国玉神社(泉南郡岬町深日)〈『延喜式』國玉神社〉

國玉神社(くにたまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延喜式内社 和泉國 日根郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)とされます 『續日本紀』に48代 称徳天皇が 紀伊國に行幸された天平神護元年(765年)使を遣はして行宮を 和泉國に設けられた地は 深日(ふけ)であり 國玉神社の辺りと伝えられています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

國玉神社(Kunitama shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

大阪府泉南郡岬町深日(ふけ)921

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大主大神(おほくにぬしのおほかみ)

《合》賀茂別雷神(かものわけいかづちのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

国玉神社略記

鎮座地 大阪府泉南郡岬町深日九二一番地

社号 国玉神社

御祭神 大国玉大神

御名を大国主神と申し上げ御荒魂に坐して神典に伝える神代の天神 神産巣日神の御子 少彦名大神と力をあわせ御魂を一つにして天下国内を経営せられその偉大な御神威は開墾疎水の道を教え産業を興し給いとくに医薬禁厭(医術、薬方、まじない)福徳の祖神としてその霊験は誠にあらたかなる大神であらせられます。

賀茂別雷大神

租神は賀茂建角身命と申し 神日本磐余彦火火出見命(神武天皇)大和に出で建国の偉業をなされんとされしが山中嶮しく道を迷ひ給いし折 賀茂建角身命 大きなる烏と化りて飛び来り天皇を導き奉りて 遂に大和に達り給いて建国の大偉業をなされ給い 其の御神威なる有功を喜び給ふ八咫烏の号之より始まれりと言ふ諸種の導きの御霊験は誠にあらたかなる大神であらせられます。

氏神と氏子

以上二柱の神を御祭祀されてあります。惟神奇霊(かむながらくしび)なる隋(まにま)に深日孝子一円の鎮守の神、産土神、氏神と申して鎮座まします。而してこの一円に居住する人々は深い神縁に結ばれております氏子であります(付記 伊勢の皇大神宮は全国神社の本宗であり、日本民族の総氏神様でありますことは言ふまでもありません)目に見える現象界の立場で目に見えぬ神秘な神霊界のことを語ることは至難であり、しかし氏神の目に見えぬ深広な恩頼(みたまのふゆ)の中に氏子は抱かれて生活していると言ふ真実を自覚する時自ら感謝の念がわいてまいります。

由緒

 国玉神社は 第六十代醍醐天皇の御代に成った延喜式内社であり 創立年月は旧記になく詳でありません。
 国内神名帳に正五位下国玉神社としてあります。
 境内三、〇四五坪を有し千歳川岸の丘麓にあり 昔は樹木欝蒼として深日港を望む遠くは淡路島及摂淡連峯を望み 明治六年郷社に列記され 明治四十一年神饌幣帛供進社に指定せられ 明治四十五年五月若宮の浜山に祭祀されてありました村社賀茂神社の御祭神を相殿とし、末社でありました、八幡社、若宮八幡、戎社の三社を元国玉神社の本殿に相殿として祭祀してあります。
 現在の本殿は元賀茂神社の本殿を遷座してあり梁行四間桁行三間の銅葺流造にして氏子地は深日孝子一円にわたっております。
拝殿上の「大国玉神」の木の額は旧深日村の古事に依れば門厳の書であります。深日庄は第七十三代堀河天皇寛治四年より第一〇四代後柏原天皇大永年間まで京都賀茂神社の領で元賀茂神社の隆昌繁栄に反して国玉神社は次第に衰徴し徳川時代に至っても隆昌をする事無く 明治維新まで明中十五軒にて山林等を資にして祭祀。保存しておりましたものです。磴下坦地にあります。

 現旧蹟趾の碑は第四十八代称徳天皇の紀州行幸の際行宮として定め給ひし処であり、続日本紀に「天平神護元年九月閏十月二十六日庚戌遣行宮於大和河内和泉等国以欲幸紀伊甲申致和泉国日根郡深日(フケ谷朱)行宮干時西方暗瞑異常風雨紀伊国守小野朝臣小贄従此而還詔賜絁卅疋綿貳百屯」と記されてあり。第六十五代花山天皇の行幸の際須臾寓宮として定め給ひしと記されてあります。

又末社は、元は小祠でありましたが永年の風雨の為破損甚だしく神々の御神慮を恐れ昭和四十年七月十日境内東南側に銅葺流造の社殿に遷座祭祀せしもので当神社は称徳天皇行宮より現在まで一千二百余年の年月を経ております。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『大阪府誌』第5編に記される内容

【抜粋意訳】

名勝舊蹟誌(二) 和泉國泉南郡

國玉神社

 延喜式内の社にして 深日村大字深日字里山に鎮座せるもの是れなり、大名持命を祀り 社域九百拾六坪ありて 千歳川は西南を饒り、七十有餘級の石磴を上り盡せば坦地に出づ、本殿は其の正面に在り哞を放ちて北望すれば 近く深日の浦より大阪湾の風光を収むべく、磴下また坦地ありて稱徳天皇の紀州行幸のとき行宮を定め給ひし慮なりといふ、又、花山法皇も御行脚の時 須臾寓居し給ひきとぞ、
社殿は桁行五尺、梁行四尺にして前に拝殿あり、大神社、大島神社、出雲神社、住吉神社、大山祇神社等の末社相連なり、深日孝子二村の産土神にして氏子五百餘戶を有し、今郷社たり、

