山氏神社(やまうじじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の御代に山祇尊を奉斎御鎭座された 第14代 仲哀天皇の御代に日本武尊を奉斎 承元元年(1207)地方開発の祖 源頼道を霊神とし合祀した由緒があり 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)の論社で〈旧称〉崇健宮(たかたけのみや)とも呼ばれました

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
山氏神社(Yamauji shrine)
【通称名(Common name)】
・ やもりさん
・〈旧称〉山氏大權現(やまうじだいごんげん)
・〈旧称〉崇健宮(たかたけのみや)
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県加東市社772
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》日本武尊(やまとたけるのみこと)
《配》大山祇命(おほやまつみのみこと)
《合》霊神(みたまのかみ)
〈承元元年(1207)源頼道公を霊神として合祀〉
※佐保神社の社家 山氏の祖神を祀るとも云う
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『加東郡誌』大正12年に記される内容
【抜粋意訳】
第九編 神社 第三章村社
山氏神社
社町社字上中町
祭神 大山祇命 日本武尊 靈神由緒
當社は 古來縣社佐保社の末社にして、播磨鑑の佐保大明神の條に山氏大權現と所載あり。元祿、元文、寶曆、寬政等の寺社書上帳亦同じ、元は佐保神 社と同一神域内に在りしものなるが、中古より境内に佐保村(一に佐保村とも云へり、今單に社村と稱するは、佐保の二字の省略せられたるものなり)成立し、その發達と共に、當社の境内は佐保神社境内より飛地と為り、又 故ありて當社除地收納の權、古くより肥田文庵の手に支配し來りしを以て、文化の頃より 其の一族及び同姓のものを山氏氏子となして、分離獨立の交涉ありしも、當社は御由緒も舊く、佐保神社とは住古より特に深き御神緣有りて、別社とも攝社とも申し、普通の末社の類に非ず、密接不離の開係存するを以て、俄かに之を改むるは神慮の程もはかりがたければ、結果經濟上の事のみ獨立の取扱ひとなし、他は舊慣の儘に佐保神社の攝社とし來りしが、明治維新以後行政上獨立の神社として取扱はるるに至り、明治七年二月村社格に加列せらる。
一 山氏大權現深秘之傅
人王十一代 垂仁天王之御時 御鎭座也、山祇尊 山祇之示ヲ秘シテ 山氏大權現卜申奉ル 祭祀 每月ーノ日
二 志良鳥理大明神 御鎮座之由來
人王十四代 仲哀天皇之御時 崇健山内へ白烏來リ住此時 帝王ヨリ白烏ヲ生取サシ上ベキ仰ニヨッテ 諸人 生取トスレドモ飛去テ行方ナク 又 山内に來
老翁忽然卜顕テ曰ク コレ日本武尊之神靈也 必シモ逐去ベカラズ 此山内ニ勧請セヨト云儘ニ 老翁之スガタ見ヘザリシト云傳 祭祀十一月・・・
・・・〈以下略 原文参照のこと〉
【原文参照】

加東郡教育会 編『加東郡誌』,加東郡教育会,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978702
【由 緒 (History)】
由 緒
垂仁天皇の御代、大山祇命を奉齋。
上代の賀茂郡今日の加東・加西には山直に関する古伝説を風土記に見ることが出来る。
後、仲哀天皇の御代、日本武尊を奉齋し、承元元年(1207)、地方開発の祖、源頼道を霊神とし合祀する。
享保5年(1720)、社殿再興。
享保8年(1723)、拝殿・鳥居再建。
明治7年(1874)、村社に列せられる。2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6311093.html
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・「九郎判官 源義経公 御手植の松」
玉垣に囲まれて「九郎判官 源義経公 御手植の松」の石碑があります
源義経公が 軍を率いて三草合戦に勝利し 一の谷へ向かうにあたって 軍勢を立て直すために「佐保神社」に立ち寄ったと云う
その時 義経公が一泊した際に 戦勝を願って自ら植えたと伝わるお手植えの松とされます

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・佐保神社(加東市社)
山氏神社(加東市社)は 古来より 佐保神社(加東市社)の別社とも攝社とも申していたが 明治維新以後 行政上独立の神社となりました
『加東郡誌』大正12年に記される内容
佐保神社の社家である「山氏」の祖神を祀るのが「攝社 山氏大權現」であり 今は 崇健宮 村社 山氏神社と称している と記されています
【抜粋意訳】
第九編 神社
縣社 佐保神社【社蔵の舊記】より抜粋
爾來 該地の豪族 山氏 當社の祭祀を司どり 累代社家となる中古 當社の社人株といひしは 此一族を呼びし稱なり。姫路の惣社、北條の三の宮酒見社、多可郡二の宮荒田社、並に當社の社家皆同族にして 山氏と稱す (峯相記、播磨鑑、當社舊記なとに所載あり)攝社 山氏大權現は 蓋し同族の祖神を祀れるものなりと傳へらる (今 崇健宮 村社 山氏神社と稱する卽ちこれなり )
【原文参照】

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・佐保神社(加東市社)についての記事です
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Englishmen Jericho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 崇健神社
[ふ り が な ](たかたけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takatake no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』に載る「崇健神社(たかたけの かみのやしろ)」のについて
延喜式内社 因幡國 邑美郡 中臣崇健神社(なかとみたかたけの かみのやしろ)
・中臣崇健神社(鳥取市古郡家西土居)
延喜式内社 播磨國 賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)の論社
・高峯神社(加西市畑町)
・礒崎神社(加西市下道山町)
・山氏神社(加東市社)
・日吉神社(加西市池上町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
佐保神社(加東市社)の東 約140m 徒歩で数分です
・佐保神社(加東市社)についての記事です
社頭は 佐保神社(加東市社)の本殿方向を向いています〈ほぼ西の方向〉
山氏神社(加東市社)に参着

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鳥居のすぐ横に手水舎があり 一礼をして鳥居をくぐり抜けると拝殿の前に狛犬が座しています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 崇健神社について 所在は不明であると記しています
説として゛式社記に、高田村にあり゛
【抜粋意訳】
崇健神社
崇健は多加多氣と訓べし
○祭神詳ならず
○在所分明ならず
式社記に、高田村にあり、古跡便覧、播磨鑑、共に其所しれずと云り、猶國人に尋ねて一決すべし、
類社
因幡國 邑美郡 中臣崇健神社
【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 崇健神社について 社号のみ
祭神 在所等は未記入です
【抜粋意訳】
崇健(タカタケノ)神社
【原文参照】

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『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 崇健神社について 所在は記していません
祭神は 因幡國 邑美郡 中臣崇健神社と同神と記しています
【抜粋意訳】
播磨國加茂郡
○加茂郡八座並小崇健神社
祭神 稱 磯崎神社
今按 因幡國 邑美郡 中臣崇健神社あり 因幡志に林木欝茂の地をさして神居と云のみにて 祭神詳ならず 本社と同神なるへけれと今考へき由なし
祭日 十月十八日
社格
所在
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
山氏神社(加東市社)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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