八木神社(三条市北五百川)〈『延喜式』伊加良志神社〉

八木神社(やぎじんじゃ)は 大同二年(807)八木大明神倉稲魂命と守門大明神盤間戸命の二神を八木ケ鼻に勧請 近郷の守護神として祀ったのが創立と伝え その後 現在地に遷宮したと云う 時代に五十嵐神社ともされたと謂われ 延喜式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしの かみのやしろ)の論社となつています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八木神社(Yagi shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

新潟県三条市北五百川37番地

〈旧住所 新潟県南蒲原郡下田村大字北五百川37番地〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
   守門大明神(豊磐間戸命櫛磐間戸命)

   新田義貞(にったよしさだ)
   新田義興(にった よしおき)〈新田義貞の次男〉
   新田義顕(にった よしあき)〈新田義貞の長男〉
   新田義宗(にった よしむね)〈新田義貞の三男〉

《合》大山祇命(おほやまつみのみこと)
   高靇命(たかおみのみこと)
   誉田別命(ほむたわけのみこと)
   天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

三条市指定有形文化財

八木神社 本殿・拝殿・幣殿
神社の創建

 大同二年(八〇七)八木大明神(倉稲魂命(うかのみたまのみこと)=稲作の神)と守門大明神(盤間戸命(いわまどのみこと)=門戸を守る神)の二神を八木ケ鼻に勧請(かんじょう)し、近郷の守護神として祀(まつ)ったのが八木神社の創立と伝えてられている。その後、現在地に遷宮(せんぐう)して数百年を経過している(境内の杉木立と同じ)。なお近年になって、吉ケ平・大谷・大江の集団離村により、各鎮守社の神霊を合祀(ごうし)し現在に至る。

本殿

 江戸時代初期の万治(まんじ)元年(一六五八)の建立で流造(ながれづくり)。現在は覆堂(おおいどう)の中にあるが、全体に風化の跡が見られ、永年に亘って外部に在ったことがわかる。建物は六本の太い丸柱で建ち、二神を祀るため正面の丸柱で間に仕切られる二社相殿。屋根は厚板を削り一枚ごとに葺(ふ)いていく板葺きの手法をとり、薙刀反(なぎなたぞ)りの向拝(こうはい)とそれを支える打越棰(うちこしたるき)の形状にも特色がみられる。さらに虹梁(こうりょう)の模様など合わせて古い時代の特徴が残されており、また、積雪を考慮した太い部材が全体に用いられ貴重な建造物である。

拝殿

 明和五年(一七六八)の建立で入母屋造(いりもやづくり)。梁間(はりま)四間、桁行(けたゆき)三間半で茅葺(かやぶ)き(現状は銅板葺き)。安永三年(一七七四)には笹岡新田の開拓完成を記念して松藩士 笹岡茂三左衛門(ささおか もそうざえもん)が長床(ながとこ)を增築寄進した。また、回廊(かいろう)は昭和十年に増築。

幣殿(へいでん)

 拝殿と本殿をつなぐ建物で、明治十一年(一八七八)長岡関原の宮大工である野口善一の仕事による。

三条市教育委員会

現地案内板より

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【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

越後國 蒲原郡 伊加良志(イカラシノ)神社

【論社】

 現在、延喜式内社の伊加良志神社とされるものに南蒲原郡下田村飯田の五十嵐神社〔A〕と同村北百川の八木神社〔B〕とがある。

〔A〕五十嵐神社

・・・〈中略〉

〔B〕八木神社
【社名】

  本來は八木大明神と守門大明神の二社相殿。
「五十嵐神社神主石澤若狹守」と記した史料があることから、江時代に五十嵐神社ともされたのではないかといはれる。

【祭神】

倉稻魂命・豊磐間命・櫛磐間戸命・新田義貞父子を祭る。
倉稻魂命は八木大明神の祭神。
豊磐間命と櫛磐間戸命は守門大明神の祭神。
・・・〈中略〉

新田氏は南北朝期の越後と關係が深いが、特に義貞の三男義宗は村松を虚點として北朝勢力と戰ひ、越後で没したといはれ、各地にゆかりの傳説が殘ってゐる。八木神社は新田氏と同じ家紋を用ゐ、その邊に結びつきの強さを連想させるが、具體的なことは不明である。本殿には甲冑騎馬の木像を安置す。