深日行宮趾

稱徳天皇 紀伊國に行幸せられんがため天平神護元年九月使を遣はして行宮を大和河内及び和泉の三國に造らしめ給ひき、此のとき和泉國にて設けられし地は深日にして、事、續日本紀に出でたり、又、平氏の末年に當りて城砦を築きし事あるは次の様に記せるが如し、城砦の地、今詳らかならざれども行宮の趾は字里山に鎮座せる國玉神社の城内なりと云ふ、地は葛城の支脉にして甚聘矚に富めり、尙、國玉神社の修參照すべし

續日本紀
 稱德天皇 天平神護元年冬十月辛未行幸紀伊國、丙子天晴、進到玉津島、癸未還到海部部岸村行宮、甲申到和泉園 日根郡深日行宮、干時西方暗瞑異風雨、(中略)乙酉到同郡新治行宮、丙戌到河內國丹比郡、

【原文参照】

『大阪府誌』第5編,大阪府,明36.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765475

『大阪府誌』第5編,大阪府,明36.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765475

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

國玉神社 社殿

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・〈境内社〉戎神社

《主》事代主大神,品陀和気命,大雀命

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・〈境内社〉祓戸社

《主》瀬織津比売命,速秋津比売神,気吹戸主神,速佐須良比売神

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・〈境内社〉五社

《主》天照皇大御神,豊受比売大神,大山祇大神,底筒男大神,中筒男大神,表筒男大神,息長足比売大神,日本武命,大国主大神

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

48代 称徳天皇が 紀伊國に行幸された天平神護元年(765年
使を遣はして
行宮を・大和・河内・和泉の三國に造られた この時 和泉國に設けられた行宮の地は 深日(ふけ)と記されています その場所は國玉神社の辺りと伝えられています

【抜粋意訳】

天平神護元年(七六五)十月辛未十三

○辛未

行幸紀伊国。以正三位諱為御前次第司長官。従五位下多治比真人乙麻呂為次官。正四位下中臣朝臣清麻呂為御後次第司長官。従五位下藤原朝臣小黒麻呂為次官。各判官二人。主典二人。正四位下藤原朝臣縄麻呂為御前騎兵将軍。正五位上阿陪朝臣毛人為副将軍。従三位百済王敬福為御後騎兵将軍。従五位下大蔵忌寸麻呂為副将軍。各軍監三人。軍曹三人。是日。到大和国高市郡小治田宮。

・・・
〈中略〉
・・・

天平神護元年(七六五)十月甲申廿六

○甲申

 到和泉国日根郡深日行宮。于時、西方暗暝。異常風雨

 紀伊国守小野朝臣小贄、従此而還。詔、賜糸卅疋。綿二百屯

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉國 62座(大1座・小61座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)日根郡 10座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 國玉神社
[ふ り が な ]くにたまの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kunitama no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

゛國魂〈国玉〉神(くにたまのかみ)゛を祀ると想われる゛延喜式内社゛について

・國魂神・国靈神・国玉神とも書く

 古代の日本人は 国土には それぞれ神威〈靈〉が内在していて その神威〈靈威〉の盛衰が国の興亡をも左右する 國を治める神靈国魂(くにたま)゛であると考えており 国魂の霊威は 国土そのものの神霊を云う爲 国の支配権にも結び付いた信仰の形態となっていったと云う

延喜式内社 山城國 久世郡 水主神社十座(並 大 月次 新嘗・就中同 水主坐天照御魂神 水主坐山背大国魂命神 二座預相嘗祭)(みぬしの かみのやしろ)

・水主神社(城陽市水主宮馬場)

延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社 三座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほやまとにます おほくにたまの かみのやしろ みくら)

・大和神社(天理市新泉町)

延喜式内社 和泉國 日根郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)

・國玉神社(泉南郡岬町深日)

延喜式内社 攝津國 東生郡 難破坐生國咲國魂神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(なにはにいます いくくにさき くにたまの かみのやしろ ふたくら)

・生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)

延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくたまの かみのやしろ)

・河内國魂神社(神戸市灘区国玉通)

・綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)

・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

・宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會國御神社(わたらひの くにみかみの やしろ)

・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)

・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)

・大国玉神社(松阪市六根町)

延喜式内社 尾張國 海部郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)

・国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町大字万場字郷中)

・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉

・居森社(津島市神明)
〈津島神社の境内 弥五郎殿の旧鎮座地〉

・彌五郎社(津島市神明)
〈津島神社の境内〉

延喜式内社 尾張國 中嶋郡 尾張大國霊神社(貞)(をはりおほくにたまの かみのやしろ)

・尾張大國霊神社(国府宮)

延喜式内社 遠江國 磐田郡 淡海国玉神社(あはうみの くにたまの かみのやしろ)

・淡海國玉神社(磐田市見付)〈遠江總社〉

延喜式内社 常陸國 眞壁郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)

