髙向大社(伊勢市御薗町高向)

向大社(たかぶくたいしゃ)は 高向村神社 第45代 聖武天皇の御代 天平(731)の創建と云い 又 貞観三年(861)八月 大雨洪水があり大杉の根本に゛白羽の蓋根矢゛が流れ着いたと 山城 賀茂別雷神社の「丹塗矢伝承」と同類の伝承があり 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)であるとの説があります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

髙向大社(Takabuku shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市御薗町高向74

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》素戔嗚命(すさのをのみこと)
   奥津嶋姫命(おきつしまのみこと)
   湍津嶋姫命(たぎつひめのみこと)

別説に
《主》大山祇神(おほやまつみのかみ)
   不詳二座(高向大神 神村大神)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

高向(たかぶく)大社

所在  度会郡御薗村大字高向二ツ屋

祭神 素盞鳴命(すさのおのみこと)・奥津嶋(おきつしまひめ)
   ・湍津嶋姫(たぎつひめ)命・市杵島姫(いちきしまひめ)命
   ・大己貴(おおなむち)神・下照姫(したてるひめ)
   ・八大龍神(はちだいじゅうじん)
   ・別雷神荒魂(わけいかずちのかみあらみたま)
   ・大山祇(おおやまずみ)

祭日 二月十一
社宝 獅子頭を含む神事
境内 四一〇

当社のあらまし
 本社の草創は高向村神社によりますと、聖武天皇の天平(七三一)となっています。
 かっての高向郷は、現在のほぼ御薗村全域さらに伊勢市に属する隣接地区を含む広大な地域でありました。この高向郷の本邑高向に鎮座していたのが当大社でありました。
 俗に上社(かみのやしろ)とも呼ばれ、近世には八王子社ともいわれていました。
 明治年(一八七一)村社となり、同四十一年村社 神村社(かみむらしゃ)、無格社 山神社を合祀しました。
 同年の御薗村の神社合祀には参加せず、孤立して孤高をたもちました。

社頭の案内板より

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【由  (History)】

由緒

『伊勢度會郡高向郷高向村 高向神社記』に引く「大社寶殿棟札記」によれば聖武天皇の天平三年正月十八日に曾禰處昭が七神を祭定したと記す。七神とは本殿に素戔嗚命、奥津嶋姫命、湍津嶋姫命、 本社左脇の石に大己貴命、下照姫命、八大龍王、鳥居の右脇の社殿に市杵島姫命が祀られ、以下によつて「七所大明神」とも稱した。

 明治十二年以降、明細帳には祭神不詳となつてゐたのを、同四十三年六月十三日、松本時彦氏の考證になる「高向大社御由緒書」を添へ、祭神を「別雷神」とする「明細 帳訂正願」を提出したが、同年十一月却下された。

『式内社調査報告』より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・社殿

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・〈参道左の石〉大己貴命・下照姫命・八大龍神王

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・〈鳥居脇の石〉市杵島姫

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・社頭

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・御頭神事(おかしらしんじ)の看板

御頭というのは獅子頭【ししがしら】を神の依代【よりしろ】として尊称していっている語で、祷屋(とうや)制度により御頭神事が伝承されている。素盞鳴尊【すさのおのみこと】の大蛇退治を仕組んだ獅子舞を高向神社や祷屋などで演じ、昼間はククメモノといって御頭で戸ごとにお祓いをして廻る。夜は盛大な火祭りをする。祷屋は高向神社の御分霊(オワケサン)を家に迎え、年間を通じて祭っている。いろいろな祷屋での行事や斬り祓いの行法などもある。民俗芸能の中で地域的特色を示すものである。

文化庁HPより
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136424

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

高向大社に 合祀された神村神社 旧跡

・神村神社 旧跡(伊勢市御薗町高向)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 雷電神社
[ふ り が な ]いかつちの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ikatsuchi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社について