【由緒】

 創立年月不詳。豐磐間戸櫛磐間戸の二神は大同二年 (八〇七 )の勧請と傳へる。もと北五百川村の産土神にして明治五年十月第七大區小區の村社に列す。
・・・〈中略〉

 戰國時代には高城に墟つた長尾遠江守景久の崇敬をうけたといふ傳へをもち、江戸時代には村松藩主堀家の保護をうけた。

 鎭座地の變遷については各由緒ともふれる所はないが、元來は景勝八木山の山頂にあったといはれ、参宮の不便さから麓に移されたともいはれる。
・・・〈中略〉

【古項・祭祀遺跡】

 八木鼻は古くから神靈地とされ、八木神社も元來はこの山頂に鎭座してゐたといはれる。昭和四十三年に岩壁のつけ根にあたる八木岩陰遺跡 (縄文後期)が發掘調査されたが、祭具は出土しなかつた。
・・・〈中略〉

(山田英雄・木村宗文)

【原文】

『式内社調査報告第十七巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・八木神社 社殿

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・八木神社 拝殿

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・〈境内社〉火神社(不動堂)・その横に石祠あり

《主》遇津知命

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不動堂改築記

火の神を祀るこの堂宇は元来、八ヶ鼻岩壁の麓に鎮座していたが、文化十年(一八一三)現在の地に遷座し建立された。屋根は萱葺きであったが鉄板で覆ったものの破損が進み改築に至った。柱などは従来の部材を用い移築前の姿を復元している。

改築にあたった匠
・大工棟梁 冨澤照雄、冨澤久雄、冨澤智治、関榮義
・屋根葺 西澤己三夫
・戸はぎ 西潟善晴、西湯達志

着工 平成二十四年十月五日
竣工 平成二十五年一月九日

現地案内板より

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・神楽殿・〈境内社〉神明子安社

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・〈境内社〉神明子安社

《主》木花開耶姫命・天照大神

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・手水舎

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新湯県の名水

八木ケ鼻湧水(やぎがはなゆうすい)

三条市北五百川

 三条市下田地区の名勝八木ケ鼻の麓に位置する八木神社の手水舎に引かれた湧水である。

 神社境内裏手の登山道を数十メートル上ったところから湧き出て、八木ケ鼻西斜面からの湧水とつながっている。

 神苑の杉木立に包まれ、八木ケ鼻や周辺を訪れる人々に親しまれ、お茶に利用する人も見られる。

現地ポスターより

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・神惠泉碑

神惠泉碑

 八木やまのひかげ涼しく
  わき出でし清水は
 神の恵みみとぞおもふ

天保九年(1838)新田重基が祖先 義貞父子を祀る当地を訪れよんだ歌で、元は鼻の直下に建っていた。

 文久三年(1863)の建立で、近郷に誇る本格的な歌碑である

現地立札より

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・鳥居

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・社頭

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・〈社頭前の駐車場〉神橋八木橋の跡

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五十嵐川に架けた最初の橋

神橋 八木橋の跡

 江戸時代末期の弘化四年(一八四六)、八木神社参道からまっすぐ延長して道を作り、五十嵐川を渡る木橋が架けられた。この橋は神社が発議し地域有志者たちの寄附によって実現した。モデルは日本の三奇橋といわれた越中富山の『相本(あいもと)の橋』で、人を派遣し設計仕様を写し、二年余りの工事で竣工した。

当時はどこの川にも橋は無く、訪れる旅人は八木橋を見て驚き、近郷の話題として広がった。

橋長二十五間、幅十尺、水面高七間二尺で、橋脚の無い刎(はね)出し橋であった。

対岸には一軒の家もなかったが、架橋によって発展し、やがて地域の中心的 集落になった。橋は七年後に架替えられ、やがて橋の位置は上流へ八メートル移動して、昭和三十七年鋼製アーチ橋に架替えられたのが現在の五代目八木橋である。

『八木掛橋の図」木版刷りの絵で各戸へ弘化四年四月の竣工の時に配布されたものと考えられる。(八木神社蔵)

