美多彌神社(堺市南区鴨谷台)〈『延喜式』美多彌神社〉

美多彌神社(みたみじんじゃ)は 創建年代等詳らかではありませんが 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 美多彌神社(みたみの かみのやしろ)と伝わります 南北朝時代には 楠木正成の守護神として崇められ広大な境内に大樹が生い茂り堂々とした神社でしたが 天正5年(1577)兵火にかかり消失し文禄元年(1592)本殿再建されました

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

美多彌神社(Mitami sheine

通称名(Common name)

江戸時代には牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)

【鎮座地 (Location) 

大阪府堺市南区鴨谷台1-49-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天児屋根命(あめのこやねのみこと)
   須佐之男命(すさのをのみこと)

《合》菅原道真公(すがわらみちざねこう)
   天之水分大神(あめのみくまりのほかみ)
   厳島大神(いつくしまおおかみ)〈市杵嶋比賣命〉
   大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)
   熊野大神(くまのおおかみ)〈伊弉諾大神〉
   琴平大神(ことひらおほかみ)〈大物主大神〉
   八幡大神(はちまんおほかみ)〈誉田別命〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

家内安全勝運祈願心願成就

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

美多彌神社(みたみじんじゃ)

 当社の起源は古く、延喜式内社です。主祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)で、熊野大神・厳島大神・大国主命・菅原大神・八幡大神・琴平大神・天之水分大神を合わせ祀っています。

 天正5年(1577)、織田信長の兵火にかかり消失しました。文禄元年(1592)、楠木一族の和田道讃が本殿を再建しました。江戸時代には牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と改称、得泉寺を神宮寺としました。

 その後、明治時代の神仏分離令により得泉寺を廃止し、八坂神社に改称しましたが、神社合祀政策により、明治40年(1907)に付近の村社5社と無格社3社を合祀し、社名も美多彌神社に復しました。

 境内の鎮守の森は8,250㎡あり、シリブカガシ・アラカシ・クス・サカキ等の樹林が広がっています。特に、シリブカガシが100本近くの樹林を形成するのは稀で、樹林の東限近くにあたる為、昭和48年(1973)大阪府の天然記念物に指定されました。

現地案内板より

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美多弥の宮由緒

鎮座地 堺市美木多上一二〇番地

御祭神 天児屋根命他六柱

往古の事蹟悠久にして詳らかならねど醍醐天皇の(約千年前)延喜式神名帳(神社の戸籍)には すでに式内社として登載せられている 後醍醐天皇の御代には参萬坪を有する広大なる境内には大樹生いしげり堂々たる社にして商工業繁栄の福の神として崇敬者の信仰特に厚く  楠木正成一族の守護神でありしが天正年中(約三八〇年前)織田信長の兵火にかゝり御炎上その後文禄元年(約三五〇年前)楠木氏の遺族和田道讃本殿を再建せり現在の本殿と拝殿は昭和四十七年改築す。

境内の自然林(シリブカガシの森)天然記念物に指定

祭日 秋祭 十月四日 五月上旬

現地石碑文より

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【由  (History)】

由緒

 美多弥神社は、平安期(794年~)、醍醐天皇時代に作成された神社戸籍簿の延喜式神名帳に記載されている由緒ある式内神社であります。

鎌倉時代の永仁2年(1294)、和田家古文書の沙弥性蓮処分状によると既に神社で流鏑馬の行事が行なわれていたと記載されています。
南北朝時代には楠木正成の守護神として崇められ広大な境内に大樹が生い茂り堂々とした神社でありました。
太平記によると、足利尊氏の執事、高師直、師泰の軍と四条畷の戦いで楠木正行と共に戦った和田新兵衛、和田賢秀は当地美木多の和田家の祖である。

