布制神社(長野市篠ノ井山布施)〈『延喜式』布制神社〉

布制神社(ふせいじんじゃ)は 口碑に「寶龜八年(七七七)伊勢神宮より天照大神の御分靈を迎へ(當地を開拓した「布施氏」公の租神 大彦命)を祀り 寶祚長久・國家隆昌・生業家内安全を祈願し 両柱の神を産土の大神として奉祀したのが當社の起源」と云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

布制神社(Fusei shrine

【通称名(Common name)】

【鎮座地 (Location) 】

長野県長野市篠ノ井山布施1

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大神(あまてらすおほみかみ)
   大彦命(おほひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

『式内社調査報告第13巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

【由緒】[C] 布制神社

【社名】 「神名」ともす。

・・・
〈中略〉
・・・

【由緒】

 神護景二年(七六八)高橋朝國是が、更級郡の大領に任ぜられ、下総國結城郡布の人民をへて 當地に移住し、土地の開拓、農耕の奨勧に専心された。

 寶龜八年(七七七)當地開拓の子孫等相議り、伊勢神宮より天照大神の御分を迎へ、(大彦命の子孫である「布施氏」が當地開拓されたので、公の先として)寶祚長久、國家隆昌と生業、家内安全を祈し、柱の神を土の大神として祀したのが社の起源である(明治十二年刊『山布施村誌』)。

時は領主 布施氏の名をとつて「布施村」としてたが、庄園が増大して山布施・里布施の二つとなつた。
山布施の布制神社は、布施内では最古の神社であらうといはれる(昭和四十八年刊、信州郷土史研究會『布施郷』)。

 延喜七年(九〇七)延喜式内社 信濃國四十八社の内に列し、神名帳に登載されることになつた。
 安和二年(九六九)佐久の望月から望月氏移り住み、氏を「施」と改め、布施を領治する。布施十六々村を布施本庄八ヵ村と 布施となつてからは、布神社は専ら「神明宮」とされた(『山布施村誌』『布施郷』)。
 文治二年(一一八六)、拜殿が建立され、御社は一層荘厳となり、氏子の信仰、和合の中心として、御祭禮も々しく行はれた。
 文化七年(一八一〇)、神祇管領卜部朝臣良連より「布製神社」を不朽にへるべきことを許され、創建の精神は甦り、先祖の偉業を偲ぶよすがとなった。後 松代藩からは、除地高若干をへられた。

 明治六年 長野縣第三十五大區の郷社となる(更級郡は第三十・・・・・三十六、そのうち信里・・・當時の有村と山布施は第三十五區)。
 明治四十年神幣帛料供進となる。

 昭和二十一年宗教法人となり今日に至る(昭和四十三年刊『信里の百年』 )。なほ、昭和三十年境内の社木 (ケヤキの古木 )一本が伐採され、年輪を数へたところ、一〇五〇本が認められた。
・・・
〈下略〉
・・・

【原文】

『式内社調査報告第13巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

【由 緒 (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○長野縣 信濃國 更級郡信里村大字山布施字新屋

鄉 社 布(フセノ)神社

祭神
 天照大御神(アマテラスオホミカミ)
 大比古(オホヒコマ)

創立の年月を詳にせず、されど口碑に龜八年 布施氏の祖 命を請し、後 布施朝臣某 此地を開拓せるを以て 同人のを合せ祀ると、

然れども信濃鑑に、「古記に曰く 本社は光仁天皇の御宇 長久國家安全を祈る爲 伊勢神宮の分座せる處なりと云々、明細帳の云ふ所と説異なれど熟れが是なるを知らず、舊 上布施村の産土神たり、古来 神明宮と稱へしを、文化七年正月 吉田家に請ひて社號の許可を受く、明治六年四月郷社に列す。

社殿は本殿、拜殿、幣殿、鳥居等を具備し、境内地四百四十三年(官有地第一種)あり。

境内神社 金刀比羅
例祭日 九月廿四日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

布制神社 社殿

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・御神木 石祠 境内社

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)信濃國 48座(大7座・小41座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)更級郡 11座(大1座・小10座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 布制神社
[ふ り が な ](ふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Fuse no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載される「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の論社について

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命

北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に
布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが 宝永5年(1708)6月の洪水で流失し 芦弁寺がこの神社を引きとったと云われ 芦弁寺の雄山神社の境内社若宮神社に合祀と伝わります

