博西神社(はかにしじんじゃ)は 旧鎮座地は倭文氏の祖神を祀る「棚機の森(たなばたのもり)」と伝わり 往古より葛木倭文坐天羽雷神社と称し 波加仁志明神と唱えた 延喜式内社 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社(大 月次 新嘗)(かつらきの しとりにゐます あめのはづちのみことの かみのやしろ)とされます

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
博西神社(Hakanishi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県葛城市寺口1231
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
北殿(左殿)《主》下照比賣命(しもてるひめのみこと)
南殿(右殿)《主》菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 国史記載社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉
【創 建 (Beginning of history)】
博西神社
場所 奈良県北葛城郡新庄町寺口一二三一番地
祭神 下照比賣命 北殿
菅原道眞公 南殿(知恵の神)由緒 本社はもと倭文(シトリ)神社、或は波加仁志神社と称し 寺口 大屋 新庄 桑海 中戸 弁之庄 南道穂 北道穂 西室 東室 柿之本 北花内 笛堂 曽大根の十四ヶ町村の総氏神として奉斎していたが、慶安年中に桑山氏が新庄に居住するに及び 新庄外七ヶ村を割いて宇佐神祠に属させてからは だんだん少なくなり 現在は寺口 大屋 二ヶ村の氏神である。
祭日
三月二十五日 祈年祭
七月 十五日 夏 祭
十月 七 日 例 祭
十二月 八日 新嘗祭神社建物
〇本殿二社は室町時代末期の建造 春日造り
重要文化財指定〇境内社 春日神社 神明神社 熊野神社 稲荷神社を奉斎
〇拝殿 昭和四十四年に改築
現地案内板より

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由緒
当社の鎮座由緒 並びに 創始年代等は不祥とも、往古より葛木倭文坐天羽雷神社と称し 波加仁志明神と唱え 祭神は元、天羽雷命、菅原大神を斎祀されていたが、明治初年のころ大和志の書載するところにより、祭神を天羽雷神社は同郡当麻町加守に所定し、祭神を下照姫命を祭るようになった由、その理由不明。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社.平成元年に記される内容
【抜粋】
博西神社
下照比売命・菅原道真を祀る 旧指定村社。
安永六年(一七七七)の博西神社護摩堂勧化免許書(寺口辻文書)に「葛城山布施惣地主神 葛木倭文大明神」とあるところから 葛木倭文大明神とも称したことになる。
大永二年(一五二三) 天満宮を合祀、布施安芸守の氏神として、また寺口・大屋・桑海・中戸・西室・弁之庄・北花内・北道穂の郷社として栄えた。布施氏没落、桑山氏転封後は寺口・大屋の氏神として幕末に至った。神仏習合の姿をとり、別当西之坊(真言宗無本寺)が、明治初年まで当社の祭祀を掌っていた。このことは、前述辻伝十郎家文書の「博西神社護摩堂修復勧化免許願書」によって、当社境内に護摩堂があったことでもわかる。
【原文】

『奈良県史』第五巻 神社 奈良県史編集委員会
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・博西神社 本殿2殿〔北殿・南殿〕

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現地案内板より
国指定 重要文化財 博西神社(はかにしじんじゃ)本殿(ほんでん)
昭和三十三年(一九五八)五月十四日 指定
博西神社は、屋敷山古墳(国指定・史跡)の西に建てられた社(やしろ)であることから、「陵西(はかにし)」または「墓西(はかにし)」とも書かれ、その創建や由緒については明らかではありませんが、中世このあたりを支配した布施氏(ふせし)の氏神(うじがみ)として、布施郷(ふせごう)支配の信仰上の拠点となっていました。
本殿は身舎側面一間の「一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)」で、土台建の円柱に舟肘木(ふなひじき)を組み、軒(のき)は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)、妻を叉首組(さすぐみ)としています。庇(ひさし)は出三斗(でみつど)、中備蟇股(なかぞえかえるまた)(第一殿<北殿>は藤(ふじ)、第二殿<南殿>は牡丹(ぼたん)の透彫(すかしぼり))、一軒繁垂木(ひとのきしげたるき)で身舎と繋虹梁(つなぎ゛こうりょう)で結んでいます。幣軸付板扉、脇障子を前寄りに立て、切目縁(きりめえん)を回らし、屋根は檜皮葺です。
規模、形式とも全く等しい社殿を障塀でつなぎ連結式としている形式手法などから、本殿の建立年代は、伝えられる大永(だいえい)年間(一五二一~二八)よりやや新しい室町時代末期と考えられます。平成十二年に保存修理が行われました。
葛城市教育委員会
現地案内板より

