神住居神社(対馬 豆酘)神功皇后(ジングウコウゴウ)の「行宮(あんぐう/ゆきみや)」と伝わります

神住居神社は 〈第14代 仲哀天皇の皇后〉神功皇后(ジングウコウゴウ)[摂政の御代〈在位201~269年頃〉] 三韓征伐で渡航されるとき「行宮(あんぐう/ゆきみや)」とされていた処であると伝わります 例祭「豆酘の船浮神事カンカン祭り〉」は 神功皇后の出船祭りとされています かつては「さかのぼり」という神事〈赤船と白船のお供の人が 分かれて子供たちを捕らえる〉があって これは神功皇后が 新羅の軍勢を捕虜にした伝承 に因んでいるとも伝わります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神住居神社Kamizumai Shrine)
(かみずまいじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

行宮(ゆきみや)

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市厳原町豆酘2424

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神功皇后(Jingu Kogo)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・式外社 神功皇后の行宮の跡とされています

【創  (Beginning of history)】

不詳
〈第14代 仲哀天皇の皇后〉
神功皇后(ジングウコウゴウ)の摂政の御代〈在位201~269年頃〉

【由  (History)】

不詳

神住居神社(かみずまいじんじゃ)

御祭神 神功皇后

御由緒
皇后・新羅に渡らせ賜うとき先に雷大臣尊を遣わして行宮を定めたまい、仲哀天皇6月1日に下縣郡 豆酘浦に着きたまうとき、

「都にて山の端に見し月影も、波より出でて波に入りぬる」と詠まれて、行宮にしばらく滞在される。

7月18日の浮船神事は、皇后 与良村に向けたまう縁によると伝える。

例祭 旧暦11月15日

ブト、カクと言う餅などや山の実などの古代食を供え、梵語をとなえ、笛太鼓などの鳴り物の奏楽で神饌される古式祭である。

宮司(供僧)本石正久

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

神住居神社Kamizumai Shrine)は 神功皇后の行宮の跡とされています

第14代 仲哀天皇の皇后
神功皇后(ジングウコウゴウ)の摂政の御代〈在位201~269年頃〉

神功皇后が 三韓征伐に渡航されるとき 先ず 6月1日 対馬豆酘浦に着かれたと伝えられ 行宮に1ヶ月近く滞在したようです

神功皇后の腰掛石〈対馬 豆酘〉

神功皇后が 対馬に最初に上陸したのが 豆酘とされ 皇后が腰を掛けて休まれたとする石です
豆酘の漁港にあります 案内看板によれば

神功皇后 由縁

神功皇后は 新羅に渡航されるとき、先ず、6月1日、対馬豆酘浦に着かれたと伝える。上陸に際し、
「都にて山の端に見し月影も、波より出でて波に入りぬる」と詠(よ)まれて、この近くの砂浜青石黄石皇后と武内宿祢(たけのうちすくね)が腰掛けて一休みしたとの伝承がある。
 また、この両石の間を通ると腹痛を訴えるきざしが多いことから「腹せき石」との言い伝えもある。
 皇后は行宮(ゆきみや)にひと月余り滞在したのち東海岸を北上される。その出船の祭りがカンカン祭りとして今も継承されている。

豆酘区長会
豆酘漁港推進協議会
多久頭魂神社

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

神住居神社Kamizumai Shrine) 多久頭魂神社の境内地に鎮座しています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の名神大社が2つもあり 対馬の天道信仰の聖地でもあります

多久頭魂(タクヅタマ)神社 (式内社 名神大社)の境内地・多久頭魂神社(対馬 豆酘)

対馬島県郡 高御魂神社 名神大 ・高御魂神社(対馬 豆酘) 

 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

厳原フェリー港から 県道192号 24号を経由約22km 車35分程度
豆酘を目指し 多久頭魂神社Takuzutama Shrine)の境内に 鎮座しています

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多久頭魂神社Takuzutama Shrine)鳥居に一礼をしてくぐり 参道を進むと 右側の木立の中に見えてきます 境内案内板のです

