走田神社(はせだじんじゃ)は 天正の兵亂(1573~92)に古文書 悉く焼け島有に帰して記録はありませんが 口伝によれば 奈良時代の元明天皇 和銅4年(711)創建と云う 走田大明神と呼ばれ厚い尊崇を受けてきた 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)とされます

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
走田神社(Haseda shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府亀岡市余部町走田2
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさ たけうかやふきあえずのみこと)
《相殿神》
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
走田神社
走田神社は 社伝等によると和銅四年(七一一)に創祀されたといわれます。
また、平安時代の書物である「延喜式」の「神名帳」に記載されている丹波国桑田郡十九座の内の一社です。
祭神は 彦火火出見尊、豊玉姫尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の三柱をお祀りしています。
この彦火火出見尊は神話「海幸彦・山幸彦」に登場する山幸彦にあたります。
豊玉姫尊は、山幸彦が海幸彦の釣針を探しに行かれた龍宮に住む海神の娘で、彦火火出見尊の妃となった方です。
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、この二神の御子です。社伝等によると、
昔、社殿に掛けられていた絵馬から馬が毎夜抜け出て草を食べ歩き、やがてその蹄の跡が窪地となり川となったといわれます。この川は増水の時でも川音を立てないことから「不鳴川」とも呼ばれます。この川は、干ばつの時でも枯れることがなく、近隣の田畑を潤しました。また、この川の改修や浚渫(泥さらえ)等をするときは、故事にしたがってその日には馬の鉱物である青豆を供え祈願する風習が今も続いています。
また、境内の中に、「垂乳味池」と呼ばれる清水があり、次のような話が伝わっています。豊玉姫尊が葺不合尊を出産した後、御子を波瀲に残し龍宮に帰ってしまいました。そこで、残された葺不合尊は豊玉姫尊の妹である玉依姫により養育されることになりました。玉依姫は、この清水の水で粥を作り乳の変わりとしました。これより「垂乳味池」と呼ばれるようになりました。後に、この清水は、乳の出の悪い婦人がこの清水で作った粥を食べると、乳がたくさん出るようになったといわれています。現地案内板より

