静火神社(和歌山市和田)〈延喜式内社 名神大社〉

火神社(しずひじんじゃ)は 六国史に゛靜火神゛『延喜式927AD』に 紀伊 名草郡 靜火神社(名神大)しつひの かみのやしろと載る名社ですが 永仁以前(1293年)には既に廃絶して社伝・創建年代等は不詳 『国造家記』の記録には「日前神宮・國懸神宮」境内「草ノ宮」で「静火祭」の神事祭祀が 暦応~應永年間(1338~1428年)も継続していたと記されます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

靜火神社(Shizuhi shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

和歌山県和歌山市和田855

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》静火大神(しずひのおほかみ)

或は 火結神(ほむすびのかみ)『鵜飼氏文書』

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『紀伊続風土記(KizokuFudoki)』〈天保10年(1839)完成〉に記される内容

創建年代は不詳ですが 永仁(1293年)以前に神社は既に癈絶していて社伝もわからないが 祭祀はその後も継続し『国造家記』には「日前神宮・國懸神宮」の境内の「草ノ宮」で「静火祭」の神事が行われたと暦応年間(1338~1342年)應永年間(1394~1428年)の記録にあると 記されています
社名の靜火神社についても 地名由来であろうと推測考証されています

【抜粋意訳】

巻之十五 名草郡第十 神宮郷下 和田村 ○靜火シヅヒノ)神社

境内周百六十四間 禁殺生

 延喜式神名帳 名草郡 靜火神社

 本國神名帳 名草郡 正一位 靜火大神

天霧山にあり 舊地は是より東一町半許田中字靜火といふ地にありといふ 今の地に遷の年暦詳ならす
中世 大に衰癈して殆滅に至りしに 享保九年(1724)國命ありて造営し神鏡を納め社地顕示等を定められ 又 其ノ舊地に碑を建て靜火社舊地の五字を鐫(キザ)む  此神の和田郷に鎭り坐せること國造家舊記等に著明なれとも 永仁(1293年)以前に 社既に癈絶して 其傳詳ならず 
國造家記曰 境内に草ノ宮といふあり 九月十五日草ノ宮の廰にて靜火祭といえる神事あり 暦應應永(1394年~)の神事記に見えたり 若は 靜火大神 草ノ宮へ神幸の時の祭式にて 右社退轉ノ後も 草ノ宮にては九月十五日の儀式はれるにや

祀神或曰 火雷ホノイカツチノ  曰火結ホノムスヒノ 又曰(イワク)常州久慈郡 シツノ神社と同神なりといふ

 神名の文字によりて説をなす 他に稽據なし 按するに 靜火は地名と思はる って東南二十町

許に朝日村五箇荘あり 阿左韋アサヰと稱ふ 靜火は此に對せる名にて 志豆韋シツヰと稱ふへし 朝日村より和田村まて 平野の中に溝渠を穿ちて南北二所に樋あり 樋地中に入る事 淺く露アラハルを以て 淺樋といふ文字を朝日と書て村名とす 樋地中に在を以て下樋シツヒいふ

〔下と志豆(シツ)と訓むるを下枝(シツエ)なるの例なり下樋を 今 伏樋(フセヒ)といふ是なり〕文字と静火を書きて神名とするならん

 應永検注帳に樋免ヒメンといひ樋ノ提數(ヒノツツミシキ)なといふものあり 今も此邊 溝渠を穿ち樋を作る所多し 古の形状サマ思ひ合すへし 然して此神 伊達(イダテ)志摩シマ二神と合せて 紀三所神と名
承和以後(834)位階を授けられるゝことあるに  三神相連る
位階を授けらるゝ事 貴志荘園部村伊達神社の條に載せたれは 此に贅せす 是を以て考ふるに伊達(イダテ)を一ノ宮とし 志摩シマを二ノ宮とし 靜火シツヒを三ノ宮とすと見えたり

祀神 都摩都比賣命なるへし 或は 大屋津姫ならんか

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

【由  (History)】

火神社(しずひじんじゃ)

