廣幡神社(菰野町菰野)〈式内論社 江田神社(江田)明治41年(1908)合祀〉

廣幡神社(ひろはたじんじゃ)は 寛永七年1630菰野藩初代藩主 土方雄氏公が京都の石清水八幡宮より城の鎮守として勧請 明治になり神社合祀令により近隣の神社が合祀されました 明治41年には式内論社 江田神社(江田)を合祀して 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

廣幡神社(Hirohata shrine)

〈式内論社 江田神社(江田)明治41年(1908)合祀〉

通称名(Common name)

八幡さん(はちまんさん)

【鎮座地 (Location) 

三重県三重郡菰野町大字菰野 2770

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

〈郷社 廣幡神社
《主》誉田天皇(ほまれたのみめらみこと)〈應神天皇〉

《配》建御名方命(たけみなかたのみこと)
   事志呂主命(ことしろぬしのみこと)
廣幡神社合祀された各社
〈境内社 愛宕神社《合》軻遇突智命
〈境内社 稲荷神社〉《合》蒼稲魂神
〈境内社 稲荷神社〉《合》宇迦之御魂神
〈境内社 菅原神社《合》菅原道
〈村 社 倭文神社《合》建葉槌命大日孁神、譽田天皇、菅原道
〈境内社 菰野神社《合》土方雄永
〈境内社 神明社 《合》大日孁貴尊
〈境内社 山神社 《合》大山祇命
〈境内社 山神社 《合》大山津見神、中山津見神
〈境内社 山神社 《合》津見神、裾山津見神

合祀 村社 平岡神社
《合》天兒屋根命、建御雷之男神、齋主神
平岡神社合祀された各社
〈境内社 神明社 《合》大日孁貴尊
〈境内社 八幡社 《合》譽田天皇
〈境内社 稲荷神社〉《合》宇迦之御魂神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神、羽山津見神
〈境内社 愛宕神社《合》火之加具土神
〈境内社 伊都伎島神社《合》市杵島姫神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神、羽山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神、羽山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神、羽山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神、羽山津見神
〈合祀 村社 日吉神社《合》大山咋命
〈境内社 稲荷神社〉《合》宇迦之御魂神、建速須佐之男命大市比大穴名牟遅神五十猛神大屋津比抓津姫命八十神

〈式内論社 江田神社(無社格)明治41年(1908)合祀〉
《合》大日孁神(おおひるめのむちのかみ)
   倭比(やまとひめのみこと)

合祀 村社 須賀神社
《合》建速須佐之男命
須賀神社合祀された各社
〈境内社 神明社 《合》天照大御神
〈境内社 八幡社 《合》譽田天皇
〈境内社 稲荷神社〉《合》宇迦之御魂神、菅原道
〈境内社 山神社 《合》大山津見神

合祀 村社 豊岡御厨神明社
《合》大日孁貴尊
豊岡御厨神明社合祀された各社
〈境内社 伊都伎島神社《合》市杵島姫命
〈境内社 山神社 《合》大山津見神
〈境内社 山神社 《合》大山津見神

合祀 村社 春日神社
《合》天兒屋根命万幡豊秋津師比
春日神社合祀された各社
〈境内社 八幡社 《合》譽田天皇
〈境内社 伊都伎島神社《合》市杵島姫命
〈境内社 山神社 《合》八衢比古神、八衢比賣神
〈境内社 須賀神社《合》建速須佐之男命
〈境内社 山神社 《合》八衢比古神、八衢比賣神

Please do not reproduce without prior permission.

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社〈式内論社 江田神社(江田)明治41年(1908)合祀〉

【創  (Beginning of history)】

廣幡神社

御祭神 誉田別尊(応神天皇)はじめ三十一柱
鎮座地 三重郡菰野町大字菰野二七七○番地

当神社は寛永七年(一六三〇)に菰野藩初代藩主 土方雄氏公が京都の石清水八幡宮より城の鎮守として勧請神様の御霊を分け戴くされたのが始まりで、元は「正八幡宮」と称した。
明治になり廣幡の地に鎮座されていた事により「廣幡神社」と改称した。

明治四年(一八七一)に北瀬古の諏訪神社を合祀。
明治三十九年(一九〇六)の神社合祀により、三滝川から南、西は湯の山から東は神森に至るまでの神社が合祀される事となり、
同四十年に 藤木の倭文神社と藩内の菰野神社を
同四十一年には神明・江田の江田神社と湯の山の日吉神社を、
同四十三年には宿野の須賀神社福村の豊岡御厨神明社、神森の春日神社、西菰野の平岡神社が合祀された。

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

由緒

 旧くは正八幡宮と称し、寛永7年8月15日菰野藩主従五位下土方丹後守雄氏公石清水八幡宮より勧請し、爾来同家の鎮守社となる。
明治3年10月藩庁及管内鎮護の社となる。
合殿の諏訪神社は菰野郷草創の社で村中里民の産土神なりしが慶長年中土方家並に藩士の産の産土神となる。慶長13年3月領主雄高公の命に依り諏訪神社を南山に奉遷す。明治4年10月23日菰野県庁の命に依り諏訪神社を正八幡宮に合祀して廣幡神社と改称し、明治6年三重県庁より第一大区456小区郷社と定められる。
明治40年より村内全部の郷社1村社倭文神社、菰野神社、平岡神社、日吉神社、江田神社、須賀神社、豊岡御厨神社、春日神社を合祀する。

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63273

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

〈式内論社 江田神社(無社格)明治41年(1908)合祀〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)三重郡 6座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 江田神社
[ふ り が な ](えたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Eta no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳』に所載される「江田神社(えたの かみのやしろ)」について

延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社

・江田神社(四日市市西坂部町)

・鵜森神社(四日市市鵜の森)

・廣幡神社(菰野町菰野)
〈江田神社(広幡神社に合祀)〉

延喜式内社 日向國 宮崎郡 江田神社(貞)(えたの かみのやしろ)

・江田神社(宮崎市阿波岐原町)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄湯の山線 菰野駅から西方向へ金渓川を渡り約1.6km 車での所要時間は5~6分程度

金渓川を渡るR306号の金渓橋の手間を右折すると 一の鳥居があり 表参道〈北参道〉となっています それと知らず 金渓橋を渡り130m程に「廣幡神社 東参道の石標」があり これを進みます

Please do not reproduce without prior permission.

