荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〈『三代實録』荒井神『延喜式』嶋物部神社〉

荒井神社(あらいじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが『三代實録』元慶6882丹波 荒井神従五位を授け記され 又 この付近には延喜式内社 丹波國 船井郡 嶋物部神社しまもののへの かみのやしろがあったとされるが その所在は不明となっていて 荒井神社は嶋物部神社の有力候補と云われます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

荒井神社(Arai shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府南丹市八木町美里字荒井1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》荒魂神(あらみたまのかみ
   健御雷命(たけみかづちのかみ)
   経津主命(ふつぬしのみこと)
   屋根命(あめのこやねのみこと)
   (ひめのかみ)

※物部氏祖神 宇摩志麻遅命とする説もあり 荒魂神も宇摩志麻遅命の荒魂であると云う

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

荒井神社

八木町美里に鎮座する荒井神社。本殿は永禄9年(1566)に建立されたもので、京都府登録文化財・南丹市指定文化財、境内は京都府指定文化財環境保全地区です。

「三代実録」元慶6年(882)10月9日条に丹波国荒井神として従五位を授けられたという記録があり、その当時には存在していたことがわかります。この付近には延喜式内社(延長5年/西暦927年の延喜式神名帳に記載された神社)の嶋物部神社があり、その所在は不明となっていますが、荒井神社は嶋物部神社の有力候補と言われています。真言宗西光寺の参道口に鎮座し、明治の神仏分離までは西光寺禅学院の両部僧(真言宗の神仏習合思想による僧侶)が神勤していました。

西光寺

八木町美里にある西光寺。天平勝宝8年(756年)に奈良東大寺の良弁僧正によって創建された真言宗寺院。高雄の神護寺の末寺。本堂は寛政11年(1799)に再建されたもので、南丹市指定文化財です。

文覚上人ゆかりの寺で、文覚上人得度の地とも、高雄の神護寺の別院としたとも伝えられています。最盛期には寺領三千石、塔頭36寺、本坊住持は日野・北小路家から出るという勢力を持っていました。民俗行事を伝承していて、8月20日と23日に行われる六斎念仏踊りは京都府指定無形民俗文化財です。船井ごおり西国三十三ヶ所観音霊場第21番札所で、桜と紅葉の名所としても知られています。

南丹市総合ガイド『南丹生活』HPより
https://tanbarakuichi.sakura.ne.jp/nantan/sightseeing/sightseeing04.html#araijinja

【由  (History)】

八木町指定文化財 昭和六十年三月三十日指定

荒井神社本殿

 当社の創建年代は明らかでないが、『日本三代実録』の元慶六年(八八二)十月九日の条に荒井神社の名が記されている。現本殿については、永生十六年(一五一九)九月八日桧皮屋根葺替時の寄付者名を書いた板札があることと、 明治八年の『寺社取調帳』に、「永禄九年十月吉日造作」の板札が一枚あると記されていることから、室町時代後期の建立と考えられる。

 本殿は、桧皮葺の一間社流造で、身舎は円柱、向拝は面取角柱である。柱は長押と頭貫で固められ、柱上には実肘木付出三斗が組まれる。軒は二重繁垂木で妻飾は豕扠首である。明暦三年(一六五七)の修理では、屋根葺替とともに軒より上の部分も補修されたが、当初の垂木が背面に 一部転用されるなど、当初材がよく残る。向拝の木鼻の彫 刻は地方色が濃く、実肘木や板蟇股の意匠や構造は、室町 時代末期の丹波地方の神社建築を知る上で重要である。

現地立札より

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『船井郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第八章 社寺 神社

京都府編築の式内神社考證により、此等式内社の沿革を見るに左の如し

島物部神社

祭神 宇麻志麻治命歟 同郡神田村 荒井神社 此歟

 按するに島物部神社 必 志麻郷の內に鎭座あるへし、今 荒井神社 舊志麻郷の內 神田村に在て最古社なり、是 島物部神社歟、然而三代實錄に見れたる丹波國 荒井神も 又 當社歟、蓋し一社にして古来兩號を稱するなるへし

【原文参照】

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950928

【抜粋意訳】

村社 荒井神社  明治六年三月 大字神田小字荒井

 荒井神社は最古き社にして 永正十六年九月上屋根葺替の時 多数寄進者の氏名を錄せる板札一枚、永祿九年十月社殿修造の時の板札一枚、明暦三年八月屋根葺替同年九月二十四日正遷宮の時 多數寄進者の氏名を錄せる板札一枚あり、
延喜式内 島物部神社を以て 此の荒井神社に充て、三代實錄に出でたる丹波國 荒井神をも之に充てんとすること 通誌第八章に記述したるが如し。

