王子宮(安芸郡芸西村馬ノ上)〈『延喜式』坂本神社〉

王子宮(おうじぐう)は 創建年代など不祥ですが 安政三年(一八五六) 現社を改築する際 社殿の横梁に「奉造立 坂本權現 慶長十三歲(一六〇八)孟夏吉日大工小助」墨書銘が発見されたことから 延喜式内社 土佐國 安藝郡 坂本神社(さかもとの かみのやしろ)の論社とされています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

王子宮(Ohji gu

通称名(Common name)

・坂本現社(さかもとごんげんしゃ)

【鎮座地 (Location) 

高知県安芸郡芸西村馬ノ上

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》・・・

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代など不祥

【由  (History)】

『式内社調査報告第二十三巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

土佐國安藝郡 坂本神社

(追記)
・・・
・・・〈中略〉
・・・

 江戸末期、安政三年(一八五六) 和食の金岡山 宇佐八幡宮(この境内神社に坂本神社があると云はれる)に隣接する現社を改築する際、社殿の横梁に「奉造立 坂本權現 慶長十三歲(一六〇八)孟夏吉日大工小助」なる墨書銘が發見された。

藤原躬は
(1)坂本神社は多氣神社の必西なる筈だが、金岡山はその方上にある
(2)権現はに神社への尊稱で、坂本神を坂本現と云ひ、後には坂本の名も失ひ来つた。

  • その座地は和食郷だが、布師郷と思はれる。布師郷は後世忘れられたが、土佐郡潮江村壽命院藏般若経の奥書に「安藝庄布師井ノ口云云」とあり、井ノ口村は現存する。その井口村から西金岡山邊りまで古の布師郷で、そこは布師氏の領地で
    (4) 金岡山の邊にタフシヤシキと云ふ所がある。此は元はヌノシヤシキと呼び、布師氏の館のことで、布(ヌノ)フ(緒でれる布)と誤った
    (5)布師氏も坂本氏と同族だから、葛木襲津彦命を祭る
    (6)坂本神社は坂本氏の組神であるからし奉つるのでなく、坂本とは「山坂ありて其麓を坂本といふこと常にあれば」單なる地名に過ぎないと、手きびしい。

 發見者の和食神主 松本越前純明は このことを藩に届け、落駆はこの権現社を延喜式内社「坂本神社」なりと認めた。しかし、明治五年に郷社とされた。

 この権現社は、安藝郡藝西町和食字馬上土居にあり、王子宮と思はれるが、王子宮は熊野王子権現であるから、これが式社であらうか。和食郷内にはこの外に王子とか權現といふ地名も社名もない。位置からは、坂の本に鎮座されてゐるが、一棟でわびしい居である。論社としては別に揚げない。

(八波浩)

【原文】

『式内社調査報告第二十三巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

王子宮 社殿・〈境内社〉祠

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

は誤りで〈坂本神〉であるとされています

【抜粋意訳】

卷十二 貞觀八年(八六六)五月廿二日乙丑

○廿二日乙丑

(さずく)に
佐ノ
 從五位下 殖田 從五位上
 正六位上 殖田上 岑坂本神〉 祈年に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安藝郡 3座(名鈔)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 坂本神社
[ふ り が な ](さかもとの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Sakamoto no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 土佐國 安藝郡 坂本神社(さかもとの かみのやしろ)

・多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)

・王子宮(安芸郡芸西村馬ノ上)《参考》

・宇佐八幡宮 境内社 坂本神社(安芸郡芸西村和食)《参考》

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線〈阿佐線〉和食(わじき)駅から北方向へ約2.8km 車での所要時間は5~6分程度

芸西村馬ノ上地区の北側に鎮座しています

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王子宮(安芸郡芸西村馬ノ上)に参着

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木製の両部鳥居があり 扁額には「王子宮」とあります

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一礼をして鳥居をくぐり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の向かって左側には〈境内社〉祠が1宇祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 坂本神社について 所在は゛奈半利村 多氣社相殿に在す、゛〈現 多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〉と記しています

【抜粋意訳】

坂本神社

坂本は佐加毛登と訓べし

〇祭神詳ならず

〇奈半利村 多氣社相殿に在す、式社考、神社記、〕

〇姓氏錄、〔左京皇別上〕坂本朝臣、紀朝臣同祖、紀角宿禰男 白城宿禰之後也、」
同、〔攝津國皇別〕坂本臣、紀朝臣同祖、彦太忍信命孫 武内宿禰命之後也」
同、〔和泉國皇別〕坂本朝臣、紀朝臣同祖、建内宿禰男 紀角宿禰之後也、男白城宿禰三世孫建日臣、同 居賜ニ 姓坂本臣、

 式社考云、姓氏錄曰、布師臣、坂本朝臣同祖、建内宿禰男 葛城襲津彦命之後也、
和名鈔曰、安藝郡布師、重遠謂、坂本不詳ニ 古在ニ 何地、今併ニ 坐多氣社中、蓋多氣坂本共一姓神、而當郡著姓之遠祖也、其坐ニ 於同社 恐非ニ 偶然候、今土佐郡有ニ 布師田村、此地未 聞ニ 布師之縁、蓋逸之耳、

類社
 近江國高島郡 坂本神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 坂本神社について 所在は゛ 和食郷金岡山上に在り、坂本權現と云ふ、゛〈現 宇佐八幡宮 境内社 坂本神社(安芸郡芸西村和食)〉と記しています

【抜粋意訳】

坂本(サカモトノ)神社

 和食郷金岡山上に在り、坂本權現と云ふ、〔慶長十三年梁文、土佐國式社考書入、〕

盖 坂本朝臣の祖 葛城襲津彦命を祀る、〔新撰姓氏録、参取和名鈔、○按 布師臣、坂本朝臣と同祖にして、本郡に布師郷あり、其族人の祭を取なる事著し、〕

清和天皇 貞観八年五月乙丑、正六位上 坂本神に從五位下を授く、〔三代実録、類聚國史、○按二書並に坂本を嵜本に作るもの誤れり、故今 延喜式、神階記に據て之を訂す、〕

凡 十月二十五日祭を行ふ、〔高知縣神社取調帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 坂本神社について 所在は゛和食村〔金岡山上〕 (安藝郷知食村 郷社 八幡宮の境内)゛〈現 宇佐八幡宮 境内社 坂本神社(安芸郡芸西村和食)〉と記しています

【抜粋意訳】

坂本神社

祭神

 今按 式社考 姓氏錄 布師臣 坂本朝臣 共に武内宿禰  葛城襲津彦命之後なるに 和名抄 本郡布師郷ある此に由あり盖 當郡著姓の遠祖と云るが如く 坂本朝臣の族 布師臣 此地に住て 其 祖を祭れるにやあらん

祭日 九月十六

社格  (無社格 )

所在 和食村〔金岡山上〕 (安藝知食村 郷社 八幡宮の境内) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

王子宮(安芸郡芸西村馬ノ上) (hai)」(90度のお辞儀)

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土佐国の式内社 21座(大1座・小20座)

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