表参道〈北参道〉の先には 二の鳥居が建ち 正面には「神馬殿」が建ちます

廣幡神社(菰野町菰野)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 正面に「神馬殿」を見ながら 境内に進みます

Please do not reproduce without prior permission.

すると 再び 鳥居〈三の鳥居〉があり 社号標 由緒書きなどがあり 狛犬もあり どうやら ここが社頭のような雰囲気です

Please do not reproduce without prior permission.

神尊百度石

Please do not reproduce without prior permission.

狛犬の手前には「雷杉(かみなりすぎ)」

「雷と巡り合い 生命力を増した杉の木」と説明板があります

Please do not reproduce without prior permission.

その横に 由緒書き 社号標 があります

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて参道を進みます

こちらの社頭は 東を向いています

Please do not reproduce without prior permission.

参道は途中に少し折れていて その辺りに手水舎があります

ここから 参道 社殿は北東方向を向いています

Please do not reproduce without prior permission.

手水舎にて清めます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の後ろ 山に沿って社殿があり 幣殿 大きな本殿の覆い屋が建てられています

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の並びには 授与所があり その横には「御神水」があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼して 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 江田神社について 所在は゛西坂部村に在す、〔考證、俚諺〕今 春日大明神と稱す、〈現 江田神社(四日市市西坂部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

江田神社

江田は衣太と訓べし

○祭神詳ならず

○西坂部村に在す、〔考證、俚諺〕今 春日大明神と稱す、

 考證云、此郷名 刑部、〔於 佐加倍〕坂部刑部之略語、五十功彦命 伊勢刑部租、即 日本武命弟也、と云り、俚諺此說に從ふ、いまだ是非を辨へず、

類社
 日向國宮崎郡 江田神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 江田神社について 所在は゛ 西坂部村江田にあり〈現 江田神社(四日市市西坂部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

○三重郡六座 

江田(エタノ)神社、

 西坂部村江田にあり、〔勢陽雜記三國志、

 伊勢刑部君租 五十功彦命を祭る、〔舊事紀〕

凡 毎年正月八月十八日祭を行ふ、〔三重縣神社調〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 江田神社について 所在は゛菰野村大字江野〔三重郡菰野村大字菰田 現在 同所 村社 平岡神社に合併〕゛〈現 廣幡神社(菰野町菰野)〉と記しています

その他の説として2説を挙げていますが否定的な見解を示しています
郷江藏田鵜森 ゛〈現 鵜森神社(四日市市鵜の森)〉
西坂部村字江田にあり゛〈現 江田神社(四日市市西坂部町)〉

【抜粋意訳】

伊勢國 三重郡

○三重郡六座 並小

江田神社

祭神
祭日
社格 村社明細帳菰野村 江田神社は無格社  濱田村にある同社も無格社なり

所在 菰野村大字江野〔三重郡菰野村大字菰田 現在 同所 村社 平岡神社に合併

 今按るに傍注 郷江藏田鵜森 乎とあに従て 明細帳に濱田村に在とす 其 村江藏鵜森の詞は 八幡宮な社域とするは 田原美作城廓にて四力に土塁し外城跡に祀所の新社にして式社に非る事明瞭なるを これに配するは麁妄なり

 考證再考以下の諸書には 西坂部村とし 地志に西坂部村字江田にあり 古來 棟札 江田大明伸と書すとあるに依て 區別帳西坂部村に在とす 然れとも社域の形容 舊からす寬文 享保の棟札あれとも江田大明神と記せるはなし 稍く安政三年に至て始て江田神社と記せり 字江田にありと云へと社邊にさる稱なし 明曆四年内撿帳に上へだ田ゑだ田奥なと號する地社西三丁許を去て丘山の上にあるを强て牽合せるにて信従するに足らす

 注進明細區別等の帳に野村に在とす 其社は野三郷立會の産神にて神明を祀る は村西の山間 江田谷にるを  今の所に遷移す字江野にありと云へり これを検するに菰野西組の乾位一里許 御贄川の西岸 江野の南に在り社地の形狀 舊風ありて後世 遷轉の容體にあらす 字を江田野とあれと 土人は江野と云ひ 西山の谷號も古昔 穢多の賤者の住し所にて 穢多の小屋と稱する谷なる由 其 地勢を察るに 撰式の昔 神社の有へき景況の地にあらす 是等は證となしかたし 然れとも 元祿十三年六月寄進の嗽盥に江田神社神明御神前と彫し 享保十三年の幣帛箱天明の年號ある古手桶 寬政年七月寄進の石灯籠 同七年四月の棟札等 各江田神社と書記す 近く謂出したるに非す 所博ありたるにこそ 上件三社の内文献の徵は此神社に勝るは無し 故に姑くこれに從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

廣幡神社(菰野町菰野) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2026 All Rights Reserved.