天満社(てんまんしゃ)は 創建の年代は不祥ですが 『武蔵演路(むさしえんろ)』〈安永9(1780)年起稿〉には 延喜式内社(927年)武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつのあまつかみのやしろ)であるとも記載されています 鎮座地 北野の地名は 横山党の一族(平安時代後期~鎌倉時代)が京都北野天満宮をこの地に勧請したことによるとされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天満社(Tenman sha shrine)
【通称名(Common name)】
・北野天満社(きたのてんまんしゃ)
・北野天神(きたのてんじん)
【鎮座地 (Location) 】
東京都八王子市北野町550-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菅原道真公(すがわらみちざねこう)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建の年代は詳らかでないが、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請し、北野の地名となった。
寛文四年(一六六四)三月龍華山大義寺真上法印により社殿再建した。
天正十九年(一五九一)十一月から万延元年(一八六〇)九月まで、将軍家から五石の社領を受ける。
毎年一月徳川将軍へ武運長久の祈祷札を献上の習慣があった。明治十三年唐破風の社殿を造営する。『東京都神社名鑑』〈1986.3東京都神社庁 編纂〉より
【由 緒 (History)】
由緒
創建の年代は詳らかではないが、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請し北野の地名となった。寛文4年(1664)3月龍華山大義寺真上法印により社殿再建した。天正19年11月(1591)から萬延元年(1860)9月まで将軍家から5石の社領を受ける。年1度徳川将軍へ武運長久の祈祷札を1月献上の習慣があった。明治13年(1880)唐破風の社殿造営。昭和51年「菅公1715年忌事業で社殿を銅板葺に改修する。末社の塩竃神社は腹帯拝受の崇敬者多い。境内縄文後期の古代斎場の遺跡は市指定である。ご神木の欅は樹齢今400年のものである。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
御由緒
横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請し「北野」の地名となる。天正十九年から萬延元年まで270年間将軍家より5石の社領 を受ける。毎年一月に徳川将軍への武運長久の祈祷札を献上する慣例があった。
東京都神社庁HPより
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/minamitama/hachiouji/5793/
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・塩竃神社《主》武甕槌命・塩土老翁・経津主神
〈本殿に並列して鎮座 向かって右側の社〉
・石祠《主》不明
〈本殿と塩竃神社の中間 その奥の石祠 元々の天神か?〉
・神楽殿
・北野石器時代住居跡〈八王子市指定史跡・旧跡〉
〈昭和38年(1963)区画整理に伴い 由井第一小学校内にあった北野石器時代住居跡(八王子市指定史跡)の遺構が天満社境内に移されたもの〉
・参道 石祠
〈参道に祀られる石祠 祭神は不明〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵國 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大麻止乃豆乃天神社
[ふ り が な ](おほまとのつのあまつかみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohomatonotsuno Amatsu kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつのあまつかみのやしろ)の論社について
・大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)
・武藏御嶽神社(青梅市御岳山)
・北野天満社(八王子市北野町)
・大国魂神社(東京・府中市宮町)
・天神社(府中市宮町)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京王線 北野駅から北西方向へ約300m 徒歩5分程度
社殿 境内 社頭は東を向いています
社頭の玉垣には゛北野天満社゛゛鹽竈神社゛と記されています
天満社(八王子市北野町)に参着
一礼をして 鳥居をくぐります
石畳みの参道が続いている先が゛北野天満社゛
その右隣に並んで祀られているのが境内社の゛鹽竈神社゛です
本社と境内社が並列して祀られているのは 珍しい配置です
向かって左手には゛神楽殿゛゛手水舎゛があります
゛北野天満社゛の拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 覆屋の中に本殿が祀られています
゛鹽竈神社゛の拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
゛北野天満社゛と゛鹽竈神社゛の両社の間 その奥に石祠が祀られています
元々の地主神のように なんとも 静かな奥まった場所に祀られています
もしかすると 元々の天神社なのでしょうか?
