瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきらのならびのみや)は 二つの内宮の別宮が並列して鎮座します 御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あり゛大神の遥宮(とおのみや)゛として大きな信仰を集めます 倭姫命の創建で 元伊勢とも伝えられ 内宮を連想させる神域内の樹齢数百年を越える杉の木立の参道と谷水の流れる御手洗場は太古の信仰へと誘います
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
・瀧原宮 (Takihara no miya)
・瀧原竝宮(Takihara no narabi no miya)
【通称名(Common name)】
遥宮(とおのみや)
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡大紀町滝原872
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
・瀧原宮 《主》天照坐皇大御神御魂(あまてらします すめおほみかみのみたま)
・瀧原竝宮《主》天照坐皇大御神御魂(あまてらします すめおほみかみのみたま)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
御由緒
瀧原宮(たきはらのみや)は、皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮 ないくう)の別宮(べつぐう)で、天照坐皇大御神御魂(あまてらします すめおおみかみのみたま)をおまつりしています。
皇大御神(すめおおみかみ)は、第十代 崇神天皇(すじんてんのう)の御代(みよ)に大和(やまと)(奈良県)の皇居(こうきょ)をお出になられ、大宮地(おおみやどころ)を求めて近畿周辺各地をお巡りになられました。
ついで第十一代 垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)が、御杖代(みつえしろ)(御使い)として皇大御神を奉戴(ほうたい)して、宮川(みやがわ)下流から上流へと御鎮座(ごちんざ)の地を求めてお進みになられ、この地に新宮(にいみや)を建てられたのが起源です。
そののち皇大御神の御真意(ごしんい)によって、再び伊勢の方へ向かわれましたが、この御由緒(ごゆいしょ)により皇大御神の御魂をおまつりして今日に至っています。
なお、二十年に一度の式年遷宮は、皇大神宮の翌年に斎行(さいこう)されます。
神宮司庁(じんぐうしちょう)(瀧原宮)
【由 緒 (History)】
瀧原宮(たきはらのみや)瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)
御祭神
瀧原宮 天照坐皇大御神御魂(あまてらします すめおおみかみのみたま)
瀧原竝宮 天照坐皇大御神御魂(あまてらします すめおおみかみのみたま)
瀧原宮、瀧原竝宮とも天照坐皇大御神御魂をお祭りしています。天照大神は、国の内に隈(くま)無く光が照り徹ると称えられる、日本人の大御祖神(おおみおやがみ)です。その御魂をこのように二宮に並べてお祭りするのは、皇大神宮(こうたいじんぐう)に天照大神を、同別宮荒祭宮に天照大神の荒御魂(あらみたま)を奉祀する姿の古い形といわれています。
江戸後期編纂(へんさん)の『大神宮儀式解(だいじんぐうぎしきかい)』に、 竝宮について「瀧原宮は本宮 (皇大神宮)の御霊(みたま)を拝奉(おろがみまつ)るなり。その瀧原宮の御神の荒御魂をまつる欺(か)」とあるように、天照大神の荒御魂とも考えられているのです。
ご鎮座の由緒と歴史
瀧原宮、瀧原竝宮のご鎮座の由緒は大変古く、『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』によると、約二千年前まで遡れます。第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が御杖代(みつえしろ)として天照大神を奉戴(ほうたい)し、ご鎮座の地を求めて、宮川下流の磯宮(いそのみや)をお発(た)ちになりこの地においでになると、「大河之瀧原之国(おおかわのたきはらのくに)」という麗しい土地があり、この地に宮殿を造立されたのが起源とされます。このとき、宮川の急流に困られたご一行を、真奈胡神(まなごのかみ)がお出迎えしてお渡し申し上げたため、倭姫命はその場所に真奈胡神をお祭りする御瀬社(みせのやしろ)をお定めになりました。これが現在の皇大神宮摂社(せっしゃ)多岐原神社(たきはらじんじゃ)で、瀧原宮から道なりに約六キロメートル北方、大紀町三瀬(みせ)川の宮川を望む崖の上にご鎮座されており、その地には近年まで熊野街道の「三瀬(みせ)の渡し」がありました。
瀧原宮は延暦二十三年 (八〇四 )に編集された『皇太神宮儀式帳(ぎしきちょう)』には「天照大神遙宮(あまてらすおおみかみのとおのみや)」、『延喜式』に「大神遙宮(おおみかみのとおのみや)」「伊勢と志摩との境の山中、大神宮西を去る九十里」とあり、奈良時代の編集を伝える『伊勢国風土記逸文(ふどきいつぶん)』には「瀧原神宮」と記されているなど、その由緒の深さがうかがわれます。
瀧原竝宮のはじまりについては不明な点が多く、種々の解釈がなされていますが、平安中期には瀧原宮同様式年遷宮の制度が定まっていたと思われます。神宮司庁(じんぐうしちょう)(瀧原宮パンフレットより)