・大國玉神社(桜川市大国玉)

延喜式内社 上野國 佐位郡 大國神社(おほくに かみのやしろ)

・大國神社(伊勢崎市境下渕名)

延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)

・大國魂神社(いわき市平菅波宮前)

延喜式内社 能登國 能登郡 能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこの かみのやしろ)

・能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)

・能登生國玉比古神社(中能登町)

・能登部神社(中能登町)

延喜式内社 出雲國 出雲郡 杵築大社〈名神大〉(きつきの おおやしろ)

・出雲大社〈大国主神を祀る〉

延喜式内社 淡路国 三原郡 大和大國魂神社(貞・名神大)(やまとのおほくにたまの かみのやしろ)

・大和大國魂神社(南あわじ市榎列上幡多)

延喜式内社 阿波國 美馬郡 倭大國玉神 大國敷神社二座(やまとおほくにたまのかみ おほくにしきかみの やしろ ふたくら)

・医家神社(三好市池田町)

・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)
〈医家神社 旧鎮座地〉

・倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)

・倭大國敷神社(美馬市脇町拝原)

延喜式内社 壹岐嶋 石田郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)

・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)

・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大國魂神社(しまおおくにたまの かみのやしろ)

・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)

・島大國魂神社(対馬 豊)

・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)

・島大國魂神社(対馬 御岳)

延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大国魂神御子神社(貞)(しまおほくにたまのかみの みこの かみの やしろ)

・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)

・島御子神社(対馬 曽)

・国本神社(対馬 瀬田)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南海多奈川線 深日町駅から北東方向へ約450m 徒歩7分程度

國玉神社(泉南郡岬町深日)に参着

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鳥居の扁額には゛國玉神社゛とあり 一礼をしてからくぐり抜けます

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参道沿いに〈境内社〉祓戸社

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二の鳥居が建ち 更に石段を上がります

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石段を上がると 平地のある境内に出ます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の向かって左手には〈境内社〉戎神社が祀られています

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社殿に一礼をして 境内に戻ります

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境内の向かって右手には〈境内社〉五社が祀られています

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参道の石段を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 國玉神社について 所在は゛下庄深日村に在す、゛〈現 國玉神社(泉南郡岬町深日)〉と記しています

【抜粋意訳】

國玉神社

國玉は久爾多麻と訓べし

○祭神 大國玉神、泉州志、式社考、

○下庄深日村に在す、泉州志、和泉志、式社考、

類社
 尾張國 海部郡 國玉神社

神位
 國内神名帳云、正五位下 國玉社、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 國玉神社について 所在は゛今 深日村に在り、゛〈現 國玉神社(泉南郡岬町深日)〉と記しています

【抜粋意訳】

國玉(クニタマノ)神社

今 深日村に在り、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 國玉神社について 所在は゛深日村(泉南郡深日村大字深日)゛〈現 國玉神社(泉南郡岬町深日)〉と記しています

【抜粋意訳】

國玉(クニタマノ)神社

祭神 大國玉

祭日 九月二十一日
社格 郷社

所在 深日村(泉南郡深日村大字深日

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

國玉神社(泉南郡岬町深日)ついて 式内社 國玉神社であるとして 郷社に列格しています

【抜粋意訳】

〇大阪府 和泉國 泉南郡深日(フケ)

郷社 國玉(クニタマノ)神社

祭神 国魂(クニタマノ)

 創祀の年代詳なら、醍醐天皇 延喜の制小杜に列す、日根郡十座の一なり(延喜式)、
 國内神名帳に、正五位下 國玉神社とあれば、何時の頃か叙位の事ありきと覚ゆ、
明治年郷社に定まる、金幣を御神とす、境内九百十六坪(官有地第一種)にして、外に上地林五反二歩を編入せらる、
社殿は本殿、拝殿を備ふ、社地高燥にして千年の老松森々として鬱茂す、

 當 深日村は聖武天皇、孝謙天皇の行宮ありし地にして、其旧跡 今猶存す、又 花山院法王 御行脚の時、地に杖を止め給ひし事ありと、
此地の海岸を深日浦といふ、白砂青松画くが如く、細波洋々として其本を洗ひ、西には淡路の翠らんを望み、北には播摂の碧峰を仰き、海岸には奇岩怪石突兀として起伏し冠石島帽子岩の名あり、古より歌枕として詞人の吟詠甚だ多し、
 「時つ風吹飯の濱にいで居つ あがふ命は妹が為こそ(萬葉集)
寛平の御時 菊合和泉ふけひの浦の菊
 「けにけにと霜おきまさる冬はただ花うつらふと浦みゆくらん(夫木集)
 「月清み千鳥啼くなり おきつ風ふけひの浦の明方の空」(皇大皇后大夫俊成)
 「さよ千島ふけひの浦に音れて絵島か磯に月傾きぬ」(藤原家基)
 「越波に吾が世吹飯のうらみ来て寐る夢も此頃ぞ見る」、(権中納言定家)」

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

國玉神社(泉南郡岬町深日) (hai)」(90度のお辞儀)

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和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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7

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8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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