お参りをします
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『武蔵演路(むさしえんろ)』〈編著者 大橋方長他 安永9(1780)年起稿〉に記される伝承
『式内社調査報告』に゛武蔵演路゛が引用されているが 式内社の比定は難しいとの所載あり
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 北野村の天神宮〈現 天満社(八王子市北野町)〉と記し 今 菅原道真公を祀る゛天満宮゛としているのは 誤りで 天神である とも記しています
【抜粋意訳】
武蔵演路 第五 〇多摩
八王子宿 天神宮
北野村 八王子 六十宿
別当 大義寺或いは云う
式内 大麻止乃豆乃天神社之 祭神未考今 菅神とするは誤りなり
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 大和国 櫛真知命神社との関連を示唆し 所在地としては 府中六所大明神三殿の中央 大己貴命〈現 大国魂神社(東京・府中)〉もしくは 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉と記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃(オホマトノツノ)天神社
〇大和国 櫛真知命神社 元名 大麻呂井天和神
三実 作大麻等 野知神
惣風 大麻止乃智天神 圭田67束6毛田所祭 大己貴命也 安閑天皇乙卯年始尊官社 花時以花祭之 新稲之時以新稲祭之
〇当郡 布田村人 大八木範並云 当郡 府中六所大明神三殿の中央 大己貴命 景行天皇の世 祭り始むと云う 当社 春時 花を以って祭り 秋時 新稲を以って祭る式あり これこの大麻血乃知天神社ならんと云えり
式考 御岳山御岳大明神之 少彦名命
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
天満社(八王子市北野町)について 北野村の鎮守であると記されています
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 巻之100 多磨郡之12 由井領 北野村
天満宮
村の東の入口にあり 社領五石の御朱印を賜へり
當社は この地十八代官を置れし頃 其人々の内にて勧請せし由を傳へり
神體 綱敷天神立像 長二尺一寸なるを安せり 本社六尺四方 拝殿二間に三間 寛文九年の勅額にして二品良尚親王の筆也と云
村の鎮守にして 例祭二月廿五日 八王子村元横山村 大義寺持鐘楼 元禄元年十一月の銘をいれり 又 境内に應永四年十一月日の古碑一基あり 何人の碑かしらず
菴 拝殿の北にあり 二間に三間半 社を守る人ここに居れり
【原文参照】
『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉に記される伝承
大國魂神社(府中市宮町)について 式内社 大麻止乃豆乃天神社であると記しています
【抜粋意訳】
江戸名所圖會 三之巻
武蔵國(むさしのくに)総社(そうしゃ)六所明神(ろくしょみょうしん)社
府中驛路(ふちゅうのえきろ)の左側にあり 延喜式内(えんぎしきない)大麻止之豆之天神社(おおまとのつのてんしんのやしろ)是(これ)なり
後世(こうせい)に至(いた)りて 同じく式内(しきない)小野神社(おののじんじゃ)を合(あわ)せ祭(まつ)る 故(ゆえ)に今(いま)両社一社(りょうしゃいっしゃ)の称(しょう)あり
神主は 猿渡氏(さるわたりうじ)其餘(そのよ)社司社僧等 奉祀す本社祭神 大己貴命
相 殿 素戔嗚尊 伊弉諾尊 瓊瓊杵尊 大宮女大神 布留太神
以上 六神これを 俗に六所明神(ろくしょみょうじん)と称せり天下春命 瀬織津比賣命 稲倉魂大神
以上 三神これを客来(きゃくらい)といへり九神合わせて共 六所宮(ろくしょのみや)と称す
此の三神のいちは 一宮に小野神社との条下に詳(つまびらか)なり延喜式神名帳曰 武蔵國 多磨郡八座 大麻止之豆之天神社 云云
・・・・・
・・・・・【原文参照】
〈挿絵の注〉
府中六所宮(ふちゅうろくしょのみや)
小野宮(おののみや)と分倍(ふんばい)の境(さかい)府中(ふちゅう)より関土(せきど)へ行道(ゆくみち)は、往昔(むかし)奥州(おうしゅう)より鎌倉(かまくら)への通路(つうろ)にして、これを陣海道(じんかいどう)と称はえるは、元弘(げんこう)より永享(えいきょう)の間(あいだ)屡(しばしば)戦争(せんそう)の地(ち)にてありしかばかくは字(あざな)せるとなり
当社(とうしゃ)随神門(ずいしんもん)より外(そと)の列樹(れつじゅ)には、鵜(う)或(あるい)は鷺(さぎ)其余さまざまの水禽(みずとり)巣(す)を作(つく)り栖(すみか)す
日毎(ひごと)に品川(しながわ)等(とう)の海濱(かいひん)より其(その)巣(す)へ運び其雛(ひな)を育(いく)せり
