善女龍王神社・雷電神社(ぜんにょりゅうおうじんじゃ・らいでんじんじゃ)は 平安時代 この地方に長く日照りが続いた時 真言僧の歓喜坊(かんぎぼう)が 古来湧水の絶えない池〈竜神池〉の辺に神籬を立て竜神を招魂祈念したところ 慈雨があり 社〈善女竜王社〉を建て厚く信仰したのが始まりです
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
善女龍王神社・雷電神社(Zennyoryuo shrine・Raiden shrine)
【通称名(Common name)】
善女龍神(ぜんにょりゅうじん)・雷電神社(らいでんじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県秩父郡皆野町皆野 蓑山中腹
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
〈善女龍神社〉
《主》善女竜王(ぜんにょりゅうおう)
《配》闇龗神(くらおかみのかみ)
〈合祀 雷電神社〉
《主》鳴雷神(なりいかずつのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・雨乞い・金運アップ・恋愛運アップ・縁結び
【格 式 (Rules of dignity) 】
【創 建 (Beginning of history)】
平安時代 真言僧の歓喜坊(かんぎぼう)が 古来湧水の絶えない池があったここ深沢の地に庵を結び この地方に長く日照りが続いた時 池のほとりに神籬(ひもろぎ)を立て竜神を招魂して祈念し慈雨があった そこで池を竜神池と呼び ほとりに社(やしろ)を建て厚く信仰した これが後に善女竜王社となる
社殿は明治期に大火で焼失し 皆野椋神社に合祀されていたが 現在は社殿を再建し 雷電神社を合祀している
【由 緒 (History)】
善女竜王社再建由緒
平安の昔 京都醍醐の山で修行を積んだ歓喜坊(かんぎぼう)という真言僧が武蔵国に下り 秩父連山中の独立峰蓑山の中腹 ここ深沢の地に庵を結んだ 庵の傍らには古来湧水の絶えない池があった
ある年 この地方に長く日照りが続き住民がひどく困窮した これを見かねた時の領主は歓喜坊に雨請いを命じた 命を受けた歓喜坊が 池のほとりに神籬(ひもろぎ)を立て竜神を招魂して祈念したところ
慈雨たちまち至って万物よみがえった 領主はじめ土地の人々の喜びは一方(ひとかた)ならず 池を竜神池と呼び そのほとりに社(やしろ)を建て社地を寄進し厚く信仰した これが後に善女竜王社となる
歓喜坊は功によって領主より許されて一寺を開いた 皆野町 歓喜山円明密寺(かんぎざんえんみょうみつじ)の基(もとい)と伝えらえる
竜王社の社殿は明治十五年当地方を襲った大火により焼失 その後椋神社が境内社として祭祀を行ってきたが 平成の御代に入って社殿復活の声が上がり 氏子 崇敬者の協力を得て 平成六年 新社殿の完成を見た
祭神は善女竜王 闇龗神(くらおかみのかみ) 善女竜王は仏説に言う沙羯羅(さがら)竜主の三女で祈雨の神 善女竜神と言うも同じ 闇龗神は谷の竜神で雨をつかさどる 雨を呼ぶ竜神はまた金運を呼ぶと言われる
なお 東北方に峰々を望む近くの尾根道にあって鳴雷神(なりいかずつのかみ)を祀る雷電社をも竜王社新社殿に移した
雷除け 災難除けの神として信仰されている
平成十二年六月八日 椋神社宮司 大塚大八謹白現地案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・龍神池〈古来湧水の絶えない池〉
゛平安の昔 京都醍醐の山で修行を積んだ歓喜坊(かんぎぼう)という真言僧が武蔵国に下り 秩父連山中の独立峰蓑山の中腹 ここ深沢の地に庵を結んだ 庵の傍らには古来湧水の絶えない池があった゛
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
〈善女龍神社・雷電神社(皆野町皆野)は 皆野 椋神社の境外社です〉
・皆野 椋神社(皆野町皆野)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)について
天長元年(824年)平安初期に大旱魃があり 第53代 淳和天皇は長引く干ばつに対して 祈雨の修法を命じた
弘法大師(空海)が 当時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行い 雨乞いのために天竺(北インド)の無熱池(むねっち)から御請来〈呼び寄せ〉たと伝わる仏神 八大竜王の一尊 沙掲羅龍王(さがらりゅうおう)の三女とされます
ご利益は・金運アップ・恋愛運アップ・縁結び
神泉苑 善女龍王社の御朱印
善女龍王神社(皆野町)の創始は 平安期の真言僧(しんごんそう)の歓喜坊
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)は 真言宗の開祖 弘法大師(空海)によってインドより日本に導かれた龍神で
この地方に長く日照りが続いた時 池のほとりに神籬(ひもろぎ)を立て 祈雨の修法で この地に善女龍王を呼び寄せたのも やはり 真言僧の歓喜坊(かんぎぼう)でした
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
八大龍王〈八大竜王〉(はちだいりゅうおう)とは
八大龍王は 水神であり 仏教の教えを護る守護神