式内社 雷電神社は 旧鎮座地が確定しておらず論社多数あります

(1)度会郡小俣町掛橋 雷電神社 『式社案内記』『神名帳傍註』
(2)度会郡小俣町湯田 湯田神社『伊勢式内神社宮地記』『神宮典略』
(3)度会郡御薗村高向 高向大社『二宮管社沿革考』御巫清直
(4)度会郡御薗村高向 神村社『高向神社祭神考』中東顯煕
(5)度会郡小俣町離宮院跡 官舎神社『伊勢式内神社宮地記』
(6)伊勢市柏町(雷社)『摂末社独案内』

『大神宮叢書 前篇』に記される内容

式内社である雷神社の所在が 不明なのは不思議であり 本来は 現在の・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉が 鳴雷と呼ばれるので雷神社であって
宇治山田神社が 楊田社と呼ばれている もしかすると湯田と楊田が入れ違った可能性があるのでは ないかとも指摘しています

【抜粋意訳】

神宮典略二 内宮宮社下 末社 雷神社

雷神社

帳に、四月例十四日御笠縫内人造奉御抜條に、伊加津知神社見え、建久年中行事記に(六月十五日)御占神態の歌に、奈留伊賀津千毛於利萬志萬世、とよめり。
神名式に度會郡に雷電神社と見ゆ。是の社なるべし。

(外宮の末社に北御門社は若雷神な祭るといひ、また雷神社といふ名見えたれど、官社にあらざれば是にはあらじ。)

當宮の攝社に湯田神社 稱に鳴雷とあれば、此社をかく云つるかと思へど、神名式に湯田社・雷電社と竝ベ載たれば、同社とも定めがたくて別に挙たり。
(今も末社の中に拜所の別處なるも此故なるべし)猶上(湯田社條下)に云べし。按に、帳の宇治山田神社大神宮式に見えず、湯田社と云はあり。官社は延喜の比まで幣帛を奉り給へば、其跡も正しかるべきを、此社のもれたるはいぶかし。
年中行事記に宇治山田神社を楊田社としるせるを思ふに、式の湯田の湯は楊の誤たるにて、楊田ならんかと思へど、諸本みな湯田社とあれば今定めがたし。猶考ふべし。

【原文参照】

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315

『大神宮叢書 前篇』に記される内容

式内社である雷神社の所在が 不明なのは不思議であり 本来は 現在の・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉が 鳴雷と呼ばれるので雷神社であって
宇治山田神社が 楊田社と呼ばれている もしかすると湯田と楊田が入れ違った可能性があるのでは ないかとも指摘しています

【抜粋意訳】

神宮典略二 内宮宮社下 末社 雷神社

雷神社

帳に、四月例十四日御笠縫内人造奉御抜條に、伊加津知神社見え、建久年中行事記に(六月十五日)御占神態の歌に、奈留伊賀津千毛於利萬志萬世、とよめり。
神名式に度會郡に雷電神社と見ゆ。是の社なるべし。

(外宮の末社に北御門社は若雷神な祭るといひ、また雷神社といふ名見えたれど、官社にあらざれば是にはあらじ。)

當宮の攝社に湯田神社 稱に鳴雷とあれば、此社をかく云つるかと思へど、神名式に湯田社・雷電社と竝ベ載たれば、同社とも定めがたくて別に挙たり。
(今も末社の中に拜所の別處なるも此故なるべし)猶上(湯田社條下)に云べし。按に、帳の宇治山田神社大神宮式に見えず、湯田社と云はあり。官社は延喜の比まで幣帛を奉り給へば、其跡も正しかるべきを、此社のもれたるはいぶかし。
年中行事記に宇治山田神社を楊田社としるせるを思ふに、式の湯田の湯は楊の誤たるにて、楊田ならんかと思へど、諸本みな湯田社とあれば今定めがたし。猶考ふべし。