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・瀧原宮(たきはらのみや)
・瀧原竝宮(たきらのならびのみや)
・御船倉(みふなぐら)〈瀧原竝宮の向かって左側〉
「御船殿(みふなどの)」とも呼ばれ『儀式帳』にも「御船殿一宇」とあり 古くから存在する建物
ご神体を覆う御樋代(みひしろ)をお納めする「御船代(みふなしろ)」を収納する倉とされていますが 古代以来の宮川の水上交通を象徴するという説もあります
御船倉は現在 正宮はじめ他の宮社には存在せず 瀧原宮のみにあり 式年遷宮の度 他の殿舎とともに造営されています
・古殿地(こでんち)
社殿の隣の敷地 古殿地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所が 次の式年遷宮を待つように休んでいます〉
古殿地の奥には 心御柱(しんのみはしら)が立つ処に 覆屋の小さな社が二つ〈瀧原宮・瀧原竝宮〉が並んでいます
・若宮神社(わかみやじんじゃ)〈滝原宮の所管社〉
《主》若宮神
古来 御祭神は詳らかでなく 天水分神(あめのみくまりのかみ)との伝説が残ります
・長由介神社(ながゆけじんじゃ)《主》長由介神〈滝原宮の所管社〉
・川島神社(長由介神社 御同座)《主》川島神〈滝原宮の所管社〉
御敷地の東端に西面して立つ所管社 同じく所管社 川島神社が同座されています
両社ともきわめて古い由緒とされていますが 詳細は不明となっています
・樹齢数百年を越える杉の木立の参道
・祓所(はらえところ)
・忌火屋殿(いみびやでん)
忌火とは清浄な火という意味で 御火鑽具(ひきりぐ)を用いて昔ながらの方法で火を起こし神様のお供えを作るところ
・宿衛屋(しゅくえいや)
お札やお守・御朱印などの授与所
・御手洗場(みたらし)
・社頭〈社号標・鳥居〉
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・多岐原神社(たきはらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉
多岐原神社は 土地の神〈真奈胡神(まなこのかみ)〉が倭姫命を助けたとされ 倭姫命が定め祀った神社
延喜式内社 伊勢國 度會郡 多伎原神社(たきはらの かみのやしろ)です
・多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
瀧原宮は 皇大神宮(内宮)の域外にある別宮です
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
伊勢大神宮の別宮〈荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮〉の神宮内人五人に初めて把笏(はしゃく)が預ったこと が記されています
※参考として 『太神宮諸雑事記』によれば 天平神護二年(766)に伊勢大神宮の禰宜(ねぎ)が把笏を許されています〈禰宜より身分の上位者は それ以前〉
【抜粋意訳】
卷九 天安元年(八五七)九月壬寅〈八日〉
○壬寅
在
加賀國 正六位上 治田 若御子神 授從五位下
伊勢國 荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮等 神宮内人五人 始預把笏
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所
座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、
前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社 右諸社,並預祈年、神嘗祭。以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社 名称 ] 滝原宮(大月次新嘗)
[ふ り が な ](たきはらのみや)
[Old Shrine name](Takihara no miya)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・内宮の別宮・摂社・末社について
・お伊勢さん125社について
内宮 別宮(べつぐう)10宮
別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味
神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます
①荒祭宮(あらまつりのみや)〈内宮域内の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 荒祭宮(大 月次 新嘗)(あらまつりのみや)
・荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》天照大御神荒御魂
②月讀宮(つきよみのみや)(伊勢市中村町)〈内宮域外の別宮〉
③月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)
・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》⽉読尊
・⽉讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》⽉読尊荒御魂
④伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
⑤伊佐奈彌宮(いざなみのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗)(いさなきのみや ふたくら)
・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》伊弉諾尊
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》伊弉冉尊
⑥瀧原宮(たきはらのみや)(度会郡大紀町)〈内宮域外の別宮〉
⑦瀧原竝宮(たきはらならびのみや)〈内宮域外の別宮(瀧原宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 瀧原宮(大 月次 新嘗)(たきはらのみや)
・瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》天照大御神御魂
⑧伊雑宮(いざわのみや)(志摩市磯部町上之郷)〈内宮域外の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 答志郡 粟嶋坐伊射波神社二座(貞・並大)(あはしまのます いさはの かみのやしろ ふたくら)
・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮
《主》天照大御神御魂
⑨風日祈宮(かざひのみのみや)〈内宮域内の別宮〉
・風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》級長津彦命 級長戸辺命
⑩倭姫宮(やまとひめのみや)(伊勢市楠部町)〈内宮域外の別宮〉
・倭姫宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》倭姫命
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR紀勢本線 滝原駅〈運行本数は少ない〉から社頭まで 約1.7km 車5分程度
R42号の゛滝原宮前交差点゛を曲がると白い鳥居があり 瀧原宮まで600mとあります
瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉に参着
一礼をして鳥居をくぐり 参道を進みます
御手洗場(みたらし)の案内板があります
頓登川(とんどがわ)に 御手洗場があり そこまで谷を下りて行きます
内宮の五十鈴川の御手洗場は ここにとても似ています こちらが前宮ですので こちらをコピーしたのでしょうか
川底が見通せる透明度で 水は冷たく澄み 口も清めることができます
参道から少し入った所にある建屋は何だったのだろうか? 未確認
参道には 杉の古木があり これも内宮のようです
森が途切れた地に白と黒の玉石が整然と敷き詰められた古殿地の前にでました
それぞれに白木鳥居が建ち 玉垣を巡らした瀧原宮・瀧原竝宮の二宮が並んで鎮座 向かって右に瀧原宮 手前〈向かって左〉が瀧原竝宮です
参拝の順が立札に示されています 瀧原宮と瀧原竝宮の順序
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
瀧原宮
瀧原竝宮
若宮神社
長由介神社 御同座 川島神社
若宮神社は 少し高い所にあり 上から見た瀧原宮と瀧原竝宮
瀧原竝宮の向かって左に゛御船倉(みふなぐら)゛古殿地の向かって右です
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 瀧原宮 大月次新嘗について 所在は瀧原村 今野尻と云〈現 瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉とし
祭神は 速秋津彦命であると記しています
式外神 瀧原並宮は 大神宮別宮であり 祭神は 速秋津姫命であると記しています
【抜粋意訳】
瀧原宮 大月次新嘗
瀧原は 多伎波良ど訓べし
○祭神 速秋津彦命
○伊勢志摩両國堺 瀧原村 今野尻と云 に在す○儀式帳云、称天照大神遥宮之、御形鏡坐、
神名略記云、在ニ伊勢與志摩境山中瀧原村、今云野尻、去大神宮西九十里、此里数は太神宮式に依て記せり、今の里数は古と違へり類社
当郡 多伎原神社杷笏
文徳実録、天安元年九月壬寅、伊勢國 瀧原神宮内人始預杷笏附録 式外神 大神宮別宮 瀧原並宮
祭神 速秋津姫命
〇瀧原宮地内西の方に在す、神名略記
〇倭姫世紀云、並宮一座、霊御形鏡坐、速秋津日古神、速秋津比賣神是也、
右、式内 荒祭宮、瀧原宮、伊佐奈岐宮、月讀宮、志摩國 伊雑宮等五社に、當社を加へて六所は、大神宮式に載する内宮の別宮也
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 瀧原宮 大月次新嘗について 所在は滝原村大字野後〈現 瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉とし
祭神は 天照大神遙宮であると記しています
【抜粋意訳】
瀧原宮 大月次新嘗
祭神 天照大神遙宮
祭日 祈年 二月無定日 月次 六月十二月二十三日 神甞 九月二十三日
社格 内宮所攝 別宮七所之一
所在 三重縣度會河上野尻村(度會郡滝原村大字野後)
【原文参照】
瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)