高屋安倍神社(若櫻神社の西殿)

高屋安倍神社(たかやあべじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の古社です 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)本殿あり 元々は 若櫻神社鎮座地です 高屋安部神社は安倍松本山(安倍文殊院の東)から 近世(18世紀以前)に山崩れがあり社殿が大破した為 ちらに遷座したと伝わります 阿部氏に所縁の祭神を祀ります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高屋安倍神社Takayaabe Shrine)
(たかやあべじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県桜井市谷344(若櫻神社の西殿)

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

東殿 若櫻神社

《主》伊波我加利命Iwakagari no mikoto)
《合》神倭磐余比古命Kamu yamato iwarehiko no mikoto)

若櫻神社(桜井市谷)記事をご覧ください

西殿 高屋安倍神

合祀(It is enshrined together)

《主》屋主彦太思心命Yanushihiko futoshitama no mikoto)
   大彦命Ohiko no mikoto)
   産屋主思命Ubuyanushi omohi no kami)

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

国家安泰 Wishing for the security and peace of this country
・商売繁盛 Pray to God that the business will flourish
家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・入学安全 Pray for admission to school

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社 名神大

【創  (Beginning of history)】

創建不詳

但し 857年には 国史『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』に 神階授与の記録あり

意訳
天安
(テンアン)元年(857)8月 庚辰の条
大和国(ヤマトノクニ)る 
従五位下(ジュウゴイノシタ) 高屋安倍神(タカヤアヘノカミ)
従五位上(ジュウゴイノウエ)を授(サズ)

【由  (History)】

・由緒不詳

『五畿内志(Gokinaishi)』享保14年(1729~1734)『大和志』には
父老
昔 桜井谷(ムラ)管内安倍松本山に在り 近く若桜神社の傍らに移る 今尚(イマナオ)高屋明神(タカヤミョウジン)と称す

『大和志料(Yamato shiryo)』大正3年(1914)には
当社 (イニシ) 安倍の松本山の東にありしを 近世 桜井谷村 稚桜社地に遷し祭る と云

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前全国の官社(式内社)一覧表で「2861の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

東殿 若櫻神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座
(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城上郡 35座(大15座・小20座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 若櫻神社
[ふ り が な ]わかさくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Wakasakura no kamino yashiro) 

西殿 高屋安倍神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座
(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城上郡 35座(大15座・小20座)
[名神大 大 小] 式内名神大

[旧 神社 名称 ] 高屋安倍神社 三座(延・並名神大 月次新嘗)
[ふ り が な ]たかやあへの かみのやしろ)
         (さんざ ならびに みょうじんだい つきなめにいなめ)

[Old Shrine name](takayaahe no kamino yashiro)
         (sanza narabini myojindai tsukinameniiname)
 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

阿部(アベウジ)発祥の地 阿部一族の本拠地」と言われる「現住所 奈良県桜井市 阿倍(アべ)」

当神社「高屋安倍神社Takayaabe Shrine)」が 現在の若櫻神社(桜井市谷)に遷座してくる前の社地 鎮座地とされている「安倍の松本山(安倍文殊院の東)」がある一帯「現住所 奈良県桜井市 阿倍(アべ)」は 「安倍一族の発祥の地阿部一族の本拠地とされています

中でも有名なのが
「安倍山(アベサン)崇敬寺(スウケイジ)文殊院(モンジュイン)
別称「安倍文殊院(アベモンジュイン)」です

645年大化の改新(タイカノカイシン)」で 左大臣となる「安倍倉梯麻呂(アベノクラハシマロにより建立されました

奈良時代の遣唐使安倍仲麻呂(アベノナカマロ)や平安時代の陰陽師安倍晴明(アベノセイメイ)が出生した寺院としても知られ「大和安倍の文殊さん」として親しまれています

全国の・阿部・安倍(あべ)さん の祖神を祀ります

『日本書紀(nihon shoki)』にも
阿倍臣(アベノオミ)・阿閉臣(アヘノオミ)・伊賀臣(イガノオミ)などの祖神(オヤガミ)として 御祭神の大彦命(オオヒコノミコト)が 記されています

下記『日本書紀(nihon shoki)』養老4年(720)に記される伝承 を参照

伊賀(イガ)の国 には 「阿拝(アへ)の郡(コオリ)」があり 
敢國神社Aekuni Shrine)伊賀国一之宮Iga no kuni ichinomiya)〉が鎮座します

敢國神社のHPには 次のようにあります

当社の主神である大彦命は、350年頃第8代孝元天皇の長子として大和の国に生まれ、大和朝廷創建期の武人と云われています。

又、その子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸・東海を征討する役目を負われ
「四道将軍」のお一人として第10代崇神(すじん)天皇の詔により日本の東目の攻略を果たされた後、大彦命率いる一族は伊賀の国にお住みになり、その子孫は伊賀の国中広がっていきました。

伊賀の国の阿拝(あえ)郡(現在の阿山郡は阿拝郡と山田郡が合併してできたもの)を中心に居住した為、阿拝(あえ)氏を名乗るようになり、
後に 敢・阿閉・阿部・安倍と呼ばれるようになりました
「あえ」とは、「あべ」の原音であり、あべ姓の総祖神でもあると共に 伊賀にお住まいの方の祖神でもあります。

