彌彦神社 奥宮 御神廟は 弥彦山の頂上に鎮座します 越後国開拓の祖神「天香山命 (あめのかごやまのみこと)」と その妃神「熟穂屋姫命(うましほやのひめのみこと)」が 祀られているとされる御神廟です 弥彦山は 7~8世紀の万葉集にも詠われている古くからの信仰の歴史を持ちます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
彌彦神社 奥宮 御神廟(Iyahiko Shrine okumiya goshimbyo)
(いやひこじんじゃ おくみや ごしんびょう)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
新潟県西蒲原郡弥彦村西蒲区弥彦 弥彦山 山頂
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊夜日子大神(Iyahiko no ohokami)
御名 天香山命(Ameno kagoyama no mikoto)
《主》妻戸大神(Tsumado no okami)
御名 熟穂屋姫命(Umashihoyahime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・縁結びの神 God who deepens the connection and intimacy with others
・人々の魂・生命に溌剌とした活力を御授けくださる神様
(A god who gives lively vitality to people's souls and lives.)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社(名神大)
・ 越後国一之宮(Echigo no kuni ichinomiya)
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
御由緒
彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。
下って第十代崇神天皇の御代(御在位:紀元前97~30年)に、第六嗣(天香山命より七代)建諸隅命が勅を奉じて社殿を造営して以来、御歴代の天皇の勅による社殿修造がなされ、第四十三代元明天皇和銅四年(711)には勅により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられております。
よって彌彦神社は御創建から二千四百年以上の歴史を有する神社です。公式HPよりhttp://www.yahiko-jinjya.or.jp/history/yuisyo/index.htm
【由 緒 (History)】
八世紀頃の成立とされる我が国最古の歌集『万葉集』巻十六には
いやひこ おのれ神さび 青雲の 棚引く日すら こさめそぼふる
いやひこ 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 皮服(かわころも)着て 角つきながらと、伊夜日子大神様の神々しさを詠った二首が納められており、延喜五年(905)奏進の『延喜式』巻十では越後国で唯一名神大社と記載され、また越後の一宮として朝廷から篤い尊崇を受けました。
このように八~九世紀頃には、遠く離れた都にも彌彦神社は顕著なる御神威ある神社として知られていたことが窺えます。公式HPよりhttp://www.yahiko-jinjya.or.jp/history/yuisyo/index.htm
【境内社 (Other deities within the precincts)】
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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
里宮 彌彦神社(弥彦村)
・彌彦神社(弥彦村)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
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『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Myojin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える伊夜比古神社 一座 越後国
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後国 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 伊夜比古神社(貞・名神大)
[ふ り が な ](いやひこの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Iyahiko no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
越後国(えちごのくに)について
越後国(えちごのくに)は 古代日本の行政区分 令制国の一つです 北陸道に属します
7郡34郷を有します
〈頸城郡・古志郡・魚沼郡・刈羽郡・三島郡・蒲原郡・岩船郡〉
由来としては
7世紀末 文武天皇元年(697年)以前に 越国(こしのくに)の磐船(いわふね)・渟足(ぬたり)の二郡の分割によって成立しました
蝦夷(えみし)政策の拠点の国として
大宝2年(702)3月には 越中国から分立〈親不知以東の頸城郡 古志郡 魚沼郡 蒲原郡の四郡を割譲〉
和銅元年(708年)には
北方に領域を伸ばして 出羽郡を新しく設置して 七郡体制となります
和銅5年(712年)9月23日 には 出羽郡が出羽国として分離
天平16年(743年)2月11日には
佐渡国を併合
天平勝宝4年(752年)11月3日には 〈佐渡国 再分立〉元に復し 現在〈新潟県の本州部〉に近い形となります
越後国の一之宮について
越後国には 一之宮とされる神社が三ヶ所あります
・彌彦神社(弥彦村)
・彌彦神社奥宮 御神廟(弥彦山頂上)
・天津神社・奴奈川神社(糸魚川市)
・居多神社(上越市)越後国一之宮
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
弥彦山の山頂に奥宮の御神廟が鎮座しています
山頂駅まで弥彦山ロープウェーがあります
彌彦神社から弥彦山ロープウェーの山麓駅まで無料シャトルバスも利用できます
山麓駅からは 弥彦山ロープウェーからの景色を楽しめる筈でしたが 生憎の霧模様
山頂駅では 濃い霧になっていました 眼下は一切見えません
見晴らしの良い日ならば アジサイの花の先には 佐渡が島が見えるのだと思います
彌彦神社 奥宮まで 約700mとの案内板があり ハイキングコースのような参道を奥宮へと向かいます
途中から 注連縄柱などもあり かなり参道らしくなってきます
山頂に着いたのでしょうか テレビ電波塔があり 「彌彦山」と刻まれた石碑もあります 鳥居の横には 奥宮専用の社務所も設けられています
石の鳥居の扁額には「御神廟」と刻まれています
彌彦神社 奥宮 御神廟(Iyahiko Shrine okumiya goshimbyo)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり 石段を上がります
玉垣に囲まれた「御神廟」が現れてきます
拝所の正面には 鳥居が建ち 扁額には「天香語山命」と刻まれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
「御神廟」には越後国開拓の祖神「天香山命 (あめのかごやまのみこと)」と その妃神「熟穂屋姫命(うましほやのひめのみこと)」が祀られているとされますので 石の祠も2宇鎮座しています
階段を下り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
少しづつ霧が薄くなって来て アジサイの花が美しさを増してきました
山頂駅からの下界の眺めもうっすらと見え始めます
麓に戻り 弥彦山登山口の鳥居を抜けて 再度お山に一礼をしました
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『万葉集(Manyo shu)』〈7世紀前半~759年頃〉に詠まれる歌
山頂の石碑に刻まれる万葉歌
第十六巻の 題詞「越中國歌四首」として 詠われています
【意訳】
第十六巻 [歌番号]3883
弥彦山は ああ ほんとうに
神々しくて 青空に
白い雲のたなびく日でも
小雨がしとしと降っている第十六巻 [歌番号]3884
弥彦山(いやひこやま) 神のお山の麓で
鹿が今日あたり
寝ているだろうか 毛皮をまとい
頭に角(つの)をつけたまま
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用
その他の伝承については 彌彦神社をご覧ください
・彌彦神社(弥彦村)
彌彦神社 奥宮 御神廟(Iyahiko Shrine okumiya goshimbyo)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)