【原文参照】

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315

神宮司庁 編『大神宮叢書』第2 後篇伊加津知神社に記される内容

次のようにあります

【抜粋意訳】

大神宮儀式解卷第二十四   年中行事井月記   四月例   十四日御衣御笠散奉

伊加津知神社一具(イカヅチノヤシロ ニ イチグ)

伊加津知(イカヅチ)は 雷(イカヅチ)なり。
神名帳、伊勢國 度會郡 雷電(イカヅチノ)神社あり。これ歟。
但下蓑笠奉る社々を見るに、上(菅度會郡神社行事)造宮使造奉る六社の中五社ありて、湯田ノ社無ければ、此處(ココ)に伊加津知ノ社といひしは、湯田ノ社に坐す 鳴震雷ノ神をさしていふにや。此ノ二つの外にはあらじ。惡風雨を停(トド)めん祭なれば、雷電ノ神を祭るはことわりかなへり。大神宮式、御蓑笠奉進の處、此社は見えず。

【原文参照】

神宮司庁 編『大神宮叢書』第2 後篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239705

神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 中篇離宮院考証」に記される内容

次のようにあります

【抜粋意訳】

離宮院考証

別當神社

類聚神祇本源に云く。長德ノ檢錄田社に卅三前ノ外。式外ノ社 別當ノ社。(坐に離宮坤方)

神名略記に云く。別雷ノ社 坐すに離宮の坤方に。別雷を作に別當者非也。

按るに別當、別雷未 知ら孰か是なるを、然して當社者 掛橋村の産土神社乎、在りに離宮 舊趾の坤位二町許に。
延喜式神名帳に載す雷電神社を、考証、同再考等以て為すに當社之別號と。

伊勢式社案内記に云く、小俣村の離宮院森の内に石積に祭る神三所有り、最初の石積を雷神社と云、據て考に而不ず辨せ地勢を、漫に為すは虛妄説を、不足を信るに焉。 

【原文参照】

神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 中篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239731

・雷電神社(伊勢市小俣町本町)

・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

・髙向大社(伊勢市御薗町高向)

・神村神社 旧跡(伊勢市御薗町高向)

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

R23号 宮川ICから西へ約500m 車ですぐ

髙向大社の北側にある 神村神社の旧跡に立ち寄ります

・神村神社 旧跡(伊勢市御薗町高向)

髙向大社(伊勢市御薗町高向)に参着

境内の入り口は 南側にあり 駐車場もあります

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6月28日の参拝でしたので
夏越の祓(なごしのはらえ)に行われる神事「茅の輪くぐり」が用意されていました

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参道が直線だからでしょうか
社頭には 魔除けでしょうか 大岩が置かれています

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一礼をして 鳥居をくぐり 参道を歩みます

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参道の途中には 注連縄柱があり
社殿に進みます

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拝殿にすすみ
賽銭を納めて お祈りをしま

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿には 白石が敷き詰められていて
その先には 白木の玉垣に囲まれて本殿が鎮座しています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 雷電神社について 祭神は別雷神 所在は 離宮院坤方〈度会郡小俣町離宮院跡 官舎神社〉に在す 今存亡詳ならず〈現在は あるかないかもわからない〉と記しています

【抜粋意訳】

雷電神社

雷電は伊加津知と訓べし

祭神 別雷神、神祇本源

〇離宮院坤方に在す、同上 今存亡詳ならず、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 雷電神社について 祭神 所在については何も記されていません

【抜粋意訳】

雷電神社

〇按 延暦儀式帳、雷電を伊加津知に作る
凡 毎年 神衣祭日、笠縫内人蓑笠各一具を奉て、風雨を祈る、延暦儀式帳

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 雷電神社について 祭神 所在については何も記されていません

【抜粋意訳】

雷電神社

祭神
祭日
社格 外宮所攝 天喜十八社之一
所在

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

髙向大社(伊勢市御薗町高向) (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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