表門神社(うわとじんじゃ)は 第7代 孝霊天皇二年の鎭座 第72代白河天皇の永保元年(1081)官より社頭並に五十一の末社迄 御造営を受け 併せて市川の郷を神領に賜り勅願所と認められ それより市川明神とも称せられていたと云う 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
表門神社(Uwato shrine)
【通称名(Common name)】
・市川文珠(いちかわもんじゅ)
・御崎神社(みさきじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
山梨県西八代郡市川三郷町上野字町屋2767-1
〈旧住所〉山梨県西八代郡三珠町上野2767
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照大御神(あまてらすおほみかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
表門神社(旧郷社) ■由緒沿革:
社伝によると、延喜式内 表門神社であり、祭神は天照大御神、倉稲魂命、瓊々杵命の三座にして御崎大明神ともいひ、明治五年に郷社に列せられた。
人皇第七代 孝霊天皇の御代の御鎮座にして 往来は上戸村といったことがある。人皇第七十二代白河天皇の永保元年主上御悩みあらせられし時、たまたま神主上洛中にて、占の名誉、洛中に高く御所に召されて、御占の上祈念の所、忽ち御平癒あらせられ、叡感斜ならず、社頭並に五十一の末社迄 御造営の上 空海筆になる梵字の文殊画像を御寄進せられ、併せて市川の郷を神領に賜り勅願所と認められ、それより市川明神とも称せられてゐた。現在の市川大門町は 社前に続く東西一里を隔てた所にある。上の大鳥居と下の大鳥居の地名は当時を物語るものである。これより後、学びの途の神として、俗謡にも「市川文殊、知恵文殊」と歌はれて今日に至ってゐる。
山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/4003
【由 緒 (History)】
『甲斐国式内社並国史現在社考』〈大正8年〉に記される内容
【抜粋意訳】
表門神社
和名参云、山梨郡表門、神名帳考証云、宇波刀同神、
表門神社 郷社
西八代郡上野村字町屋小路 鎭座
祭神
天照大神(あまてらすおほかみ)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)社記云。表門神社也。
御朱印 社領四十一石一斗餘。
國志所載 御崎明神にして 又 大聖文珠を安置するを以て市川文珠の名あり。
山宮は東方約三町餘 命婦山にあり、孝霊天皇二年に鎭座せしが 永保中 官より造營せしと云。
表門・上野訓相近し、村名の起る所以なるべし。
【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇山梨縣 甲斐國 西八代郡上野村大字上野字町屋
郷社 表門(ウハトノ)神社
祭神 天照大御神 宇迦之御魂神 瓊々杵命
創建は孝霊天皇二年の鎭座なりと云ふ、延喜式に八代郡 表門神社 名神小〔延喜式〕とある所の古社なり、〔神祇志料 神社覈録〕
中世以後 御崎明神とも、市川文珠とも稱せり、大聖文珠を安置するが故なり、〔甲斐國志〕市川文珠夢想と云ふ事、東鑑に見え、又 諸記 天正壬午條中に「文珠堂の麓、市川口に亂入す」など見ゆるは、皆之を指せるものにて、昔は山宮に安置せしなるべし、永保中 官より造營あり、
天正十年三月 家康公 戦陣を構へられし節、市川別當 又六を召出され、黄金井に鳥帽子淨衣等を下され由緒御尋ありて、祈念を命ぜられ、且つ社壇再興あるべき旨 恩命を蒙り、翌四月十九日 市川、新所、大津、河東、三條、曾根、淺利、東花輸にて二十八貫六百十文の神領 先規の如く朱印状を附せらる、〔甲斐國志 甲斐叢記〕
即ち、「市川御崎明神社領 八代郡上野村内 四十一石一斗餘者、所被載 天正十一年四月十九日、寛永十九年七月十七日、両先判也、如先規 永不可有 相違者也、」〔諸社御朱印寫〕とある是なり、
慶長十四年 河野彌五右衛門 岩波七郎右衛門 奉行にて造營あり、其後 元禄八年 江戸より材木を寄せられて修埋ありたり、鈴の銘に「甲州市川郡 御崎大明神 大旦那継忠、寶徳二年卯月吉日同國宇津ノ谷作」と刻せり、
祠後の射場は家康公 御張陣の時より始まると云ふ、祭祀 年中七捨五度、其中三月三日 十一月上酉日を大神事とす、酉の日の祭は、逸見冠者 義清 此に住せし時、館中に神輿を迎へ、神樂を奏せし例なりとて、今猶 別當の宅に神輿を移して祭儀あり、
寶庫に藏する所 朱印状八通を始め、古器物 古文書十数種あり、古器物は多く信玄の奉納に係れり、就中 文珠画像は弘法の筆と伝へて尤も珍寶たり、〔甲斐國志 同叢記〕尚社記に據れば、「白河天皇の永保元年 本社以下 五捨一社御造營あり、且 文珠書像、及 市川郷に於て神領地を賜はる、是より市川明神と稱し、勅願所となる、此時に當て鳥居を上下鳥居村に建つ、其遺跡 今尚存せり、
降つて文龜、大永の間、武田信虎の世に及び、社領を滅ぜられしも、晴信に至りて甲斐國四方の鎭守を定め、當社を南方の鎭守とし、崇敬啻ならざりき、」とあり、其の古来大社たりし事 推知するに足るべし、
明治四年社領を上地し、同六年郷社に列す、同四十年十月 同村 諏訪大神社を合併す。社殿は本殿、拝殿、應屋、神樂殿、随神門、宿直所等を具し、境内四千六百八坪(官有地第一種)にして、社域廣潤風物 亦 優雅なり。
境内神社
小一龍神社 熊野神社 御會宮稻荷社 浅間神社
神明社 天神社 嚴島神社 鹿島神社
白山神社 稻荷神社 山神社 火神社
市神社例祭日 陰暦三月三日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・表門神社 本殿