『延喜式』にその名が記されてはいますが、創祀の時期は不明です。
祭神は『鵜飼氏文書(うかいしもんじょ)』によれば火結神(ほむすびのかみ)とされています。式内社の社格は名神大社(みょうじんたいしゃ)(官幣大社)であり、『延喜式』が作られた頃は竈山神社よりも社格は上でした。もともとは石碑のある和田静火の地に鎮座していましたが、社殿が水に浸かったため、近くの山 (天霧山 あまぎりやま)に移されました。

 近代社格制度のもとで、明治6年(1873)に村社に定められましたが、全国的に神社合祀が進められた同42年(1909)に、竈山神社 末社(まっしゃ)稲荷神社に合祀されました。

昭和25年(1950)に地域住民の願いにより分祀(ぶんし)され、再び前山(天霧山)に社殿を造営し、遷座されました。社殿は平成13年(2001)に修築されています。

歩いて知るきのくに歴史探訪 ~竈山神社と周辺の遺跡を巡る〜
古絵図で歩く竈山神社周辺文化財マップ

発行:公益財団法人和歌山県文化財センターより抜粋

公益財団法人和歌山県文化財センターより抜粋

公益財団法人和歌山県文化財センターより抜粋

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・境内の様子

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)

・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)

静火神社(和歌山市和田)は 竈山神社〈境外摂社〉飛地の所管社です

・竈山神社(和歌山市和田)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

紀伊國には 10座の名神大が記されています

【抜粋意訳】

名神祭 二百八十五座

・・・
・・・

日前神社 一座
国懸神社 一座
伊太祁曽神社 一座
大屋都比賣神社 一座
都麻都比賣神社 一座
鳴神社 一座
伊達神社 一座
志磨神社 一座
静火神社しつひの かみのやしろ 一座
須佐神社 一座
巳上 紀伊
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)紀伊 31座(大13座・小18座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)名草郡 19座(大9座・小10座)

[名神大 大 小] 名神大

[旧 神社 名称 ] 靜火神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]しつひの かみのやしろ
[Old Shrine name]Shitsuhi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『六国史』に記される ゛紀三所神゛〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕について

紀伊國の式内社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕の三神は ゛紀三所神or゛紀三所社゛と称されます

〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕の三神の関係は古く 国史には(844~875年)に渡り 三神が並んで神階かっています
その際は 必ず三神が同時の神階ですので
古来
是を以て考ふるに伊達(イダテ)を一ノ宮とし 志摩シマを二ノ宮とし 靜火シツヒを三ノ宮とすと見えたり」と云われいています

『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

紀伊國・志神・伊達神と並び 靜火に神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十四 承和十一年(八四四)十一月辛亥

○十一月己酉朔辛亥

奉授
紀伊國
 從五位下 志摩神 伊達神 靜火神に 並正五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

紀伊國・伊達神・志神と並び 靜火從四位下神階が加えられた事が 記されています

【抜粋意訳】

卷二 嘉祥三年(八五〇)十月乙丑廿一

○乙丑

紀伊國 伊達神 志摩神 靜火神 ふ 從四位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

全国〈京畿七道諸神〉の 進階及新叙 惣二百六十七社とともに 紀伊國 伊達神 志摩神 靜火神 の三神が 並正四位下奉授されています

【抜粋意訳】

卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申

○廿七日甲申

京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社 奉授
淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品
・・・・
・・・・

紀伊國
從四位下 伊達神 志摩神 靜火神 並正四位下
從五位下勳八等 丹生都比賣神 伊太祁會神 大屋都 比賣神 神都摩都比賣神 鳴神 並從四位下
從五位下 須佐神 熊野早玉神 熊野坐神 並從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

・伊達神・志神と並び 靜火從三位が叙せられています

【抜粋意訳】

卷二十七 貞觀十七年(八七五)十月十七日丙寅

○十七日丙寅

 正四位上 伊達神 志摩神 靜火神に くに從三位

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

『住吉大社神代記』に記される 船玉神社の御祭神゛船玉神は 紀国の紀氏の祀る神 今云う 紀伊三所の神゛

『住吉大社神代記』では 船玉神について
「船玉神 今謂 齋祀 紀国 紀氏神 (志麻)神 静(火)神 伊達神 本社」とあり
つまり船玉神は 紀国紀氏の祀る神 今云う 紀伊三所伊達神〈現 伊達神社和歌山市園部志麻神 志麻神社和歌山市中之島)〉・静火神〈現 静火神社和歌山市和田)〉〉の本社であると記しています