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・〈本殿向かって右 境内社〉2社〔春日神社・神明神社〕
・〈本殿向かって左 境内社〉1社〔熊野神社〕

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・博西神社 拜殿

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・〈拝殿向かって右 境内社〉1社〔稲荷神社〕

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・〈拝殿に向かって左〉神武天皇遥拝所
・鳥居

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈博西神社の旧鎮座地と伝わる〉棚機の森(たなばたのもり)に鎮座する「棚機宮(葛城市太田)」
「棚機の森(たなばたのもり)」にはかつて 「倭文(しどり)」と呼ばれる織物を織る専門集団であった倭文氏の祖神を祀る「葛木倭文坐天羽雷命神社(かづらきしとりにいます あめのはづちのみことじんじゃ)」があったと伝えられています
博西神社は 往古より葛木倭文坐天羽雷神社と称していました

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大和三山を見下ろすこの地は、古来 祭祀(さいし)を行なっていた場所とされ「棚機の森(たなばたのもり)」と呼ばれています。この場所にはかつて、もとは「倭文(しどり)」と呼ばれる織物を織る専門集団であった倭文氏の祖神を祀る「葛木倭文坐天羽雷命神社(かづらきしとりにいます あめのはづちのみことじんじゃ)」があったと伝えられています。現在では石の祠が置かれ、天羽雷命と対になる女神で織物の神様である「天棚機姫神(あめのたなばたひめがみ)」が祀られています。
このあたりは朝廷に献上する布を織る氏族が暮らす村だったと、言い伝えられています。五世紀ごろ大陸から来た人々によって、それまでになかった最新の棚台付きの織り機「棚機(たなばた)」や、絹などの高級織物を織り上げる技術とともに「牽牛(けんぎゅう)と織女(しゅくじょ)の七夕の物語」や、機織(はたおり)り技術の向上を願う 棚機の儀式(たなばたのきしき)が伝えられたといいます。そのため、同神社では日本で最初の七夕儀式が行われたと言われています。
平成四年、氏子がおらず荒れ放題になっていた同神社を守り伝えるために有志が集まり「棚機神社保存会」が結成されました。現在では、同会を中心として、境内は常に掃き清められ、古くから伝わる祭祀も欠かさず執り行われています。
毎年七月七日に行われる「七夕祭り」では、地元の学校や団体、ご家族はもとより全国各地から寄せられた笹飾りが奉納され、皆様の願いや感謝の気持ちを神様に伝えています。
葛城市観光協会
現地案内板より

