田島神社(唐津市呼子町)

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田島神社(たじまじんじゃ)は 遣隋使(kenzuishi)や遣唐使(kentoshi)が 大陸に渡る前に祈りを捧げて 旅立ちをした 大陸へ渡る海の道を持ちます 福岡県の「宗像大社」にも匹敵する備前國最古の社と伝わり 御祭神も同じ「道主貴(michinushi no muchi)」を祀ります   

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ご紹介(Introduction)

【神社名】(shrine name) 

田島神社(tajima shrine)
(たじまじんじゃ

【通称名】(Common name)

【鎮座地】(location) 

佐賀県唐津市呼子町加部島3965-1

【地 図】(Google Map)

【延喜式神名帳】    「旧国名 郡 ・ 神社名」

(927年12月完成) The shrine record was completed in December 927 AD.
【engishiki jimmeicho】「old region name・shrine name」

 肥前國    松浦郡    田嶋坐神社 一座 名神大社
 hizennokuni matsuragun tajimaniimasu kaminoyashiro

【御祭神】(God's name to pray)

《主》 田心姫尊  tagorihime no mikoto
    市杵島姫尊 ichikishimahime no mikoto
    湍津姫尊  tagitsuhime no mikoto

《配》 大山祇神  oyamatsumi no kami
《合》 稚武王尊  wakatakeo no mikoto (日本武尊の御子神 仲哀天皇の弟神)

【御神格】(God's great power)

・海上守護の神 God protecting maritime traffic
・交通安全 Traffic safety 
・大漁満船 Good harvest and big catch
・五穀豊穣 Pray for good harvest
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・等 etc

【格式】(Rules of dignity)

延喜式内社 名神大社 (engishikinaisha myojintaisha)
別表神社

【創建】(Beginning of history)

不詳

Shrines are very old, from the age when the gods flourished
And the faith is still going on

【由緒】(history)

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「御由緒 田島三神は遠い神代の昔に天照大御神が素盞嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも 九州でも最も古い神社の一つとして知られています。

当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。大同元年には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられ、中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年国幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。
御神徳 田島大神は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の崇敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁盛の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。」

案内看板より引用

【境内社】(Other deities within the precincts)

・佐與姫神社 《主》佐与姫命

・御崎神社  《主》級長津彦神
          級長津姫神
       《合》猿田彦神

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【この神社の予備知識】(Preliminary knowledge of this shrine)

「田島神社(tajima shrine)」の創建は不詳ですが 御祭神は「田島三神」と総称され 宗像大社の宗像三女神と同じです

・田心姫尊(tagorihime nomikoto)
・市杵島姫尊(ichikishimahime nomikoto)
・湍津姫尊(tagitsuhime nomikoto)

御祭神の由来から 鎮座地の「加部島(kabeshima)」は かつては「姫島」「姫神島」と呼ばれていました
古代から 海上守護の神として広く知られ 遣隋使(kenzuishi)や遣唐使(kentoshi)も大陸への航海の安全を祈願しに参拝したと伝えられています

社伝によると 
天平 3年(731年)相殿に「稚武王(wakatakeo no mikoto)」を配祀
天平10年(738年)聖武天皇(shomutenno)より大伴古麻呂(otomo no komaro)に詔命があり「田島大名神」の神号が贈られたと伝わり

延喜式内社の名神大社 (engishikinaisha myojintaisha)として 田嶋坐神社(tajimaniimasu kaminoyashiro)に比定されている古社です

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

大陸の航路の一大要地に鎮座する「田島神社(tajima shrine)」

一般の説では「田島神社(tajima shrine)」は 宗像大社(福岡県宗像市田島)から祭神を遷し祀ったと云われていますが 中々そう簡単に頷けないかもしれません
なぜなら 古くは 肥前一の宮として格式が高く 朝鮮半島や大陸の航路の一大要地に鎮座し「海上の守護神として信仰」を集めていた神社だからです

同じく海上の守護神として 世界遺産にも登録された「宗像大社munakatataisha」がありますが 3つ神社から構成されています

・「辺津宮(hetsugu)」 市杵島姫神(ichikishimahimenokami)(宗像市田島)
・「中津宮(nakatsugu)」湍津姫神 (tagitsuhimenokami)  (宗像市大島)
・「沖津宮(okitsugu)」   田心姫神 (tagorihimenokami)   (宗像市沖之島)

この「宗像大社munakatataisha」が鎮座する3地点は 古代 北九州と大陸との交通の要路であったとされていて 大陸からの侵略を守護し 大陸への神の道として 最も高貴な神に贈られる尊称「道主貴(michinushinomuchi)」として祀られています