 1500年代には、美多弥神社の境内に、得泉寺があり、織田信長の加護を受け紋を織田家の五瓜と定め現在に至る。しかし、天正5年(1577)、和歌山の雑賀衆制圧のために兵を起こした織田信長軍に近くの放光寺とともに神社は焼かれた。
安土桃山時代の文禄元年(1592)楠木一族の和田六右衛門が菊水の紋(楠氏の紋)が入った燈篭一対を奉納された。
神社本殿は、明治時代に新しく建てられ、拝殿他は昭和47年修改築す。昭和48年、境内のシリブカカシ(いっちん)が、天然記念物に指定され、平成二年大阪府の緑の百選に選ばれる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・摂社〈境内社〉琴平社《主》琴平大神
・末社〈境内社〉白天龍王大神

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉國 62座(大1座・小61座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 美多彌神社
[ふ り が な ](みたみの かみのやしろ))
[Old Shrine name]Mitami no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

類社について挙げます

各々の論社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)

・御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)

延喜式内社 和泉國 大鳥郡 美多彌神社(みたみの かみのやしろ)

・美多彌神社(堺市南区鴨谷台)

延喜式内社 因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)

・美歎神社(鳥取市国府町美歎)

延喜式内社 出雲國 出雲郡 美談神社(みたみの かみのやしろ)

・美談神社(出雲市美談町)

出雲風土記 掲載神社 彌多仁社 (みたに) (mitani no) yashiro

・彌多仁神社

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南海泉北線 光明池駅から東方向へ約2.1km 車での所要時間は5~6分程度

美多彌神社(堺市南区鴨谷台)に参着

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参拝時間が遅れて 暗くなってしまい写真はうまく撮れません

美多彌神社(みたみじんじゃ)流鏑馬(やぶさめ)まつり

大海人皇子 ( 天武天皇 ) に重用された古代豪族、民直 ( みたみのあたえ )は、この地に美多彌神社を遺した。

和田荘 ( みきたしょう ) を掌握していた武士団の和田 ( みきた ) 氏は、鎌倉時代後期に、この美多彌神社で流鏑馬神事を実施。

南北朝時代の和田 ( みきた ) 氏は、楠木氏と共に南朝方の支柱として大奮闘。

七百二十余年後の平成二十五年十月、美多彌神社で、この伝統ある流鏑馬まつりを復活。

美多彌神社総代会。流鏑馬保存会 一同

現地案内板より

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 美多彌神社について 所在は゛和田郷 上村〔城内有ニ 放光寺〕に在す、゛〈現 美多彌神社(堺市南区鴨谷台)〉と記しています

【抜粋意訳】

美多彌神社

美多彌は假字也

○祭神 天穂日命、風土記〕

○和田郷 上村〔城内有ニ 放光寺〕に在す、〔和泉志、式社考〕

○總國風土記第四云、美多彌郷、〔日根郡の末にあるは錯亂也〕云々、有 神號 美多彌社、所祭 天穂日命也、

類社
 因幡國 法美郡 美歎神社、出雲國 出雲郡 美談神社、

連胤〕按るに、各國祭神おなじからず、ただ同名を擧る事例の如し、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 美多彌神社について 所在は゛ 利田 上村にあり、゛〈現 美多彌神社(堺市南区鴨谷台)〉と記しています

【抜粋意訳】

美多彌神社、

 利田 上村にあり、和泉志

 民直祖神 天兒屋命を祭る、〔新撰姓氏録〕

凡 八月二十五日祭を行ふ、〔式社細記〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 美多彌神社について 所在は゛上村〔字北條○今属 和泉郡〕(今 大島郡和田上村泉北郡美木多村大字上)゛〈現 美多彌神社(堺市南区鴨谷台)〉と記しています

【抜粋意訳】

美多彌(ミタミノ)神社

祭神 天ノ兒屋(アメノコヤネノ)

今按 新撰姓氏錄 和泉神別 民直大中臣ノ朝臣 同祖天ノ兒屋根ノ命之後也とあれば 本社は此民直氏の祭る所なること著

社格 村社

所在 上村〔字北條○今属 和泉郡〕(今 大島郡和田上村泉北郡美木多村大字上

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

美多彌神社(堺市南区鴨谷台) (hai)」(90度のお辞儀)

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和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について に戻る

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