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古来祭祀を行なっていた場所とされる「棚機の森」・棚機神社(たなばたじんじゃ)
・屋敷山古墳(葛城市南藤井17 屋敷山公園内)
博西神社(葛城市寺口)は 屋敷山古墳(国指定・史跡)の西に建てられた社(やしろ)であることから「陵西(はかにし)」または「墓西(はかにし)」とも書かれていました
屋敷山古墳(やしきやまこふん)は
古墳時代(5世紀中頃)に築かれた 全長約135mを測る前方後円墳で その後 中世には有力な大和武士 布施氏の「里の館」として 江戸時代には新庄藩主 桑山氏の陣屋として利用され 墳丘には著しい改変が加えられています
屋敷山古墳は 記紀に登場する古代豪族 葛城氏に関係する人物の奥津城〈神道における墓所・神霊を祀る場所〉とされています
記紀によれば 古代豪族葛城氏は 始祖 葛城襲津彦 以降 二系統に分かれます 葛城氏本宗家は 玉田宿祢から円大臣と引き継がれ 後の雄略天皇によって滅ぼされます
もうひとつの葦田宿祢から蟻臣へと引き継がれる系統は 天皇に対し后を継続的に嫁がせています
葛城氏本宗家の本拠地は 現在の御所市で ほぼ間違いないと考えられ 対する葦田宿祢系葛城氏の本拠には諸説がありますが 屋敷山古墳および火振山古墳は 葦田宿祢系葛城氏の奥津城である可能性が指摘されています
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
京畿七道の諸神267社と共に 進む階(くらい)を及び新(あらた)に叙つ とあります
【抜粋意訳】
卷二貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申
○廿七日甲申
京畿七道の諸神に 進む階(くらい)を及び新(あらた)に叙つ 惣(すべて)二百六十七社なり
奉授に
淡路國 无品勳八等 伊佐奈岐命一品
備中國 三品 吉備都彦命二品・・・
・・・大和國
從一位 大己貴神 正一位正二位 葛木御歳神
從二位勳八等 高鴨阿治須岐宅比古尼神
從二位 高市御縣鴨 八重事代主神
從二位勳二等 大神大物主神
從二位勳三等 大和大國魂神
正三位勳六等 石上神
正三位 高鴨神 並に從一位正三位勳二等 葛木一言主神 高天彦神 葛木火雷神 並に從二位
從三位 廣瀬神 龍田神
從三位勳八等 多坐彌志理都比古神 金峰神 並に正三位正四位下 丹生川上雨師神 從三位
從五位下 賀夜奈流美神 正四位下
從五位下勳八等 穴師兵主神 片岡神 夜岐布山口神 並に正五位上
從五位下 都祁水分神 都祁山口神 石寸山口神 耳成山口神 飛鳥山口神 畝火山口神 長谷山口神 忍坂山口神 宇陀水分神 吉野水分神 吉野山口神 巨勢山口神 葛木水分神 鴨山口神 當麻山口神 大坂山口神 伊古麻山口神 並に正五位下
從五位下 和爾赤坂彦神 山邊御縣神 村屋禰富都比賣神 池坐朝霧黄幡比賣神 鏡作天照御魂神 十市御縣神 目原高御魂神 畝尾建土安神 子部神 天香山大麻等野知神 宗我都比古神 甘樫神 稔代神 牟佐坐神 高市御縣神 輕樹村神 天高市神 太玉命神 櫛玉命神 川俣神 波多井神 坐日向神 卷向若御魂神 他田天照御魂神 志貴御懸神 忍坂生根神 葛木倭文天羽雷命神 長尾神 石園多久豆玉神 調田一事尼古神 金村神葛木御縣神 火幡神 往馬伊古麻都比古神 平群石床神 矢田久志玉比古神 添御縣神 伊射奈岐神 葛木二上神 並に從五位上
无位 水越神 從五位下
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所
〇座別に
以下のように 社ごとに幣帛(神への供物)を奉る
・絁(あしぎぬ)五尺
・五色の薄絁(うすぎぬ)各一尺
・倭文(やまとぬの)一尺
・木綿(ゆう)二両
・麻五両
・倭文・絁・布をそれぞれ刀の形にしたもの(まきかたなかた)各一口
・四座をまとめて一束 八座をまとめて一束とする
・弓一張、靫(ゆき)一口
・楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿
・鹿の角一隻、鍬一口
・庸布(ちょうふ)一丈四尺
・酒四升
・鰒(あわび)・堅魚(かつお) 各五両
・腊(ほしにく)二升
・海藻・滑海藻・雑海菜 各六両
・堅塩一升
・酒坩(かめ)〈酒を入れる壺〉一口
・裹葉薦(うらはこも)五尺
・祝詞(のとこと)を奏する座の敷物として短畳一枚〇前一百六座(下位の神)への奉献
次に 前一百六座の神々(小社)は次の幣帛を奉る
・絁五尺
・五色薄絁各一尺
・倭文一尺
・木綿二両、麻五両
・四座ごとに一束 八座ごとに一束とする
・楯一枚
・槍鋒一口
・葉薦五尺〇特別な奉献を受ける神々
