目次
葦原中国(あしはらのなかつくに)を獲ようとした 天若日子
〈葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天菩比神(あめのほひのかみ)を 遣(つかわ)しましたが すぐに大国主神(おほくにぬしのかみ)に 媚付(こびへつらい)三年経っても返事をしませんでした〉
新たに 天若日子(あめのわかひこ)を 遣(つかわ)せましたが 大国主神の娘 下照比売(したてるひめ)を娶り その国を獲(え)ようと企(たくら)み これも八年経っても 返事することもありませんでしたので 雉(きじ)の鳴女(なきめ)を使いとして 差し向けます しかし 天若日子は これを矢で射殺してしまい 天からの返し矢によって命を落とします
・宗形神社(米子市宗像)《主》天ノ稚彦命
『伯耆民談記(hoki mingenki)〈寛保2年(1742年)〉』には
「祭る所の神は 天ノ稚彦命なり この命は天照大神の勅使として下界に降臨し玉ひぬ 大己貴命の姫 下照姫を娶り 名無雉を射殺し給ふ 依之大己貴命の神系に入れ給うなり」と記されます
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天若日子(あめのわかひこ)・雉鳴女(きじのなきめ)・天佐具売(あめのさぐめ)の伝承地〈美濃国(みののくに)喪山(もやま)〉
美濃国(みののくに)喪山(もやま)の伝承地のひとつ 喪山天神社の近辺には 「喪山(もやま)神話」伝承遺蹟があります
「喪山(もやま)神話」伝承遺蹟の説明
①喪山(もやま)
・・・阿遅志貴髙日子根神(あじしきたかひこねのかみ)の蹴った「喪屋」が飛んで行った所「この地」です。天若日子を祀る。
➁雉射田(きじいだ)
・・・天若日子が、射落とした雉が落ちた場所。
➂かつら洞
・・・雉鳴女がとまった、「湯津楓」の木があったとされる場所。
④矢落街道(やおちかいどう)(日室坂(ひむろざか)ともいう)
・・・天照大御神からの、返し矢が落ちて来た場所。日室とは、喪山から見て太陽の射す方向を言う。
➄渡来川(わたらいがわ)
・・・返し矢が流れて来た川。
⑥大矢田(おやた)
・・・大きな矢の落ちた田と云うと言い伝えから大矢田の地名となる。
➆誕生山(たんじょうさん)
・・・天若日子の召使いの神、天探女(あめのさぐめ)を祀る。(現在は、極楽寺の八幡神社に合祀している)
・喪山天神社(美濃市大矢田)
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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
【抜粋意訳】
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と天照大御神(あまてらすおほみかみ)は また 諸々の神に問いました
「葦原中国(あしはらのなかつくに)に 遣(つかわ)した 天菩比神(あめのほひのかみ)が 久しく報告が全くない また どの神を遣(つかわ)したらよいか」
すると思金神(おもいかねのかみ)が 言うには
「天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子 天若日子(あめのわかひこ)を遣(つかわ)せましょう」
そこで 天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)天之波波(あめのはは)を 天若日子(あめのわかひこ)に賜り 遣(つかわ)せました
天若日子(あめのわかひこ)は その国に降り 大国主神(おほくにぬしのかみ)の娘 下照比売(したてるひめ)を娶り その国を獲(え)ようと企(たくら)み 八年経っても御返事することもありませんでした
天照大御神(あまてらすおほみかみ)高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は また 諸々の神に問いました
「天若日子(あめのわかひこ)が 久しく 返事をしてこない また どの神を遣(つかわ)し 天若日子(あめのわかひこ)が 留る所の訳を尋ねさせようか」
すると諸々神(もろもろのかみ)と思金神(おもいかねのかみ)は
「雉(きじ)の鳴女(なきめ)を遣(つかわ)しましょう」と答えた
これを詔(みことのり)し
「お前が行き 天若日子(あめのわかひこ)に尋ねなさい
あなた〈天若日子〉を 葦原中国(あしはらのなかつくに)に 遣(つかわ)したのは その国の荒ぶる神を言趣和(ことむけやはせ)〈言葉によって和合〉をするためだ どうして 八年経ても返事もしないのか と問いただしなさい」と仰せになられた
鳴女(なきめ)は 天から降り到り 天若日子(あめのわかひこ)の門 湯津楓(ゆずかつら)の上に止まりました
そして つぶさに天神(あまつかみ)の詔(みことのり)を伝えました
天佐具売(あめのさぐめ)という女がいて 鳥(なきめ)の言葉を聞き 天若日子(あめのわかひこ)に語りかけました
「この鳥の鳴き声は とても不吉なので 弓で射殺してしまいなさい」と進言すると
天若日子(あめのわかひこ)は 天神(あまつかみ)から賜った 天之波士弓(あまのはじゆみ)天之加久矢(あめのかくや)で その雉(きじ)を射殺しました
ここに その矢は 雉(きじ)の胸を通り 逆さに射上げ 天安河之河原(あめのやすのかはら)に坐(ましま)す 天照大御神(あまてらすおほみかみ)高木神(たかぎのかみ)の御所に至りました
この高木神(たかぎのかみ)は 亦名(またのな)は 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)なり
高木神(たかぎのかみ)が その矢を取り見ると その矢羽に血がついていた
高木神(たかぎのかみ)は
「この矢は 天若日子(あめのわかひこ)に 賜りし矢だ」
すぐに 諸神に見せて言われた
「もし 天若日子(あめのわかひこ)が 使命に背かず 悪神を射った矢が来たのなら 天若日子(あめのわかひこ)に当たるな もし 天若日子(あめのわかひこ)が 邪(よこしま)な心を持つなら 天若日子(あめのわかひこ)は この矢に当たって死ね」と云い その矢を取り 矢が飛んできた穴から突き返しました
すると 天若日子(あめのわかひこ)が 朝床(あさとこ)に寝ている 胸の上に当り 死にました
また 雉(きじ)は 帰りませんでした
今でも「雉(きじ)の ひた使〈行ったきりの使い〉」と諺(ことわざ)にあるのは この話が起源です
【原文参照】
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⑯阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)高比賣命(たかひめのみこと) に進む
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