子安神社(浜松市中央区白鳥町富田)〈『延喜式』子倉神社〉

子安神社(こやすじんじゃ)は 元々は天竜川左岸の集落(富田村字堤外中ノ町)に鎮座していましたが 昭和14年(1939)5月天龍川改修工事によって 堤防傍の現在地に遷座しています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です

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稲荷神社(浜松市中央区飯田町)〈『延喜式』子倉神社・朝日波多加神社

稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延暦二十年(801)に建てられたとも云い伝えられています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)であるとも 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)であるとも云い 二つの式内社の論社となっています

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有玉神社(浜松市中央区有玉南町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉

有玉神社(ありたまじんじゃ)は 明治四十年 八幡宮境内〈現在地〉に郷社 神明宮〈式内論社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)〉を移転し 当時の有玉村の地域内にあった 郷社 神明宮 村社 無格社などと八幡宮 俊光将軍社等 併せて十一社を合祀して 郷社 有玉神社と称したものです

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六所神社(浜松市中央区半田町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 朝日(あさひ)山〈往古 村名゛波多(はた)村゛にある〉の中腹に 社殿・境内は東を向いて 旭日(あさひ)を迎えるように鎮座しています 創建年代不詳ですが この地名と地形からみて 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社との説があります

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神明宮(浜松市浜名区内野)〈『延喜式』朝日波多加神社〉

神明宮(しんめいぐう)は 創立年代不詳ですが 鎮座の地「内野(うちの)」が「宇治乃(うぢの)」と呼ばれていた頃 伊勢神宮より勧請したと云い 又 神明宮由緒によると寛永二年(1625)正月十五日 現在地に創建したと云います 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社です

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稲荷神社(浜松市浜北区小林)〈『延喜式』猪家神社〉

稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 明徳年間(1390)足利義満の時代に改造の記録があります 寛政8年9月 稲荷大明神を稲荷神社と改称 明治12年8月26日村社に列格 延喜式内社 遠江國 長下郡 猪家神社(ゐけの かみのやしろ)の論社でもあります

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椎ヶ脇神社(浜松市天竜区二俣町鹿島)〈『延喜式』猪家神社〉

椎ヶ脇神社(しいがわきじんしゃ)は 延暦二十年(801)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐のため下向の折 天竜川が氾濫し大海となり 東岸に渡ることも出来ず困っていた時 土人が筏を作り将軍を渡し 大変喜ばれこの地に減水を祈り「闇淤加美神」を祀ったと伝わる 延喜式内社 遠江國 長下郡 猪家神社(ゐけの かみのやしろ)の論社

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蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〈『延喜式』大歳神社・朝日波多加神社・子倉神社〉

蒲神明宮(かばしんめいぐう)は 『三代實録』蒲太神とする説があり これによって三つの式内社〈①遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)②遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)③遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)〉の論社となっています

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大歳神社(浜松市中央区天王町)〈『延喜式』大歳神社〉

大歳神社(おおとしじんじゃ)は 延喜式内社 遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)を合祀しています 元来「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社に別れてご鎮座になっていたが 後に合祀され 更に当神社氏子四町の氏神を合祀し現在に至ります

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等乃伎神社(高石市取石)〈『延喜式』等乃伎神社(鍬靫)・〈合祀〉大歳神社(鍬)〉

等乃伎神社(とのきじんじゃ)は 古代の太陽信仰と密接な関係があり『古事記』下巻 仁徳天皇の段には「巨木伝説」が伝わり 又『続日本紀』天平勝宝4年(752)「中臣殿来連竹田売」と記載の中臣氏一族 殿来連が祖先神 天兒屋根命を当社に奉祀した 式内社 等乃伎神社(鍬靫)で 明治期に式内社 大歳神社(貞・鍬)を合祀しています

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