これらの神々への祭祀は 祈年祭(2月)と同様に行うが 特に次の四神には馬一疋を加えて奉る
太神宮(内宮:伊勢神宮)
度会宮(外宮:伊勢神宮)
高御魂神(たかみむすびのかみ)
大宮女神(おおみやめのかみ)
ただし 太神宮と度会宮にはさらに「籠頭料(こもがしらりょう)庸布一段」を加える〇祭の準備と執行
祭の五日前に 忌部(いんべ)九人と木工一人を召して 神に供えるための器物(供神調度)を作らせる
その監造者および清浄な衣 食の費用は 祈年祭の例に準じる
祭が終わると 中臣官(なかとみのつかさ)の一人が宮主および卜部らを率いて宮内省へ行き 神に供える「今食(いまけ=その日の御饌)」の奉仕者(小斎人(みのひと)を卜占によって定める〇今食(いまけ)に供する品目
神に供える「今食(いまけ)」の品およびその料(材料)は次の通り
・紵(からむし)一丈二尺(御巾料)
・絹二丈二尺(篩(ふるい)料)
・絲四両(縫篩などの料)
・布三端一丈(膳部巾料)
・曝布一丈二尺(覆水甕料)
・細布三丈二尺(戸座襅(へさたまき)および褠料)
・木綿一斤五両(結ふ御食(みけ)料)
・刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚
・筥(はこ)六合 麁(あら)筥二合、明櫃三合
・御飯・粥料の米 各二斗、粟二斗
・陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶(かめ)各五口
・都婆波・匜(はふさ)・酒垂 各四口
・洗盤・短女杯(さらけ) 各六口
・高盤二十口、多志良加(に瓶のような器)四口
・陶鉢八口、叩盆四口、臼二口
・土片椀(もひ)二十口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口
・手洗二口、盤八口、土手湯盆(ほん)二口、盆(ほとき)四口、堝十口
・火炉二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚
・槲(かしわ)四俵、匏(ひさご)二十柄
・蚡鰭(えひのはた)槽(二隻:御手水用)
・油三升
・橡帛三丈(戸座服料、冬絁一疋、綿六屯、履一両)〇供御の奉仕と終了後の処理
右に掲げた供御および雑物は それぞれ内膳主水などの司に付け 神祇官の官人が神部を率いて 夕暁(よひあかつき)〈夕方と翌朝〉の二度 内裏に参って奉仕する
供え終わった諸物は 祭が終わると中臣・忌部・宮主らに下賜され その取り扱いは 大嘗会(だいじょうえ) の例に準じて行う
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り 天皇がその年の新穀(しんこく)を神に供え みずからもこれを食して その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺
前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛下郡 18座(大13座・小5座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 葛木倭文坐天羽雷命神社(大 月次 新嘗)
[ふ り が な ](かつらきの しとりにゐます あめのはづちのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kaduraki no Shitori ni imasu Amenohaduchinomikoto no Kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社(大 月次 新嘗)(かつらきの しとりにゐます あめのはづちのみことの かみのやしろ)の論社
・葛木倭文座天羽雷命神社(葛城市加守)
・博西神社(葛城市寺口)
古代氏族 倭文氏に祀られた『延喜式神名帳』(927年編纂)所載社について
全国各地に祀られている「倭文(しとり しずり しどり しとおり)」を社名に持つ式内社は 建葉槌命を祖神とする倭文氏によって祀られたとされています
祭神については
機織の神 建葉槌命(たけはつちのみこと)別名を〈天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄など〉を祀ります
詳しくは
・古代氏族 倭文氏に祀られた『延喜式神名帳』(927年編纂)所載社について
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄御所線 近鉄新庄駅から西へ約2.3km 車での所要時間は6~8分
屋敷山古墳のある屋敷山公園を過ぎて さらに西方向へと進むと道の途中に゛博西神社0.2km゛の矢印版があり 左折します