『住吉大社神代記船木等本記には
「大幸還上賜 其御舩令レ奉二齋祀武内宿禰一  志麻社 静火社 伊達社 此三前神也」とあり

つまり紀伊三所伊達神〈現 伊達神社和歌山市園部)〉志麻神 志麻神社和歌山市中之島)〉・静火神〈現 静火神社和歌山市和田)〉の神々は 武内宿禰によって 御船の御魂として祭祀されと記しています

・船玉神社〈住吉大社境内 摂社〉(大阪市住吉区)

『住吉大社神代記(すみよしのおほやしろ かみよのしるし)について

住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記(すみよしのおほやしろ かみよのしるし)は 住吉大社の神官が大社の由来を神祇官に言上した解文(げもん)とされ 成立は天平3年(731年)7月3日と巻末に記されていますが 10世紀頃の成立と考えられています

元来 神代記は秘中の書として秘蔵されていて 社家の人間でも拝観は許されなかったが 明治以降に拝観が許され始めた

国立国会図書館『住吉大社神代記』

スポンサーリンク

『住吉大社神代記』に記される 紀伊三所伊達神志麻神静火神について

『住吉大社神代記』に記される 紀伊三所ノ伊達神志麻神静火神〉は いずれも延喜式内社の名神大
船玉神は この 紀伊三所ノ神 の本社ともされます

各々の論社です

紀伊国 名草郡 伊達神社(貞・名神大)(いたての かみのやしろ)

・伊達神社(和歌山市園部)

・水門吹上神社(和歌山市小野町)

紀伊国 名草郡 志磨神社(貞・名神大)(しまの かみのやしろ)

・志磨神社(和歌山市中之島)

紀伊国 名草郡 静火神社(貞・名神大)(しつひの かみのやしろ)

・靜火神社(和歌山市和田)

・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

わかやま電鉄 貴志川線 竈山駅から南へ約650m 徒歩9分程度

県道137号のバイパス沿いに火神社の旧鎮座地があります

火神社の旧鎮座地に参着

・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)

ここから 現在の社地 天霧山(あまぎりやま)が西側に見えます

Please do not reproduce without prior permission.

かつて 天霧山は田の中にあったとされますが 現在は住宅に囲まれています

Please do not reproduce without prior permission.

天霧山参道入口には 津波の避難通路となっていて 火神社は海抜22.0mと記されています

Please do not reproduce without prior permission.

火神社までは 50mとあり 歩を進めます

Please do not reproduce without prior permission.

参道は コンクリートの歩道から 昔の石段へと変わります

Please do not reproduce without prior permission.

参道は整備されていて とても登り易いです

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

坂を上り切ると 鳥居が見えてきます

火神社(和歌山市和田)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

社殿は改修されていて新しく

火神社゛の社号標が立ち 注連縄のかかる鳥居とコンクリートの参道 その先に拝所と本殿があります

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 鳥居をくぐります

Please do not reproduce without prior permission.

手水鉢で清め 拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭箱はありませんでしたが

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

帰りには かなりの急こう配に感じます

Please do not reproduce without prior permission.

下まで降りてくると ちょうど旧鎮座地辺りが 目の前に広がります

Please do not reproduce without prior permission.

かつて「社殿が水に浸かったため 近くの山 (天霧山 あまぎりやま)に移されました」とあるが やはり南海トラフ地震などの津波だったのだろうか?
それとも河川の洪水だろうか?
天霧山参道入口の゛津波の避難通路゛案内を見て そんなことを想いました

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『紀伊国名所図会(kiinokuni meisho zue)』〈文化9年(1812)〉に記される伝承

【抜粋意訳】

竃山神社 鎮火神社 天霧山 の絵図

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊国名所図会』選者:高市志友/画家:西村中和 23冊 刊本 ,文化09年 ~  刊本 ,天保09年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002333&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊国名所図会』選者:高市志友/画家:西村中和 23冊 刊本 ,文化09年 ~  刊本 ,天保09年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002333&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊国名所図会』選者:高市志友/画家:西村中和 23冊 刊本 ,文化09年 ~  刊本 ,天保09年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002333&ID=&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 靜火神社について 所在は゛宮郷和田村北二町許山上に在す〈現 火神社(和歌山市和田)〉とし 