しかし 大陸への海上交通を素直に考えた時 実際の人々が活用するであろう航路としては 最短でより安全な航路が 別に見つかります

それは発進点をこの地「田島神社(tajima shrine)」の鎮座地として 玄界灘への船出するルートです 
先ず すぐ近くに「加唐島」「馬渡島」があり その先に「壱岐島(ikinoshima)」さらに「対馬(tsushima)」と続き 大陸へと繋がっていきます 

宗像大社の3ポイントよりも実務的な配置となって 大陸への海上ルートが確保されています 

「田島神社(tajima shrine)」の鎮座地である「加部島(kabeshima)」は イカ漁で有名な呼子(yobuko)にありますが 玄界灘への船出に最適の天然の両港です 
更に東西にも湾や浦が控えていて 西隣りに「唐津市玄海町外津genkaimachi hokawazu」に外津浦(hokawazuura)
東側には唐津湾(karatsuwan)があり 「外洋と唐」を名前に持つ かつての貿易の拠点が いくつもあります

古代の大陸交易の重要ポイントであったことは確実で 当時の九州には 古代九州王朝として「伊都国(itokoku)」が栄えたと伝わります
その中心地としていたと考えられているのは 福岡県の糸島や博多です そこから 東西対象となって 二本の線のように(宗像大社・田島神社)の海上ルートが大陸へと結んでいます

この田島神社と宗像大社の位置関係は非常に興味深いと感じます

※Google Mapを作成しましたのでご覧ください
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&hl=ja&mid=17VGvDco7cRFk67JDvVochgjldS8ie1sC&ll=34.05895153021655%2C129.84794171129192&z=10

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

もう一つの「道主貴(michinushinomuchi)」の道
その出発点にある「田島神社(tajima shrine)」へとレンタカーで向かいます

唐津の町から382号線を北上して 呼子(イカで有名)の弁天島を橋脚にした呼子大橋を渡り 鎮座地の加部島(kabeshima)の東部 加部漁港を目指します

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漁港から見ると 拝殿本殿は 海(漁港)に対して 正面に鎮座しているので 鳥居が海に向かって建っています おそらく かつては船を着けて お詣りをしたのでしょうか
現在の参道は 海岸まで緩やかな下り階段で 一礼して鳥居をくぐる

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 右に「手水舎」と「元寇(genko)の碇石(ikari ishi)」として 蒙古軍船の碇石が置いてあります

その少し先に 源 頼光(minamoto no yorimitsu)が寄進した「頼光鳥居(raiko torii)」があり 佐賀県内最古の「肥前鳥居(hizen torii)」(笠木と島木が一体化 柱の下半身寸胴というか 下の方が太い特徴)」と但し書きがあります

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この「頼光鳥居(raiko torii)」に一礼し 右手上り階段は登ぼらずに
平らな参道を真っ直ぐ進むと 海に面した鳥居から登り階段があり 楼門から拝殿に続いています

海に面した鳥居から お詣りを再開して 一礼してくぐります
楼門に続く階段を上り 楼門をくぐると 左手に境内社「佐與姫神社(sayohime shrine)」があります

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佐與姫神社(sayohime shrine)の奥手 豊臣秀吉公の渡海船であった小鷹丸の船玉神を祀る「御崎神社(misaki shrine)」があります

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太閤秀吉が何故 船玉神を祀ったのか 案内書がありわかります
まるで「太古の神功皇后の故事」に倣うように「船首に 瑞真榊を立て 三種の神器を奉り 大陸に七度の往復をしたが無事帰国した・・・・・」
とあって 妙に納得しました

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そこから 少し山の中に上り進んでいくと 本殿の後ろ辺りに「太閤祈念石(taikokinenishi)」があります

太閤秀吉の願かけ石とも言われ 当社の神職が7日間の断食により 祈祷が満願に達した時 秀吉が槍の石突で突くと真っ二つに割れたと伝わる石 
この地域は 秀吉の朝鮮出兵の前線基地「名護屋城」が島を渡って近くにあり この地が祈願所であったのであろう

それでなのか 境内に 豊臣秀吉軍の武将達が力比べをしたらしく 力石などがあります

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佐與姫神社(sayohime shrine)の右手 一段高いところに 「田島神社(tajima shrine)」の拝殿があります
お詣り当日は 晴天の玄界灘が輝き 静寂で明るい拝殿 ご神威に添い給うよう願い 拝礼 鎮まる3つ柱の女神と御祭神 に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈りを済ませます