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走田神社 由緒
祭神は、古事記の神話「海幸・山幸」に登場する「山幸」にあたる彦火火出見尊と、その妃ーー山幸が失った釣り針を探しに行かれた龍宮に住む海神の娘・豊玉姫命と、その御子 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の三神であり、男神女上の二神像と童形の神像との三柱を奉斎する。
当社の創立については書き記したものがなく不明であるが、口伝によれば奈良時代の和銅4年(711)に創建されたという。
平安時代初期に記された「延喜式」の丹波国桑田郡の項にその名が見え、その存在が確認されている。
以後中世の記録はなく、江戸時代に入って、亀山藩松平家の支配地の安町村・余部村・河原町村・新家村・穴川村の氏神として厚い尊崇を受けてきた。本殿は元禄15年(1702)にほぼ現在と同じ規模のものが建築され、盛大な正遷宮の祭典が行われたことが記録に残り、その棟札の文面も現存する。
以後、末社および諸付属建築物がつぎつぎと建ち、境内の燈篭は寛永元年(1624)建立のものを最初として、元禄、享保、元文、宝暦、安永、寛政、天保と年号を記した20基を越す燈篭が列立し、江戸中期以後の氏子の人々の尊崇の的であったことが伺われる。
氏子は農村地域であり、五穀豊作、家内安全を祈願した。また、亀山藩主の尊崇も厚く、銀5枚が毎年寄進されることになったことが寛文6年(1666)日付の文書に残っている。
明治に入り亀岡町制がしかれると、その西部の氏神として東の鍬山神社と旧亀岡町を二分した形となって今日に至っている。
大正年間に隣村篠町に小作争議が起こった時、遠く当社でその旗揚げ大会を催すなど農業の守り神としての信仰が厚かったが、戦後、旧亀岡町西部も多くの住居が立ち区域も市街化されて氏子数の増加とともに氏神の尊崇も変貌しつつある。末社としては、長吉稲荷の別称をもち倉稲魂命を祭神とする稲荷社があり、文政9年(1828)の燈篭が立ち、江戸時代から商売繁盛を祈願する人が絶えない。他に猿田彦命をまつる百太夫社、大国主命をまつる大国主社、経津主命の経津主社、玉依姫命の弁財天社がある。
[所伝]
言い伝えとして農耕にまつわるものが多い。境内の東を流れる「不鳴川(ならずかわ)」は増水の時にも決して川音を立てないのでこの名がある潅漑用水路である。昔、社殿に掛けられていた額の絵馬が見事な出来であり、この馬が毎夜額から抜け出して近くの草地へ草を食いに行ったという。その足跡がだんだん窪みになり、溝になりついにこの川になったという。そのために、この川の改修や溝さらえにの日には、馬の好物の青豆を供えて祈願する風習が今も続いている。
また、境内の通称「亀の池」にはこんこんと清い涌き水が出て、不鳴川に注ぎ下流の水田を潤していた。茶道に適する水と、多くの人が遠く大阪・神戸方面からも水を汲みにくる人があったが、最近その涌水量が減少して昔日の清さや味はないのが惜しまれる。この池に当社の遣わしものといわれる亀を放ち決していじめない風習が氏子の中にある。
さらに、神社の森および近辺は口丹波一の「まむし」の棲息地として知られるが、この毒蛇は決して人を噛まないという言い伝えがあって、害を受けた話も聞かない。[その他]
当社と別に、同名・同祭神の「走田神社」が向日市にあり、ともに式内社であるが、その関係はふめいである。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
京都府 南桑田郡 郷社
〇京都府 丹波國 南桑田郡龜岡町大字 餘部(アマルベ)
郷社 走田(ハセダノ)神社
祭神
彦波瀲武鸕鷀草葺不合(ヒコナギサタケウ ウカヤフキアヘズノ)命相殿
彦火々出見(ヒコホホデミノ)命 豊玉姫(トヨタマヒメノ)命本社は、天正の兵亂に焼け、古文書 悉く島有に歸したるを以て、創建年代等詳かならずと雖も、
古老の口碑に云ふ、
元明天皇 和銅四年に勧請せりと、今龜山の西 走田郷餘部村にあり、走田大明神と云ふ(神祇志料、丹波國官社考、)。社殿は、本殿、拜殿、舞殿等あり、境内四百三十四坪(民有地第二種)、之に接續して三千餘坪の森林を有し、樹木鬱蒼閑雅幽邃、實に神寂びたる境たり、明治十年六月、式内神社と決定す。
境内神社
稲荷社 白大夫社 經津主社 大國主社 玉依姫社例祭日 十月二十四日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・走田神社 本殿

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・〈社殿向かって手前 境内社〉2社・經津主社・大國主社

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・〈社殿向かって右前 境内社〉經津主社《主》經津主神

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・〈社殿向かって左前 境内社〉大國主社《主》大國主命

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・境内・社殿

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・〈境内社〉弁財天社《主》玉依姫命

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・走田神社のナギ

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亀岡の名水 走田神社のナギ
樹種 ナギ・・・マキ科
所在 亀岡市余部町走田二
常緑高木。本州(和歌山県・山口県)・四国・九州・琉球・台湾に分布する。暖地では神社の境内に植え、また民家の庭木としても利用される。亀岡には自生しないが数本植栽されたものが確認されている。その中でもこの木が一番の大木である。材は年輪が不明瞭、黄褐色で緻密。家具材・器具材・彫刻材などに用いられる。果期は十月中旬。
<調査 一九九五年十一月十四日>
胸高幹周 一・四○メートル
樹高 十六メートル
「亀岡の名木」八十八ページ所載亀岡市・(公財)亀岡市都市緑花協会
現地立札より