式内社の3社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社を 頭注には ゛紀三所神と云う と記しています

【抜粋意訳】

靜火神社

靜火の志都比と訓べし

〇祭神 火結神〔神社録〕

〇宮郷和田村北二町許山上に在す、〔名勝志、神社録、〕

例祭 九月十六日、

〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕紀伊國 靜火神 一座、

神位
績日本後紀、承和十一年十一月辛亥、奉レ授ニ紀伊國從五位下 靜火神 正五位下、
文徳實錄、嘉祥三年十月乙丑、紀伊國 靜火神 加ニ從四位下、
三代實錄、貞観元年正月廿七日甲申、奉レ授ニ紀伊國從四位下 靜火神 正四位上、同十七年十月十七日丙寅、紀伊國正四位上 靜火神 授ニ從三位、
本國神名帳、正三位 靜火大神、

前件三件〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社を頭注に、是謂 紀三所神と云り、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 靜火神社について 所在は゛宮郷、和田村にあり゛〈現 火神社(和歌山市和田)〉とし

式内社の3社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社を頭注には ゛紀伊三所社゛と云う と記しています

【抜粋意訳】

靜火(シツヒノ)神社

今 宮郷、和田村にあり、〔南紀名勝志、陽國名跡志、神名帳考證、〕

仁明天皇 承和十一年十一月辛亥、從五位下 靜火神に正五位下を授奉り、〔績日本後紀〕
文徳天皇 嘉祥三年十月乙丑、從四位下を加へ、〔文徳實錄〕
清和天皇 貞観元年正月廿七日甲申、正四位上に叙され、十七年十月十七日丙寅、從三位を授け、〔三代實錄〕
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、〔延喜式〕

凡 毎年九月十五日、靜火祭を行ふ、〔日前國懸年中行事目録〕
凡 伊達、志摩、靜火の神、之を紀伊三所社と云ふ、〔神名帳頭注〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 靜火神社について 所在は゛和田村(海草郡三田村大字和田)〈現 火神社(和歌山市和田)〉と記し 祭神について 考証しています
参考まで(瀬藤注:常陸久慈の靜神社[シツ](名神大)「建葉槌命」倭文[しどり]の縮まった名と伝わる)

式内社の3社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社を頭注には ゛紀三所神と名く゛ と記しています

【抜粋意訳】

靜火神社 名

 祭神 火結命

 今按 續風土記に祭神 或日火 父結神 又曰 常州久慈郡靜神社と同神なりと云
 皆神名の文字によりて説をなす他に稽據なし 按するに古記の國字にせしにはしち井 或はしつ井とかけり 是に據るに靜火は地名と思はる此より二十町に朝日村あり 左韋(アサヰ)と稀ふ靜火は此にせる名にて志豆韋(シツヰ)と稱ふへし
 村より和村まて平野の中に溝渠を穿ちて南北二所にり 樋地に入る事浅く露るを以て 浅樋と云文字を朝日書きて村名とす 樋地を以て 下樋(シツヒ)と云文字 靜火と書きて神名とするならん 應永檢註帳に樋免と云ひ 樋堤敷なと云ものあり 今も此邊 溝渠を穿ち樋を作る所多し 古の形狀思ひ合すへし
 然して此神 伊達 志摩二神と合せて紀三所神と名く 承和以後 屡 位階を授けらるることあるに必三神相連る 是を以て考ふるに 伊達を一宮とし 志庫を二宮とし 靜火を三宮とすとみえたり 祀神部摩都比賣命なるへし 或は 大屋津姫命ならんかと云る下樋の考へ地形に由ある説なるへく思はるれ ご祭神は如何ならん 社傅に火結命と云る據ありて聞ゆれは 社傅に從ふ

神位
仁明天皇 承和十一年十一月辛亥、從五位下 靜火神に正五位下を授奉り、〔績日本後紀〕
文徳天皇 嘉祥三年十月乙丑、從四位下を加へ、〔文徳實錄〕
清和天皇 貞観元年正月廿七日甲申、正四位上に叙され、十七年十月十七日丙寅、從三位を授け、〔三代實錄〕

祭日 九月十五日
社格 村社
所在 和田村(海草郡三田村大字和田)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

火神社(和歌山市和田) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について に戻る 

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, , ,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.