ご利益には・商売繁盛・富貴栄達・出世・勝運・除災招福・恋愛成就・五穀豊穣など
①”難陀(なんだ)”龍王
歓喜の意を持つ 龍王の中でも優れた龍神
➁”跋難陀(ばつなんだ)”龍王
才知に優れた 亜歓喜の意を持つ 難陀竜王の兄弟神 兄弟でマガダ国を保護した龍王
➂”娑掲羅(サガラ)”龍王
雨を降らせる力を持ち 大干ばつから人々を護った
④”和修吉(わしゅきつ)”龍王
九頭の意味を持つ 九頭龍大神と同等の守護神
➄”徳叉迦(とくしゃか)”龍王
毒視を持ち 徳叉迦が怒ると悪鬼は息絶えるとされる龍王
⑥”阿那婆達多(あなばだった)”龍王
徳の高い龍王で 釈迦の誕生に甘い雨(甘露)を降らせた菩薩の化身 仏教の護法善神
➆”摩那斯(まなし)”龍王
人々の願いを叶える神 人間に信仰心を芽生えさせる力を持つ
⑧”優鉢羅(うはつら)”龍王
雨をもたらし穀物を豊かにする力を持ち 綺麗な花が咲く池に住む龍王
※善女龍王は ➂”娑掲羅(サガラ)”龍王の三女とされます
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
秩父鉄道 皆野駅から東へ約3.2km 蓑山の山頂にある゛美の山公園゛を目指すと中腹に鎮座します
社頭には 社号標「善女龍王神社 雷電神社」と刻字があります
善女龍王神社・雷電神社(皆野町皆野)に参着
少しづつ下っている参道を進むと 途中に朱色の鳥居が建ちます
鳥居の扁額には「善女龍神社 雷電神社」と記され 龍王の王の文字がありません
一礼をして 鳥居をくぐります
参道は 南参道ですが 社殿は西方向〈龍神池〉を向いていますので ちょうど社殿の真横に出ます
回り込むように
拝殿にすすみます
社殿の前には 奉納鳥居が建ち こちらの扁額には「善女龍王社 雷電神社」と記されています
社殿の彫刻は 当然のごとく 龍神が刻まれています
社殿は 磐座を覆うように建てられていて 祠が磐座の上に祀られています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
振り返ると 鳥居の先に目隠しのような生垣のようなものがあります
回り込んでみると 龍神池がありました
龍神池は 冬場でしたので昼でも凍っていて その上に落葉がのっているような感じでした
池の傍らには 注連縄が廻された石碑が社殿の方を向いて祀られています
善女龍王神に祈ります
それにしても このような山中に湧水の池があるとは
゛平安の昔 京都醍醐の山で修行を積んだ歓喜坊(かんぎぼう)という真言僧が武蔵国に下り 秩父連山中の独立峰蓑山の中腹 ここ深沢の地に庵を結んだ 庵の傍らには古来湧水の絶えない池があった゛
龍神池・社殿に一礼をします
すると 突然陽射しが差し込みました
改めて 参道を戻ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『今昔物語集(konjaku monogatari shu)』に記される゛善如龍王゛の伝承
天長元年(824年) 第53代 淳和天皇は 長引く干ばつに対して 西寺の守敏と東寺の空海に対して 祈雨の修法を命じた
この時 弘法大師(空海)の請雨に応じ 善如龍王が請雨経の法の霊力を顕すために現れた と記されています
【抜粋意訳】
第14巻 弘法大師修請雨経法降雨語 第四十一
(こうぼふだいし しゃううきゃうのはふをしゆして あめをふらすこと)
今は昔、□□天皇の時代に、天下が旱魃に見舞われ、すべてのものが焼け尽きて枯れ果てた。天皇はこれを嘆き悲しまれた。大臣以下の人民の人々も皆、このことを嘆いた。
その時、弘法大師という人物が存在した。
僧都であった彼は、天皇に召されて、「どうすればこの旱魃を止め、雨を降らせ、世を救えるでしょうか?」と尋ねられた。
大師は答えて「私の教えの中に、雨を降らせる法があります」と言った。
天皇は「早速 その法を修めるべき」と応じて言われた。
大師の言葉に従って、神泉苑で雨乞いの儀式を行った。
7日間の修法儀式を行う中、壇の右上に五尺ほどの蛇が現れた。
見るとその蛇は、金色に輝く約五寸の蛇を頭上に乗せていた。
しばらくして、蛇はただ寄り添ってきて、池に入っていった。
しかし、20人の伴僧が居並んでいたが、その中の高僧の伴僧が4人だけは、その蛇を見た。
僧都は、もちろんご覧になられた。それを見た伴僧の一人が、僧都に尋ねた。「この蛇の現れはどのような意味ですか?」と。
僧都は答えて「あなたは、知らないのですか。天竺に阿耨達知池(アメクダツチイケ)という池があります。その池に住む善如竜王(ゼンニョリュウオウ)がこの池に通ってきたのです。だから、この修法の成就を示すために現れたのです」と言った。
その間に、急に雲が広がり、黒い雨雲が戌亥(イヌイ)の方角から現れ、雨が降り始め、世界に普(アマネ)く降った。
これによって旱魃は終わった。
それ以来、天下の旱魃の時には、この大師の流れを受けて、この修法を伝えている人々が、神泉苑でこの法を行うようになった。
すると必ず雨が降った。
その時には、阿闍梨に観賞〈報酬〉が与えられることが定められていた。
今でも絶えずに行われている。とこう語り伝えられているという。
【原文参照】
善女龍王神社・雷電神社(皆野町皆野)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
善女龍神社・雷電神社(皆野町皆野)は 皆野 椋神社の境外社です
・皆野 椋神社(皆野町皆野)