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東を向いて社殿 境内 鳥居が見えてきます

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博西神社(葛城市寺口)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐりぬけて
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 2殿の本殿が祀られています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 葛木倭文坐天羽雷命神社 大月次新嘗について 所在は゛岡荘加守村に在す、今加守明神と稱す、゛〈現 葛木倭文座天羽雷命神社(葛城市加守)〉と記しています
【抜粋意訳】
葛木倭文坐天羽雷命神社 大月次新嘗
葛木は郡名に同じ、倭文は志都里、天羽雷は阿女乃波豆智と訓べし、
○祭神明か也
〇岡荘加守村に在す、今加守明神と稱す、〔大和志、同名所圖會〕
〇日本紀神代巻下云、遣ニ 倭文神 建葉槌命者則服、』
舊事紀〔神祇本紀〕令ニ 倭文遠祖 天羽槌雄神 織ニ 文布者云々、」
古語拾遺云、天羽槌雄神、倭文遠祖也、神位
三代實録、貞観元年正月二十七日甲申、奉授ニ 大和國 從五位下 葛木倭文天羽雷命神從五位上、雑事
式廿一、〔玄蕃〕凡 新羅客入朝者、給ニ 神酒、其醸酒料稲、〔中略〕大和國倭文社、〔中略〕三十束、〔中略〕送ニ 住道社、〔全文當國 葛上郡 高鴨神杜の條見合すべし〕
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 葛木倭文坐天羽雷命神社 大月次新嘗について 所在は゛今 上太田村 志登梨にあり、棚機(タナハタノ)森と云、゛〈現 博西神社 (葛城市寺口)〉と記しています
【抜粋意訳】
葛木倭文坐天羽雷命(カツラキノシトリニマス アメノハヅチノミコトノ)神社
今 上太田村 志登梨にあり、棚機(タナハタノ)森と云、蓋此也、〔奈良縣神社取調書〕
天羽槌雄(アメノハツチヲノ)神を祭る、天羽槌雄神 亦名を建葉槌(タテハツチノ)命といふ、〔日本書紀、古語拾遺、神代巻口訣〕
蓋 倭文(シツリノ)宿禰の氏神也、〔古語拾遺、姓氏録、〕
上古 天照大御神 石窟に隠り坐時、此神 文布を織りて仕奉り、〔古語拾遺〕
武甕槌命 葦原中國を平伐る時、其服はぬ星神 香々背男を平けて、復命奏しき、〔日本書紀〕
平城天皇 大同元年、神封二十三戸を寄し奉り、〔新抄格勅符〕
清和天皇 貞観元年正月甲申、従五位下より従五位上を授け、〔三代実録〕
醍醐天皇 延喜の制、大社に列り、祈年月次新嘗の案上幣帛に預る、〔延喜式〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 葛木倭文坐天羽雷命神社 大月次新嘗について 所在は゛加守村(北葛木郡當麻村大字加守)゛〈現 葛木倭文座天羽雷命神社(葛城市加守)〉と記しています
【抜粋意訳】
葛木倭文坐天羽雷命(カツラギノシツリニマスアメノハツチノミコトノ)神社 大月次新甞
祭神 天ノ羽槌雄(アメノハツチヲノ)命
神位 清和天皇 貞觀元年正月二十七日甲申 奉授ニ 大和ノ國 從五位下 葛木倭文坐天羽雷命神ニ 従五位上
祭日 八月二十四日
社格 村社所在 加守村(北葛木郡當麻村大字加守)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
博西神社(葛城市寺口)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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