然(しか)れども随神門(ずいしんもん)より内(うち)へは一羽(いちわ)といえども入(いる)事(こと)なきを当社(とうしゃ)七奇事(きじ)の一とす。又、寒中(かんちゅう)に至(いた)れば一羽も宿(やど)る事なく 翌(あく)る年(とし)の寒明(かんなけ)に至(いた)り又来(きた)ってねくらせり【原文参照】
〈挿絵の注〉
其二
【原文参照】
〈挿絵の注〉
其三
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『江戸名所図会』選者:斎藤長秋/画家:長谷川雪旦 20冊 刊本(後修)天保05年~刊本(後修),天保07年 旧蔵者 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002802&ID=M2017051812072139297&TYPE=&NO=
〈挿絵の注〉
六所宮田植(ろくしょのみやたうえ)
五月六日は御田植(みたうえ)の神事(しんじ)にて武蔵国(むさしのくに)の人民(じんみん)早苗(さなえ)を携(たずさ)え来(きた)りて 神田(しいでん)に是(これ)を挿(はさ)めり
郷童(きょうどう)白鷺(しらさぎ)の形(かた)の造(つく)り物(もの)ある葢鉾(かさほこ)をささげて せんはいこうしの傘(からかさ)と唄(うた)ひ詳は 又ありてものは これものく唄(うた)いて 今(いま)植並(うえなら)し田(た)の中に下(くだ)り立(たち)て 早苗(さなえ)を踏(ふみ)しだき こひぢ〈泥田〉にまみれて 踊舞(おどりまう) 故(ゆえ)に有(あり)しにも似(に)ず ひぢ〈泥田〉の中にしずみはえるが 一夜(いちや)のうちにいとめて度(たた)起立(おきたち)て葉末(はすえ)に露(つゆ)むすびなんとしてうるわしき事かぎりなし【原文参照】
六所宮御旅所・・・・・
御田・・・・【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 所在は 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉と記しています
祭神については 大和国 十市郡 天香具山坐 櫛真知命神社 元名 大麻止乃知神とある同名なので 本来は 櫛真知命が正しいのではないだろうか とも記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃天神社
大は 於保と訓べし、麻止乃豆乃は假字なり
〇祭神 日本武尊 大己貴命 少彦名命、地名記
〇御嶽山に在す、地名記
〇惣國風土記七十七残存云、大麻止乃智天神 圭田六十七束六毛田 所祭 大己貴命也 安閑天皇乙卯年始尊官社 花時以花祭之 新稲之時以新稲祭之連胤 按るに〈考えるに〉大和国 十市郡 天香具山坐 櫛真知命神社 元名 大麻止乃知神とある同名なれば 櫛真知命を祀れるにはあらざるか 尚考ふべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 所在は 大丸村に在り丸宮大明神〈現 大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)〉で 祭神は天櫛眞知命 と記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃天神社(オホマトノツノアマツカミノヤシロ)
今、大丸村に在り、丸宮大明神し云 蓋是也、
蓋 天櫛眞知命を祀る
凡 其祭 八月十五日之を行ふ
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社 大麻止乃豆乃天神社について 所在は 御嶽山〈現 武藏御嶽神社〉という説があるが 疑わしい 大丸村〈現 大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)〉が正しいとして 大丸村の村名は もと大麻止を大円など書いてオホマルと訛り 終いに大丸とも書くこととなったと記しています
【抜粋意訳】
大麻止乃豆乃天神社
祭神 櫛真知命
祭日 八月十五日
社格 郷社
所在 大丸村 字大圓山(南多摩郡稲城村大字大丸)
今按〈今考えるに〉
御嶽山御嶽神社を大麻止乃豆乃天神社と云えれど明証なければ信じがたし擁書漫筆に 大丸村の丸宮大明神は 本社にその名かよいて聞ゆと云るに就て 黒河春村が この説よろしく聞ゆ
大丸村は 玉川の岸にあり 大麻止乃豆は大眞門の津にて 玉川の渡津に由あるが
大和国 櫛真知命神社 元名 大麻呂井天和神とあるを 古本には大麻等乃知神社とあるも同義にて 埴安池邉にます神かとおほし
とあるを合せ考ふるに
村名の大丸は もと大麻止を大圓など書るよりオホマルと訛り 終に大丸とも書くこととなりし なるべく社地の字を大圓山と云は 古名の遺れるものと思しく かたがた證ありて聞ゆれば之に従う
【原文参照】
天満社(八王子市北野町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)