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参道の右手に原木を組み合わせた鳥居があり「神住居神社」と記されていて 只ならぬ雰囲気を漂わせています
神住居神社Kamizumai Shrine)に参着

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一礼をして 原木鳥居をくぐりると 原生林に近い感じの中を 丁度 社殿の側面から 社に向かって上がります 

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拝殿にすすみます 社殿は 豆酘浦の方角 南向きに建てられています 

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本殿にすすみ
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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参道の石段を下り 多久頭魂神社Takuzutama Shrine)参道に立つ 原木の鳥居まで戻ります 鳥居を抜けて振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

例祭 カンカン祭り「浮船神事」について

カンカンまつり(浮船神事)の縁起 8月18日

 カンカンまつりとは、神功皇后(じんぐうこうごう)のお出船まつりを云う。行列に銅鑼(どら)や太鼓(たいこ)、龍笛(りゅうてき)などの鳴物(なりもの)を奏楽(そうがく)していることからカンカンまつりと云われる。また、海岸で「さかのぼり」の所作(しょさ)をされることから「韓韓(かんかん)まつり」とも俗称(ぞくしょう)すると伝える。

 大小神社帳によると神功皇后は、新羅(しらぎ)へ渡航されるとき雷大臣命(いかつちのおおおみのみこと)を遣(つか)わして 行宮(ゆきみや)を定め給い、
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)9年(201年)6月1日 豆酘浦に着き給うとき「都にて山の端に見し月影も、波より出でて波に入りぬる」とお詠みになり、しばしおわしたまう。7月18日(旧来、陰暦(いんれき)の7月が盆月であったが正月も陽暦(ようれき)に移行して、お盆、カンカンまつりもともに新暦8月となる)に豆酘浦 松崎(まつざき)を発船し給い 東海岸を北上し鰐津(わにつ)より渡航し給う。
また霜月(しもつき)15日の神住居神社(かみずまいじんじゃ)古式例祭は皇后 帰還(きかん)し給う縁によると伝え、古代食や梵語(ぼんご)による献撰詞(けんせんし)を唱え梵音具(ぼんおんぐ)の奏楽(そうがく)をして祭典(さいてん)が行われる。

 対州神社誌には、「白船一艘 赤船一艘 但し小船也 白旗赤旗にて飾り どら弐 貝吹諸事かざり物を逆さに仕え 役者(やくしゃ)10人 酒7升造酒供える-----供僧(くぞう)共両人前後に立ち 7度門を出入りして 松崎と申所之海にて流申候 残僧は観音堂にて調伏仕候(ちょうふくつかえそうろう)------」

 行列は、10人で赤船白船赤旗白旗に飾り、鳴り物を鳴らし7度出入りして、貝吹き松より花川(はながわ)を出て神田川を下り海岸へ出た。
海岸へ赤旗白旗を立てて陣をつくり、銅鑼(どら)や太鼓(たいこ)の連打(れんだ)により、赤船白船が引き潮の鎌津(かまんつ)を前後しながら競帆(せりほ)した、小松崎で祭事して船を浮かべた。
残りの役者は黒山の観衆を追いかけて陣営(じんえい)へ連れ込んだ。さかのぼりが終わり、帰還(きかん)のとき道具を持たされた。

 現在、三位隈下(さんめぐまのした)の一画(いっかく)に神功皇后にまつわる黄石、青石が安置してあり、神功皇后の建内宿根(たけのうちしゅくね)の腰掛けた石との伝承があり、いま、カンカンまつりの行列(ぎょうれつ)が、そこで陣営して一休(ひとやすみ)している。

 時代が下(くだ)り、神への祈念(きねん)が増え、此の祀りに疫病除け(えきびょうのけ)(夏病)や海上安全を祈願(きがん)するまつりになっている。

宮司(供僧)本石正久

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神住居神社Kamizumai Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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