田中神社(熊谷市三ケ尻)

田中神社(たなかじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載「武蔵国 幡羅郡 田中神社(たなかのかみのやしろ)」の論社です 地名「三ヶ尻(みかじり)」は 古くは「甕尻(みかじり)」で 祭神は甕尻」の祖神として 明治初期頃までは (タケミカジリノミコト)〈別名 建甕槌命との説でした その後 当神社にある要石が 有名な鹿島神宮の要石との付会なのか 現在の祭神は 鹿島神「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」と 天神である少彦名命と天穂日命の3柱となっています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

田中神社(Tanaka Shrine)
(たなかじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

てんじんさま

【鎮座地 (Location) 

埼玉県熊谷市三ヶ尻671

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》武甕槌命(Take mikazuchi no mikoto)
   少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
   天穂日命(Ameno hohi no mikoto)

 『式社考』『神社要録』『大日本史』には
《主》命(Take mikaziri no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

家内安全の神 Guardian deity that makes the family happy
交通安全の神 God praying for traffic safety
学問高揚の神 A guardian deity that uplifts those who want to study

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

鳥居奉献記念

抑抑 武蔵国44座の1社とたたえ奉る 延喜式内 田中神社の御祭神は武甕槌 少名彦名命 天穂日命を奉祭し 土人の古き伝説には 田中天神と呼び 菅原道真公併祀の鎮守にて 家内安全 交通安全 学問高揚の神として氏子の崇敬 今に壮んなり
茲に 御影石の大鳥居を御奉献大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る
右側に埋存せる天然石は 常陸国鹿島の要石と同様の伝説を存す 武蔵国 幡羅 大里 の三郡の彊域を示す境界石として永遠に伝えん

境内石碑より

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【由  (History)】

【文化財探訪 三ヶ尻 ・田中神社】

押切橋の北に見える小さな社叢、そこが田中神社です。田中神社は、平安時代(延長五年:927年)の『延喜式』神名帳に「武蔵国 幡羅郡 田中神社」と記された式内社です。『新編武蔵国風土記稿』には、「水田の中間にあるをもて田中天神といへり」との記述があり、稲作の神様を祀った神社と考えられています。現在は小さな社が建っていますが、江戸時代に当地を訪れた渡辺崋山の実地調査報告書『訪瓺録』には、「古代ハ大社ナルヨシ」と記されており、江戸時代以前は大きな社で参道も長かったことが窺えます。境内には「要石(かなめいし)」(下写真)と呼ばれる石が埋められていますが、これは地震を封じるための石と伝えられています。これまで当地域で大きな地震がなかったのは、この石が守ってくれているのかもしれません。(松田)

発行:熊谷市立江南文化財センター(熊谷市教育委員会 社会教育課 文化財保護係)「BUNKAZAI 情報」第23号
平成30年(2018)9月1日より熊谷BUNKAZAI情報第24号
file:///C:/Users/USER/Downloads/71586_1_%E7%86%8A%E8%B0%B7BUNKAZAI%E6%83%85%E5%A0%B1%E7%AC%AC24%E5%8F%B7.pdf

【境内社 (Other deities within the precincts)】

三峯社〈小さな祠一宇〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)播羅郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 田中神社
[ふ り が な ]たなかの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tanaka no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 田中神社」の3つの論社について

・田中神社(熊谷市三ケ尻)

・三ヶ尻八幡神社(熊谷市三ケ尻)

・知形大神社(深谷市田中)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

秩父鉄道 大麻生駅から西北方面に約1.3km 徒歩18分程度
R140号 彩甲斐街道と県道47号 深谷東松山線の武体西交差点のすぐ南西側に鎮座します 

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かつては 周りに建物がなく まさしく『新編武蔵国風土記稿』にあるように「水田の中間にあるをもて田中天神といへり」でした

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手入れされた生垣の横に 社号標「田中神社」と 白御影石の鳥居が建っています
田中神社(Tanaka Shrine)に参着

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鳥居の扁額には「延喜式内 田中神社」と刻まれています 一礼をして 鳥居をくぐります 参道の両脇には 手入れされたお茶の木が植栽されています
社殿の向きは 北東を向いていて 参道は 東向きに延びています
江戸時代に当地を訪れた渡辺崋山の実地調査報告書『訪瓺録』には「古代ハ大社ナルヨシ」と記されており 江戸時代以前は大きな社で参道も長かったことが窺えます

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大きな石灯籠の先には 玉垣に囲まれた社地があって 再び注連縄の張られた鳥居が建ち その先に社殿の建っています

拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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比較的 小さな神社に感じますが 周りがすべて水田〈畑〉だったので 尚更といった感じでしょうか しかし 確かに 古社としての風格というか御神氣が 社地には漂っているのが感じられます
参道を戻り 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承