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・〈境内社〉稲荷社〈長吉稲荷〉《主》倉稲魂神

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・〈境内社〉白大夫社《主》猿田彦命

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・社頭

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・〈社頭〉狛犬

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 走田神社
[ふ り が な ](はしりたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hashirita no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「走田神社(はしりたの かみのやしろ)」について
『延喜式神名帳』には「走田神社(はしりたの かみのやしろ)」と号されている式内社が二つあります
①山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
②丹波國 桑田郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
①延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
・走田神社(長岡京市奥海印寺走田)
・菱妻神社(京都市南区久世築山町)
〈合祀もしくは境外社〉
②延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
・走田神社(亀岡市余部町)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
山陰本線 亀岡駅から西方向へ約3.1km 車での所要時間は9~10分程度
京都縦貫自動車道を越えて300mほど 曽我谷川の西側に境内があります
社殿は東向きですが 境内は北向きなので 境内入口は北側道路に面しています 参拝者用の駐車場から北方向を眺めます

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駐車場の南側に社頭があります
走田神社(亀岡市余部町)に参着 2018/4/7

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鳥居の扁額には「走田大明神」と刻字あり
一礼をしてから 鳥居をくぐり 境内参道を進みます
すぐ左先には〈境内社〉白大夫社《主》猿田彦命が祀られています

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鬱蒼とした木立の中 境内参道を進みます

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開けた場所があり 右手には石灯籠が並んでいて 左手には神輿舎や神庫があります

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苔蒸した場所があり 石燈籠の先が神域となっていて 一段高い壇に白い土塀の透屏が廻されていて その中に社殿が建てられています

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社殿の 両脇下に〈境内社〉2社・經津主社・大國主社が祀られています

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拝殿はなく 社殿〈本殿の覆い屋〉に拝所が設けられています
拝所にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をします

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境内参道を戻ります 朱色の鳥居は〈境内社〉稲荷社〈長吉稲荷〉《主》倉稲魂神です

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北を向いている鳥居を抜けます

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 走田神社について 所在は゛余部村に在す゛〈現 走田神社(亀岡市余部町)〉と記しています
【抜粋意訳】
走田神社
走田は波勢多と訓べし
○祭神詳ならず
○余部村に在す
類社
山城國乙訓郡 走田神社
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 走田神社について 所在は゛今 龜山の西 走田郷 餘部村にあり゛〈現 走田神社(亀岡市余部町)〉と記しています
【抜粋意訳】
走田(ハセダノ)神社、
今 龜山の西 走田郷 餘部村にあり、走田大明神と云ふ
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 走田神社について 所在は゛餘部村 (南桑田郡龜岡町大字余部)゛〈現 走田神社(亀岡市余部町)〉と記しています
【抜粋意訳】
走田(ハセタノ)神社 稱 走田大明神
祭神
彥火々出見ノ尊(ヒコホホデミノミコト)
彥波激武鸕草葺不合尊(ヒコナギサタケウカヤフキアヘズノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)今按 明細帳また豐岡縣式社調書に祭神 彥火々出見ノ尊 彥波激武鸕草葺不合尊 玉依姫命とあれど 主神は玉依姫なるべし 此 玉依姫を祭れるに依て火々出見尊 葺不合尊を後に加へしならん さて海神の女 玉依姫は此國に由なければ 必 ず賀茂建角身(カモタケヅヌミノ)命の女 玉依日賣(タマヨリヒメ)なるべく思はる この玉依日賣の此國に由あること 山城風土記に賀茂建角身ノ命 娶ニ丹波ノ國 神野(カムノ)伊可古夜日女 生ル子名ハ 玉依日子(タマヨリヒコ)次(ツキヲ)曰ニ 王依日賣とあるが如く 此社は建角身命の御女なる玉依日賣を祭り 松尾神社は此神緣によりて大山咋命を祭れるものなることを辨ふべし
祭日 九月十八日
社格 郷社所在 餘部村 (南桑田郡龜岡町大字余部)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
走田神社(亀岡市余部町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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