日大社では 龍神信仰の「龍王社」について 鳴雷神社の里宮的な社として 現在の祈祷所付近に存在した興福寺僧侶のための安居屋(あんごのや)敷地内にあったが 神仏分離に伴い 明治8年(1875)に同寺境内から移ってきた総宮神社に合祀されいたが 明治時代以来約140年ぶり平成30年(2018)に再興されたとしています

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三番 龍王社(りゅうおうしゃ)

御祭神 龍王大神(りゅうおうおおかみ)様
御神徳 運気上昇・金運財運守護
天に昇る龍の如く運気を上昇そせ、富貴に導く神様。龍王社はかつて勅額門を備えた壮麗な安居屋の鎮守社として、また春日における龍神信仰の中心的なお社として、広く崇敬をあつめていたが明治時代、総宮神社に合祀された。当社では御創建一二五〇年を機に、多くの方々に春日信仰の根幹をなす龍神信仰にふれて頂こうと、百四十年ぶりに龍王社を再興した。龍王社は神山春日山に鎮座する水徳の神で、中世には善女龍王を祀る高山龍王社ともいわれた式内社 鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)の里宮にあたるお社。
現地立札より

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高山神社(こうせんじんじゃ)の水神信仰 石船

鎌倉時代に奉納された 石船 あります

鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)の水神信仰 龍王池

龍王池(りゅうおういけ)は 鳴雷神社(なるいかずちじんじゃ)神体とされます
佐保川と能登川の源流である春日山の分水嶺に香山(こうせん)に鎮座する水神様 天水分神 (あめのみくまりのかみ)をお祀りする水源祭祀の対象となっています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

奈良市内から 奈良奥山ドライブウェイ新若草山コースへ入り 案内図のB地点辺りにある広めの場所に停める

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そこからすこし北にある 奈良奥山ドライブウェイ・高円山ドライブウェイ沿い芳山交番所(保安巡視員詰所)目安になるポイントです

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芳山交番所から南西に道がありますので この道で山を下ります

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この辺りは 標高400m辺りの高所 春日山原始林山中です
春日山に鎮座の奥山5社と称される〈・鳴雷神社高山神社神野神社上水谷神社大神神社〉が鎮座しています

目的の式内社 鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)は 徒歩5分程度すが もう少し先にある 同じく春日大社の末社 高山神社(こうせんじんじゃ)目指します

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暫らく道なりに下に 高山神社見えてきます

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高山神社〈春日神社境内 春日山林内〉(奈良市春日野町)に参着

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鳴雷神社高山神社(こうせんじんじゃ)は 春日山の香山(こうせん)に鎮座しています ここから社号の「高山(こうせん)」はきています
祭神は・春日四座若宮神祓戸神水谷神

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 先程の道を戻り 更に北約100程の所で 急坂を登ります

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南斜面杉林の一段高い位置に石段があり 祠が祀られています 明治8年までは 香山龍王社とよばれていました

鳴雷神社〈春日神社境内 春日山林内〉(奈良市春日野町)に参着

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注連縄柱ように杉が参道の両脇にあり 中央に石段が続いています

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祠にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります 石段を下りたその先が 御神体とされる龍王池です 池の岸は 円形に石積みされています

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芳山交番所(保安巡視員詰所)ポイントへと参道を戻ります

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高円山ドライブウェイ下ると 春日山から 奈良市内を眺望できます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『大和名所図会(Yamato Meisho Zue)』〈寛政3年(1791年)刊〉に記される伝承

鳴雷神社&高山神社鎮座する香山(りょうせん)に続いて記されています

【抜粋意訳】

鳴雷神社(なるらいのじんじや)

香山(りょうせん)あり 延喜式 三代実録に出り
今 髪生宮(かみなりのみや)と称す

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『大和名所図会』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎[数量]7冊[書誌事項]刊本 ,寛政03年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003118&ID=M2018050217074528140&TYPE=&NO=

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

【抜粋意訳】

鳴雷神社 大月次新嘗

〇今 神殿村
年中行事抄 二月擇吉日之条 鳴雷神 祭事 大和國添上郡 神祇官遣 中臣一人供祭

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

祭神は 鳴雷神と記しています

【抜粋意訳】

鳴雷神社 大月次新嘗

鳴雷は奈留伊加都知と訓べし
〇祭神 鳴雷神
〇春日香山に在す、今髪生(カミナリ)宮と称す、(大和志)
○古事記上、伊邪那美命、為黄泉戸喫、中略 於左足者鳴雷居、

類社
宮中主水司坐鳴雷神社

祭祀
式一 四時祭上 二月祭 鳴雷神祭一座 十一月准此坐大和國添上郡 云々 右差中臣一人供祭」同丗八 神祇官諸祭料 狭席五十八枚 鳴雷神 春秋祭料十二枚 下略」年中行事抄云 二月 鳴雷神祭事 大和国添上郡 神祇官遣 中臣一人供祭

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

祭神のみが記されています

【抜粋意訳】

鳴雷神社 大月次新嘗

祭神 鳴雷神

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

【抜粋意訳】

鳴雷(ナルイカヅチ)神社

春日山の香山(こうせん) 國坂の道 地獄谷池へ行く處より北三丁斗り入にあり 俗に髪生(カミナマ)宮と称す
延喜式神名帳に鳴雷社 大月次新嘗」と 即ち是
祭神は鳴雷神にして即ち水徳ノ霊なり 之を鳴雷と称するは水ノ旺んに湧出ぶる状を形容するのみ 延喜式に「宮中ノ主水司ニ坐ス鳴雷神」は蓋し延暦遷都の際 当社の祭神を宮中の主水司に祭祭せるものにして 即ち平城の隼神を平安三條に祭ると同例なり 高市郡波多御井神社の下

祭祀
延喜式 四時祭曰 二月鳴雷神祭一座 十一月准此大和国添上郡・・右差ニ中臣一人供祭
年中行事秘抄云 二月吉日之條 鳴雷神 祭事 大和国添上郡 神祇官遣ニ中臣一人供祭

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

鳴雷神社&高山神社〈春日神社境内 春日山林内〉(奈良市春日野町) (hai)」(90度のお辞儀)

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「宮中に鎮座せらる 36座『延喜式神名帳』の所載一覧」に戻る

大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社 の記事を見る

春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社

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5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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