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命 五十日足彦命

・布勢神社 の論社
〈雄山神社 中宮 若宮に合祀〉

山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

〈奥宇賀神社に合祀〉奥宇賀布勢鎮座 籠守明神《主》伏雷神 武内宿禰命 息長足姫命 大己貴神

山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命

南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町)

・造田神社(さぬき市造田是弘)

式内社「布勢・布制神社(ふせの かみのやしろ)」の類社として

東山道 近江國伊香郡 布勢立石神社(ふせのたていしの かみのやしろ)

・布勢立石神社(長浜市木之本町赤尾)

北陸道 越後國蒲原郡 小布勢神社(をふせの かみのやしろ)

・小布勢神社(三条市上保内丙)

・五泉八幡宮(五泉市宮町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR信越本線 川中島駅からR19号・県道86号経由で西方向へ約10.4km 車での所要時間は15~16分程度

県道86号を上って行き 山布施の集落に着くと 道沿いに鳥居が建ちます

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布制神社(長野市篠ノ井山布施)に参着

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鳥居をくぐり抜けて 境内を進み

拝殿にすすみます

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石燈籠の先に 南を向いて拝殿が建ちます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の向かって左側には 御神木 石祠 境内社が祀られています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 布制神社について 所在は゛川中嶋布瀬村に在す゛〈現 臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉〉もしくは〈現 布制神社(長野市篠ノ井石川)〉と記しています

【抜粋意訳】

布制神社

布制は假字也

○祭神

○川中嶋布瀬村に在す考証

○姓氏録、〔左京皇別上布勢朝臣、阿倍朝臣同祖、孝元天皇皇子大彦命之後也、同、山城皇別布勢公、仲哀天皇皇子忍稚命之後也、

類社

出雲郡備前國赤坂郡讃岐國寒川郡布勢神社信濃國更級郡布制神祉、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 布制神社について 所在は゛今 石川村布施山にあり、゛〈現 布制神社(長野市篠ノ井石川)〉と記しています

【抜粋意訳】

布制(フセノ)神社、

 石川村布施山にあり、〔式内神社考按〕 布勢朝臣祖 大彥命を祀る、新撰姓氏録、参取社傳説〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 布制神社について 所在は゛石川村〔字布施山〕 (更級郡川柳村大字石川 )゛〈現 布制神社(長野市篠ノ井石川)〉と記しています

その他の説として 他二説を挙げています
゛布施五明村の社゛〈現 臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉〉
゛山布施村の社゛〈現〉布制神社(長野市篠ノ井山布施)

【抜粋意訳】

○更級郡十一座小十座

布制神社

祭神 大彥命

 今按 社傳 祭神 大倭根古彥國玖琉ノ天皇 相殿 大彥命彥 太忍信命とあれど 布制神と云時は布勢朝臣の祖を祭べし
新撰姓氏錄に布勢朝臣 阿倍朝臣 同祖とあり 阿倍氏の條に孝元天皇 皇子 ノ命之後也とあれば 相殿にます大彦命こそ主神なるべけれ  今之を訂せり

祭日 五月十五日 八月二十七日 十一月十日
社格 村社(郷社)

所在 石川村〔字布施山〕 (更級郡川柳村大字石川 )

 今按 長野縣式社考 按に布制神社と稱する社 三所にあり
一は石川村宇布施山
一は布施五明村
一は山布施村字山布施に鎭座是也

件ノ三社 由緒上申によるに

布施五明村の社は 寛政中出願の時 本郡神官大凡諾印もあり 當時 交換の證書もあれば 此社に定べきに似たれど 古昔 布施郷は廣大にして此遷の總稱なるを以て 今も布施五明 布施高田山 布施上 布施下布等の稱を存し 又 布勢同祖の諸氏 石川 田口 櫻井等を以て稱したる村名もあり 里俗傳へて布施十六村と總稱すれば 布制神社は其中にあるべしと雖も 當社とも治定し難く

山布施村の社は 祭神を布施朝臣大神と云るを始め 由緒曖味にして確実ならねば採がたし

獨り石川村は 布施郷の中首に位し社の正後に塚ありて王塚と稱する 或は布勢石川等の祖先の皇子もしくは諸王の陵墓なるべく 此郡の人民も布制神社は此村を以て眞なりと云傳ふる上は 姑く石川村を以て式社と定むべしと云る 此考按の説は 石川朝臣に由ありて布勢朝臣には遠きが如くなれど布施郷中にて布施山に鎭座なるは極めて由あることなるべし 故令之に従ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

布制神社(長野市篠ノ井山布施) (hai)」(90度のお辞儀)

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