神明宮(氷見市磯辺 上宮)〈『延喜式』礒部神社の元鎮座地〉

神明宮(しんめいぐう 磯部神社(氷見市磯辺)の旧社地とも云われ 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)の論社となっています 磯部集落中でも山間部上宮(かみや)集落に鎮座したが 集落過疎化の為 神社の維持管理ができなくなり 礒部神社に合祀の神事〈2022年11月26日〉が執り行われました

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神明宮(Shinmeigu

通称名(Common name)

・上宮の宮(かみやのみや)

【鎮座地 (Location) 

富山県氷見市磯辺 上宮(かみや)2883

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
《合》豊受大神(とようけのおほかみ)

〈2022年11月26日〉合祀の神事が執り行われ 礒部神社に合祀遷座されました

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代は不祥

【由  (History)】

『富山新聞』2024/1/24の記事「上宮」氏子減少で合祀 礒部神社に遷座 より

氷見・磯辺 世話役が高齢化

氷見市磯辺上宮(いそべかみや)にある神明宮のご神体が、磯辺の礒部(いそべ)神社に合祀された。氏子が 3世帯に減少し、高齢化で将来の維持に不安があったため、磯部神社の氏子が受け入れた。長年世話に当たった山下進さん(82)は「寂しさはあるが、神様を大事にまつっていくにはこれしかない」と感謝した。
・・・・
・・・・

【富山新聞の抜粋】

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YouTube動画「上宮の宮」に非常に詳しい遷座の動画あり
https://www.youtube.com/watch?v=0Ho1jrctnfI

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈礒部神社の元鎮座地〉神明宮(氷見市磯辺 上宮)

一説には

磯部神社は もと上宮(かみや)集落(磯部集落の北方1kmの山中)にあったと云う
又 現在の磯部神社のある所に 箭代神社の遥拝所〈里宮〉があったと云う
中世の戦乱で この二社は荒廃して 後世に再興された時 箭代神社は北八代の中山(旧社地)に遷座し 箭代神社の旧社地に磯部神社が遷座したのだと云う

延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)
〈2022年11月26日〉神明宮は 礒部神社に合祀の神事が執り行われました

上宮(かみや)集落は 徐々に人が離れ過疎化の為 神明宮の維持管理ができなくなり ご神体を同じ八代地区の礒部神社へ遷座合祀されました

・神明宮(氷見市磯辺 上宮)については この記事〈参拝日2019/9/30〉を参照

・箭代神社(氷見市北八代)

一説には
箭代神社は もとは 八代村の奥山に「八代仙(はったいせん)」と呼ぶ洞窟を奥宮として〈明治34年(1901)の「富山越中地震」で洞窟は埋もれてしまったと云う〉
現在の磯部神社のある所に箭代神社の遥拝所〈里宮〉があったと云う

磯部神社は もと上宮(磯部部落の北方1kmの山中)にあつたが 中世の戦乱で この二社は荒廃して 後世に再興された時 箭代神社は北八代の中山(旧社地)に遷座し 箭代神社の旧社地に磯部神社が遷座したのだと云う

延喜式内社 越中國 射水郡 箭代神社(やしろ かみのやしろ)

・感之社〈箭代神社の古社地の中山南麓に再建〉
・箭代神社(氷見市北八代)

箭代神社の奥宮であった(八代仙洞窟)・里宮〈遥拝所〉であった(現 磯部神社の境内)と 磯部神社の元鎮座地(神明宮(氷見市磯辺 上宮))の位置関係

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越中國 34座(大1座・小33座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)射水郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 礒部神社
[ふ り が な ](いそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Isohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)の論社について

・磯部神社(氷見市磯辺)

・神明宮(氷見市磯辺 上宮)
〈礒部神社の元鎮座地〉

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR氷見線 氷見駅から県道18号で海岸線を北方向へ 約9.3km 車での所要時間は14~15分程度で

・磯部神社(氷見市磯辺)に到着

磯部神社(氷見市磯辺)から さらに 北方向へ約1.6km 車での所要時間は4~6分

磯部神社(氷見市磯辺)から県道18号を300m程 北上した辺りに変則的な四差路の交差があり「磯部」のバス停がありました ここを県道363号へと右折〈北へ〉して角間の方へ1km程進むと左折して 山間にある上宮(かみや)集落へと向かいます

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山間に数件の民家があり 道は行き止まりとなっています

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周囲を見渡しても と言っても 左片側は急な断崖の崖下となっていて あるとすれば 右の山側ですが 神社らしいもの 社頭や参道の入り口なども 見当たりません

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辺りには誰もいませんので ちょっと山に入ってみようと 民家の庭先の横を抜けて 畑の畔道を進んでみました

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すると畑の先に 石段のようなものがみえました

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石段の方に進みます

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石段を上がって行くと 神社の社殿らしきものの屋根が見えてきました

神明宮(氷見市磯辺 上宮)に参着

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石段の最上部まで来ると 現れたのは 塩化ビニール製の波板で覆われた 社殿でした

拝殿にすすみます

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覆いの扉の開け方が わかりませんでしたので 扉の手前から

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして石段を下ると 弧を描く参道のようなもの〈棚田の畔〉がありました

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真っ直ぐに伸びている小道は 先程 行きに来た畑の畦道で 民家の軒先を通っています 帰りに 又 留守宅の横を通るのも気が引けましたので 弧を描く参道のような道〈棚田の畔〉を戻りました

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すると やはり参道ではないらしく ここへ降りて来ました

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車に乗り込み 来た道を戻ります

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道幅が少し広がったころ 行く手に何か動いています

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滅多に走らない車に驚いたのか イノシシの親子は藪へと逃げ込んでいきました 自然の残る相当な山間なのだと改めて感じました

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 礒部神社について 所在は゛礒部村に在す、゛〈現 磯部神社(氷見市磯辺)〉と記しています

【抜粋意訳】

礒部神社

礒部は 伊曾倍と訓べし

〇祭神 櫛日方命、大山咋命、大己貴命〔神社帳〕

礒部村に在す、〔同上〕
 例祭

類社
 伊勢國 朝明郡 石部神社の條見合すべし
 越後國 頸城郡 水島犠部神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 礒部神社について 所在は゛今、磯部村土坂に在り、゛〈現 磯部神社(氷見市磯辺)〉と記しています

【抜粋意訳】

磯部(イソベ)神社

今、磯部村土坂に在り、

四月五日、九月二十二日祭を行ふ、〔神社覈録、新川縣式社調牒〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 礒部神社について 所在は゛礒邊村 字上坂(氷見郡八代村大字礒邊)゛〈現 磯部神社(氷見市磯辺)〉と記しています

【抜粋意訳】

磯部神社

祭神 天日方奇日方命

祭日 今四月五日 九月二十二日
社格 村社

所在 礒邊村 字上坂(氷見郡八代村大字礒邊)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明宮(氷見市磯辺 上宮) (hai)」(90度のお辞儀)

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越中国 式内社 34座(大1座・小33座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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