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 拝殿からの戻り 先程と真逆に一直線の正参道の下り階段が続き 立派な楼門から 海に向かう鳥居 海(漁港)まで下りてから もう一度 海に向かう鳥居から 振り返り 拝殿を見上げ一礼

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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

境内社「佐與姫神社(sayohime shrine)」にある伝承

「田島神社(tajima shrine)」は 玄海の漁師や松浦党の海賊団たちが 海上危機にあった折に救いを求めた三女神を祀り 玄海の海上守護の神として広く知られていますが

境内社「佐與姫神社(sayohime shrine)」には
この神社の伝説に因んで詠まれた『万葉集(manyoshu)』山上憶良(yamanoe no okura)の和歌があります

『海原(unabara)の おき行く船を帰れとか

領布(hire)振らしけむ 松浦佐用比売(matsura sayohime)』

松浦佐用姫(matsura sayohime)伝説について

佐與姫神社(sayohime shrine)には 
松浦佐用姫(matsurasayohime)が夫「大伴狭手彦(otomo no sadehiko)」の無事を祈って泣き伏したまま石となってしまった「望夫石(bofuseki)」が御神体として鎮まっていると伝わります

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その伝説は 神社案内看板より

「松浦佐與姫(matsurasayohime)を祭るこの神社は、

宣化天皇二年十月、「大伴狭手彦(otomo no sadehiko)」は 勅命により、任那を援護することになり、京の都を発し 松浦国篠原の里に滞在した。

篠原村長者の娘 佐與姫は 心優しく狭手彦と想思の仲となった。
いよいよ出航の時、別れを惜しみ後を慕い領布振山(鏡山)に登り遙に船影を望んだ。

更に松浦川を渡り、沖合遠く走る帆影は小さく雲間に没して見えなくなった。
姫の悲嘆はますます募り田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈念しながらも泣き続け息絶えて神石となられた。世にいう望夫石である。これをお祀りしたのが当社である。

豊臣秀吉より文禄二年百石の御朱印以来、徳川将軍家に引継がれた。その後 佐與姫の想いがかない、狭手彦は無事帰国した。以後唐津城主の姫君などがお忍びで再三参拝され、良縁の御守を持ち帰られた。以来縁結びの守神として信仰厚く、男女の参拝は習俗となって現在も続いている。 」

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この伝説は「肥前国風土記(hizennokuni fudoki)」にも記され 日本三大悲恋物語の一つとして書かれています

『537(宣化2)年 朝鮮半島の任那(mimana)救援に遣わされた「大伴狭手彦(otomo no sadehiko)」の妾(tsuma)松浦佐用姫(matsurasayohime)は 夫との別れを嘆き 高い山の嶺に登り 遠ざかる夫の船を遥かに見やり 悲しさに肝も絶え 苦しさに魂も消える思いで 船よ帰れとひたすらに領巾(hire)を振った

それを見て 傍らの人はみな泣いた 

それで その山(現在の鏡山(kagami yama)を「領巾振の嶺(hirefuri no mine)」と呼ぶようになった 

佐用姫が ひたすらに振った領巾(hire)の力は及ばず船団は遠ざかり 山を下って狭手彦を追った佐用姫は 船に乗り 鎮座地の「加部島(kabeshima)」へ渡る 高い所へ登り 遙かに唐土の雲路ともおぼしき方を 一面に見渡したが すでに船影も見えず 夫の無事を祈り 泣き伏したまま石になったという 「望夫石(bofuseki)」が御神体として鎮まる』

松浦佐用姫(matsurasayohime)が 「呼子(yobuko)の浦」から名前を呼んだので「呼子(yobuko)」という地名になったと伝わり

この石に祈願すると添い遂げられる相手と結ばれるといわれ 縁結びの神社としても人気があります

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『神功皇后(jingukogo) 伝説』

かつて 神功皇后(jingukogo)が 三韓征伐の時 往路に田島神社ルートで 壱岐島(ikinoshima)さらに対馬(tsushima)から新羅征伐に赴いています 
その折にお供した武将に 当社の御祭神となっている「稚武王尊(wakatakeo no mikoto)」 がいます

日本武尊の御子で 第14代 仲哀天皇(chuaitenno)の弟にあたりますが 
新羅征伐の帰途 一人この社に残った(或いは 残された)との伝承もあります

太古より 大陸との要所として 遣隋使や遣唐使も祈り渡った 大陸への道
人々の悲喜こもごもを見守り続ける
備前國最古と伝わる田島神社に坐ます 三女神に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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