大己貴神(オナムチノカミ)の系譜」に 五世孫として「建甕尻命(たけみかじりのみこと)」が登場します 
この神は 式内社 田中神社の祭神ともされ 又の名を 「建甕槌命(たけみかつちのみこと)」と呼ぶと記されています

しかし この神は「」と「」の違いがありますが 鹿島の神「武甕槌命」とは まったく系譜の違う別の神となります

【抜粋意訳】

第4巻「地祇本紀」地祇の系譜大己貴神系譜」の条

五世孫(イツツギノハツコ) 建甕尻命(たけみかじりのみこと)
またの名は 建甕槌命(たけみかつちのみこと)
または 建甕之尾命(たけみかのおのみこと)

この命は 伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫(がかいろひめ)を妻として 一男をお生みになった

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

祭神は 有名な鹿島の神「武甕槌命」ではなく 大己貴命〈大国主命〉の5代孫である (タケミカジリノミコト)と記しています

【意訳】

田中(タナカ)神社

式考 三箇尻郷 宮嶋村 天神宮 大ナムチ命 五代孫 建(タケミカジリノミコト)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承

祭神は 少彦名命(スクナヒコナノミコト)天穂日命(アメノホヒノミコト)を祭れりとあり 天神社と呼ばれているのは 天神である2柱を祀っていることで納得できます 田中天神を式内社の田中神社と比定して 記しています 

 

【意訳】

巻之227 幡羅郡 之2 三ヶ尻村 の条

天神社

水田の中間にあるをもて 田中天神と云えり
延喜式神名帳に 武蔵國 幡羅郡 田中神社は 即ち 当社のことにて
祭神は 少彦名命(スクナヒコナノミコト)天穂日命(アメノホヒノミコト)を祭れりと別當伝へり 外に正しき証拠を知らず

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

祭神を 建(タケミカジリノミコト)と記しています

【意訳】

田中神社

田中は 多奈加と訓ずべし
〇祭神 建(タケミカジリノミコト) 式社考
〇地名記に 祭神 少彦名命 天穂日命と云えるは 信用がたし
〇三箇尻郷 宮島村に在す 地名記 式社考 参考

類社
遠江國 磐田郡 田中神社の條を見合うべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

祭神を 建(タケミカジリノミコト)とし 所在を三ヶ尻村 宮島と記しています

【意訳】

田中神社

祭神 建(タケミカジリノミコト)
祭日 2月18日
社格 村社
所在 三ヶ尻村 字 宮島 (大里郡三ヶ尻村大字三ヶ尻)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

埼玉の神社』〈1986年発行による
田中神社の鎮座地「三ヶ尻」と「境内の要石」について

地名の「三ヶ尻(みかじり)」は 古くは「甕尻(みかじり)」と云い 境内に要石と呼ぶ 地震を鎮める石がある と記されています

明治初期頃までは 祭神は 天神である少彦名命と天穂日命の2柱 もしくは甕尻(みかじり)」の祖神として (タケミカジリノミコト)〈別名を 建甕槌命(タケミカヅチノミコト)〉との説でした

その後 鹿島神宮の要石が 有名なので 当神社の要石との付会なのか 現在の祭神は 鹿島の神「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」となっています
従来の 建甕槌命(タケミカヅチノミコト)とは別の神です

田中神社(熊谷市三ヶ尻六七一(三ヶ尻字社裏))

古代の三ヶ尻は、荒川の川筋に当たっていたため、上流からの土砂の流入による肥沃な土地であった。このため、早い時期から稲作が行われていたと思われ、地名の三ヶ尻もこれに関係し、古くは甕尻と書いていた。これは、地内にある狭山と呼ぶ山が、春と秋に田の神を祀るための酒を醸す大甕を伏せた形に似ているところからきたものという。また、当地には三ヶ尻古墳群があり、ここから有力な地方豪族の存在をうかがわせる銀象嵌の施された太刀が出土している。
当社は式内社であると伝え、『風土記稿』は水田の中にあるところから田中天神と称し、『延喜式』神名帳に、武蔵国幡羅郡田中神社とあるのは当社のことである。祭神は少彦名命と天穂日命であり、別当は新義真言宗の延命寺である、と載せている。
当社の境内に要石と呼ぶ石があり、地震を鎮めるという。この石は神の宿る石、すなわち磐座であろう。古代には、今日のように社殿に神を不断に祀るのではなく、祭りの時のみ岩や木に神の降臨を仰ぐものであった。当社の古い姿は、この要石にあると考えられる。また、天神の呼称も天つ神の天神で、菅公信仰よりも古いものである。
当社は、現在は小さな社であるが、渡辺崋山の『訪録』にも「古代ハ大社ナルヨシ」とあるように、昔は大きな社で参道も八〇〇メートルほど離れた庚申塚付近まであったという。

埼玉の神社埼玉県神社庁神社調査団 編 埼玉県神社庁1986年発行より

田中神社(Tanaka Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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