平成二十三年四月 下田鄉文化財調査研究会

現地案内板より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

名勝 八木ケ鼻

八木鼻は 古くから神靈地とされ 八木神社も元來はこの山頂に鎭座していたと云う

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詳しくは下記の記事を参照

・八木ヶ鼻(三条市北五百川)
〈八木神社 旧鎮座地〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊加良志神社
[ふ り が な ]いからしの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ikarashi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしの かみのやしろ)の論社について

・五十嵐館跡(三条市飯田)
〈五十嵐神社 旧鎮座地〉

・五十嵐神社(三条市飯田)

・八木ヶ鼻(三条市北五百川)
〈八木神社 旧鎮座地〉

・八木神社(三条市北五百川)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR信越本線 東三条駅からR289号経由で五十嵐川を遡上するように東南方向へ約17.8km 車での所要時間は27~30分程度

R289号経由で五十嵐川を遡上するように東南方向へ進んでいると 田圃の中に案山子の代わりに「鷹の凧」があり 風にあおられて本物の様に舞っていました

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八木ケ鼻の断崖が見えてきました

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近づいてくると かなり迫力があります

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八木ケ鼻は 八木神社の旧鎮座地とも云われていて 詳しくは下記の記事を参照

・八木ヶ鼻(三条市北五百川)
〈八木神社 旧鎮座地〉

八木神社(三条市北五百川に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜け 南向き杉木立の境内へと進みます

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境内の石段の手前には
〈歌碑〉
神惠泉碑

 八木やまのひかげ涼しく
  わき出でし清水は
 神の恵みみとぞおもふ

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石段を上がって 次の参道石段の手前には
右手に「下田の名木」
左手に「八木ヶ鼻の湧水」を利用した手水舎があり 清めます

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石段を上がると
右手に〈境内社〉火神社(不動堂)・その横に石祠あり

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左手に・〈境内社〉神明子安社・神楽殿

正面の 拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 拝殿の奥に幣殿 本殿覆い屋があります

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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境内に「古峯神社」の石碑があり ここからは「八木ヶ鼻」への登山道の入口となっています 

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八木ケ鼻は 八木神社の旧鎮座地とも云われていて 詳しくは下記の記事を参照

・八木ヶ鼻(三条市北五百川)
〈八木神社 旧鎮座地〉

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 伊加良志神社について 所在は゛飯田村に在す、今 若一王子と稱す、゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊加良志神社

伊加良志は假字也

○祭神 級長戶邊命、 級長津彦命、〔風土記節解○考證云、五十日帶日、今從はず〕

○飯田村に在す、今 若一王子と稱す、〔案内○節解云、在ニ 五十嵐郷、〕

 案内云、飯田村 往古 五十嵐村卜云フ、打績キ 惡作百姓逃散ス、領主アハレミテ貢納ヲ ユルシ呼返シ、村名ヲ改メタリト云リ、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 伊加良志神社について 所在は゛下田、五十嵐庄、飯田村、五十嵐川の涯に在り、゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊加良志神社、

 下田、五十嵐庄、飯田村、五十嵐川の涯に在り、〔式社案内記、新發田蕃神社帳、〕

 垂仁天皇 皇子 五十日帶日王をる .古春日山君、高志池君春日部君の祖也、〔古事記、参酌本社由緒傳〕傳云ふ 此王 越國に下り、春日山にまし國中を見巡りて 後 五十嵐里に宮居し給ふ、是也、〔由緒傳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 伊加良志神社について 所在は゛下田五十嵐莊飯田村(南蒲原郡鹿峠村大字飯田)゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています

【抜粋意訳】

伊加良志神社明細帳に五十嵐神社とあり

祭神

 今按 社傳に祭神 五十日足彥命なるか社地の奥に御とて高一丈餘 周圍二十間 三方絕壁にして老樹繁茂  皇子の御墓なりと云ふとみえたり こは古事記に五十命者 高志君直とあり 又 五十日足の名と伊加良志と相きによりて 附會したる歟よく考ふべし

祭日 四月二十九日 九月十日

 村社

所在 下田五十嵐莊飯田村(南蒲原郡鹿峠村大字飯田)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

八木神社(三条市北五百川 (hai)」(90度のお辞儀)

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越後国 式内社 56座(大1座・小55座)について に戻る

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7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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