【原文参照】

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950928

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

丹波國 荒井神に神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷四十二 元慶六年(八八二)十月九日戊申

○九日戊申


薩摩國 從四位上 開聞神正四位下

近江國 從五位上 小杖神
越中國 楯桙神
筑前國 鳥野神 從五位上

近江國 從五位下 牟佐上神 牟佐下神 栢板神從五位上

近江國 正六位上 物部布津神 海北神 海南神
美濃國 長友神
丹波國 荒井神 城埼神に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)舩井郡 10座(大1座・小9座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 嶋物部神社
[ふ り が な ]しまもののへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Shima mononohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について

太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります

『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています

東海道

「伊勢國 飯高郡 物部神社」 

・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉

「伊勢國 壹志郡 物部神社」 

・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉

「尾張國 春日部郡 物部神社」 

・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉

・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉 

・諸大明神社(春日井市松本町)

・八所神社(豊山町豊場木戸)

「尾張國 愛智郡 物部神社」 

・物部神社(名古屋市東区筒井)

・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)

「甲斐國 山梨郡 物部神社」 

・物部神社(笛吹市石和町)

・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉

・大石神社(山梨市西)

・大石神社(甲州市塩山赤尾)

・白山建岡神社(山梨市上栗原)

「武蔵國 入間郡 物部天神社」 

・北野天神社(所沢市小手指元町) 

東山道

「美濃國 厚見郡 物部神社」 

・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)

・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)

・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)

・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉

北陸道

「越中國 射水郡 物部神社」 

・物部神社(高岡市東海老坂)

「越後國 頸城郡 物部神社」 

・物部神社(上越市清里区)

「越後國 三嶋郡 物部神社」 

・二田物部神社(柏崎市西山町)

「佐渡國 雑太郡 物部神社」 

・物部神社(佐渡市小倉)

山陰道

「丹波國 船井郡 嶋物部神社」

・荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)

「丹後國 與謝郡 物部神社」 

・物部神社(与謝野町石川)

「但馬國 城崎郡 物部神社」 

・韓國神社(豊岡市城崎町)

「石見國 安濃郡 物部神社」 

・物部神社(大田市)石見国一之宮

山陽道

「播磨國 明石郡 物部神社」 

・可美真手命神社(押部谷町細田)

・惣社(神戸市西区伊川谷町)

西海道

「壱岐島 石田郡 物部布都神社」 

・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉

・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉

・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

山陰本線 吉富駅から北西方向へ約1.2km 車での所要時間は2~5分程度

園部川と大堰川の合流点近くの山の麓に在る西光寺の南側〈参道の隣〉に鎮座しています

大堰川と園部川の合流点であつて 嶋のような地形だったのか?
元々は現在地よりも 50~60メートル程 上に鎮座していたと云います

荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐります 鳥居の扁額には゛正一位 荒井大明神゛とあります

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拝殿にすすみます

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拝殿の奥には 本殿が納められている覆い屋があり 覆い屋の入口が拝所となっています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿は 京都府登録文化財に登録されています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在は不明〉と記されています

【抜粋意訳】

物部神社

島は志麻、物部は毛乃々倍と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕志麻、

〇祭神 宇麻志麻治命

〇在所詳ならず

類社
 伊勢國飯高郡 物部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 物部神社について 所在は゛ 神田村にあり・・神田村に荒井神社あり゛〈現 荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〉と記しています

又゛荒井神と島物部神と同神に坐す゛として 荒井神社と島物部神社は同じとも記しています

【抜粋意訳】

物部(シマモノベノ)神社

 神田村にあり、〔丹波式社考証〕

盖 物部連の祖神を祭る、〔舊事本紀、延喜式〕〔〇按 島物部神と云に據は、志麻郷内にあるべき事著きを、今 其郷内 神田村に荒井神社ありて、島物部神社なきは、荒井神と島物部神と同神に坐す故なるへし、故今 此に併載て、後の考に備ふ〕

陽成天皇 元慶六年十月戌申、正六位上 荒井神に従五位下を授く、〔三代実録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は無記入〈所在は不明〉と記されています

一説として゛神田村 荒井神社゛〈現 荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〉もあるが 決め難いとも記しています

【抜粋意訳】

物部(シマモノノベノ)神社

祭神
祭日
社格

所在
 今按 式内神社考證に神田村 荒井神社これか本社  志麻郷内にあるべし 荒井神社 當郷内に在て尤古社なればなり されども三代實錄に見えたる丹波國 荒井神あり 蓋一社にして両號なるべしと云るが如く 今何れとも定めがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

荒井神社(南丹市八木町美里字荒井) (hai)」(90度のお辞儀)

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丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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