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・〈本殿向かって右〉境内社

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・表門神社 社殿

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・神楽殿

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三珠町指定文化財
表門(うわと)神社本殿 同神楽殿
所在地 三珠町上野二七六七番地
昭和四十四年四月十七日指定
表門神社は、御崎(みさき)神社 あるいは市川文殊とも称され、延喜式内社で由緒ある神社である。祭神は天照大神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・瓊々杵命(ににぎのみこと)の三神である。
〔本 殿〕
「甲斐国志」には、永保年間(一〇八一~四)を初めとして数回の造営記録があるが、現在の建物は棟札によって元禄八年(一六九五)の建立であることがはっきりしている。
本殿は三間社流造で、今は銅板で覆われているが当初は檜皮葺である。蟇股(かえるまた)・脇障子(わきしょうじ)・手狭(てばさみ)等に獅子・鶴・鳳凰等の動物の彫刻が精巧に施されたうえ彩色がなされ、正面扉には金箔が貼られている。
棟札には大工の名、石川久左衛門家久 及び 重良と記されており、下山大工の 作であることが知られる。
文化十五年(一八一八)に屋根替が行なわれているが、他に大きな改変部分はなく、当初の形態をよく残した江戸中期を代表する建造物である。
〔神楽殿〕
本殿と同じく元禄八年の造立である。この時に今も残る拝殿・隋神門・鳥居も一緒に建てられており、境内の景観を一新したものと思われる。
正面一間、側面一間、切妻造檜皮葺(現在 銅版葺)のこの建物は木鼻の渦紋や形態をみると本殿と同一であり、同時期の建物であることがはっきりわかる。
毎年二月第一日曜日(以前は二月第一の酉の日)の例祭には、この神楽殿で約九〇〇年前から受け継がれている。町指定文化財「太太神楽」が奉納される。
昭和五十八年 三珠町教育委員会現地案内板より

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・〈県指定 天然記念物〉表門神社のコツブガヤ

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・〈境内社〉御会宮稲荷社《主》倉稲魂命
・隋神門

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・表門神社石鳥居

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表門神社石鳥居
所在地 西八代郡三珠町上野二七六七
所有者 表 門 神 社
県指定 昭和四十六年四月八日この鳥居は春日型と呼ばれ、全体の構成は直線的で反りが少なく 笠木、島木の両端もほぼ垂直に切られている。また太い柱は転びが 少なく双方とも中ほどで継ぎ足されている。
鳥居の総高二、七四メートルに対し、柱幅は真々で二、五七メートルほどもあり後世のものにみられない背の低い安定感に富んだ貴重な遺構である。
造られた時代は鎌倉時代と推定されている。
昭和五十四年一月 市川三郷町教育委員会 山梨県教育委員会現地案内板より

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 表門神社
[ふ り が な ](うは〔へ〕との かみのやしろ)
[Old Shrine name](Uhato no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社(うはとの かみのやしろ)の類社について
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)」は 甲斐國巨麻郡と美美濃國安八郡の二箇所に記されています
又 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と云います
延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社
・宇波刀神社(北杜市明野町上手)
・宇波刀神社(甲府市宮原町)
・宇波刀神社(韮崎市円野町)
・御崎神社(甲府市美咲)〈参考論社〉
延喜式内社 美濃國安八郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社
・宇波刀神社(安八郡神戸町神戸)
・宇波刀神社(安八郡安八町森部)
延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社
・表門神社(市川三郷町)
・熊野神社〈五社神社〉(右左口町)
・表門神社(甲府市白井町)
・浅間神社(市川三郷町)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR身延線 足川駅から北方向へ約400メートル 徒歩での所要時間5分程度
市川三郷町立上野小学校の北側に鎮座しています
社頭は西北向きです
表門神社(市川三郷町上野)に参着

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鳥居をくぐり抜けて 参道を進むと 正面が小学校 左手に 社殿 境内があり 向きは南向きです

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小学校のすぐ脇が 境内入り口となっています 広い境内参道があり 正面に隋神門が建っています

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一礼をして隋神門をくぐり抜けます

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隋神門の先には神楽殿があり 神楽殿を廻り込むように
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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おおきな拝殿の奥に 三間社流造の本殿が鎮座します

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本殿には 獅子・鶴・鳳凰等の動物の彫刻が精巧に施されています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 表門神社について 所在は゛市川郷上野村に在す、今 御崎明神と称す、゛〈現 表門神社(市川三郷町上野)〉と記しています
【抜粋意訳】
表門神社
表門は宇波刀と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕山梨西郡表門、
○祭神 倉稻魂命、〔名勝志、参考、〕
○市川郷上野村に在す、今 御崎明神と称す、〔同上〕
例祭 三月三日、十一月酉日、
○當國巨麻郡 宇波刀神社あり
社領
當代御朱印高 四十一石余
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 表門神社について 所在は゛今 市川郷上野村にあり、御崎明神といふ、゛〈現 表門神社(市川三郷町上野)〉と記しています
【抜粋意訳】
表門(ウハトノ)神社、
今 市川郷上野村にあり、御崎明神といふ、
凡 三月三日、六月丗日、七月十五日、十月上酉日祭を行ふ、〔甲斐名勝志、山梨縣取調書〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 表門神社について 所在は゛上野村〔字町谷小路〕(西八代郡上野村大字上野)゛〈現 表門神社(市川三郷町上野)〉と記しています
別説として
゛白井河原村 八乙女社奇石を以て積たる岩戶の内に鎭座す゛〈現 表門神社(甲府市白井町)〉
゛山梨郡春日井村の内 桑戶組の石塚明神゛
【抜粋意訳】
表門神社 稱 御崎明神
祭神
祭日 三月三日 十一月酉日
社格 郷社所在 上野村〔字町谷小路〕(西八代郡上野村大字上野)
今按 此地 往古は上戸村と號 市川大門村 上下大烏居村等あり て此社を市川明神とも 俗に市川文珠とも云り 上野村は一層高燥の地にて 一つの岡を成したる處なれば 往古 湖なりし卑濕の地に對して 上野とは云るなるべく 表門も上處(ウハト)の義にて上野と異なる意なしと云り されば表門神社 此地なるべし
一說に
白井河原村 八乙女社奇石を以て積たる岩戶の内に鎭座す此處をウハドと唱へて式内 表門神社と云へど疑はし
山梨郡春日井村の内 桑戶組の石塚明神 明和七年の棟札に奉造營 宇波戶神社 石塚桑戶大明神 御寶殿とあれど和名鈔 山梨郡に表門 郷名あるよりこの時 始て式内と唱へ出たるものと聞ゆ 此村もと賀茂村 賀茂明神の産子なりしを 三四年來 本社を産土神と崇むれど神社もいと小社にて 舊來 石塚明神と稱したりと云へば 式社にはあるべからず
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
表門神社(市川三郷町上野)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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