敢國神社(伊賀市)の記事をご覧ください

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

若櫻神社(桜井市谷)記事をご覧ください

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(nihon shoki)』養老4年(720)に記される伝承

阿倍臣(アベノオミ)・阿閉臣(アヘノオミ)・伊賀臣(イガノオミ)などの祖神(オヤガミ)として
 第8代 孝元天皇(コウゲンテンノウ)〈BC214~bc 158年頃〉の第一皇子 祭神の大彦命(オオヒコノミコト)が 記されています

意訳

第8代 孝元天皇(コウゲンテンノウ)〈BC214~bc 158年頃〉の条

即位7 22
欝色謎命(ウシコメノミコト)を皇后と立てました 后は二柱の男(ヒコミコ)と一柱の女(ヒメミコ)を生まれた

第一子は 大彦命(オオヒコノミコト)と云う
第二子は 稚日本根子彦大日々天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)〈第9代開化天皇〉と申す
第三子は 倭迹々姫命(ヤマトトトヒメノミコト)です
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

大彦命(オオヒコノミコト)は これ
阿倍臣(アへノオミ)
・膳臣(カシワデノオミ)
・阿閉臣(アヘノオミ)
・狹々城山君(ササキノヤマノキミ)
・筑紫国造(チクシノクニノミヤツコ)
・越国造(エツノクニノミヤツコ)
・伊賀臣(イガノオミ)
などの七族の始祖です

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

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『万葉集(Manyo shu)』7世紀前半~759年頃 に詠まれる歌

『日本書紀(nihon shoki)』の編纂総裁宮であった天武天皇(テンムテンノウ)第三子舎人皇子(トネリノミコ)」〈舎人親王(トネリシンノウ〉の御歌です

 歌中の「高屋(タカヤ)」が 内社「大和国 城上郡 高屋安倍神社比定されて その地なるべし と古義は記しています

9巻 1706 舎人皇子の御歌一首

[訓読] ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手の 
    高屋(タカヤ)の上に たなびくまでに

[意訳] 夜霧がたちこめている 高屋(タカヤ)の上にたなびいて
    あたりを包み隠すほど 霧は深くたちこめる

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』元慶3年(879年)完成 に記される伝承

高屋安倍神(タカヤ アヘ ノ カミ) 神階授与記されます

・天安(テンアン)元年(857)8月 庚辰の条

意訳

大和国(ヤマトノクニ)る 
従五位下(ジュウゴイノシタ) 高屋安倍神(タカヤアヘノカミ)
従五位上(ジュウゴイノウエ)を授(サズ)

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・天安(テンアン)2年(858)4 戊申の条

意訳

大和国(ヤマトノクニ)る 
従五位上(ジュウゴイノウエ)高屋安倍神(タカヤアヘノカミ)
従四位下(ジュウヨンイノシタ)を授(サズ)

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【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝〉に記される伝承

高屋安倍神(タカヤ アヘ ノ カミ) 神階(ホウゾウ)記されます

意訳

・天慶3年(940)9月丙寅の条

四位下(ショウヨンイノシタ)高屋安倍神(タカヤアヘノカミ)
並び 正三位(ショウサンイ)を奉(ホウゾウ)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用

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『五畿内志(Gokinaishi)』享保14年(1729~1734)編纂に記される伝承

江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされる『五畿内志(Gokinaishi)』
※著者の並河 誠所(Namikawa seisho)〈江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者〉は『五畿内志』を編纂する調査の過程で『畿内』の数々の延喜式式内社の比定も行こないました

『大和志』十市(トヲチノ)郡 神廟の条 には 所属する郡(コオリ)について
 延喜式の頃は 城上(シキノカミノ)であったが 江戸期には十市(トヲチノ)郡に属していた様子が記されています

意訳

『大和志』十市郡の条 神廟に

若櫻神社 
桜井谷邑(ムラ)に 今 白山権現(ハクサンゴンゲン)と

高屋安倍神社  三座 並大 月次新嘗

父老
  桜井谷(ムラ)管内安倍松本山に在り 近く若桜神社の傍らに移る 今尚(イマナオ)高屋明神(タカヤミョウジン)と称す

等彌等彌神社〉若櫻〈若櫻神社〉安倍〈高屋安倍神社〉式に所載在り

 城上郡 蓋し(ケダシ)〈考えてみるのに
 十市(トヲチノ)城上(シキノカミノ)2郡(コオリ)は
 犬牙相雑す隣りあう2の領土が犬のきばのように入り組くんで接していて雑然としている〉 
故に 境界は不明で ちなみに安倍山の背地は 当初はトミと察す

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『五畿内志』著 並河永 著 編纂 享保14年(1729)[他] 出版 昭和4(1929年)日本古典全集刊行会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179429『五畿内志』1 『五畿内志』2

『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

延喜式に「名神祭式」に所載の名神大社とし 神階の授与を記し
大彦命(オオヒコノミコト)が 阿倍臣(アへノオミ)の祖(オヤ)である

高屋安倍神社は 元は松本山の東に在ったが 谷村(タニムラ)に移ったと記されています

意訳

高屋安倍(タカヤアヘノ)神社 三座 並大 月次新嘗

信友〈伴信友〉云う 一本及(名神祭式)に並ぶ 名神とあり

文実『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』

天安2年(858)4 戊申の条 大和国(ヤマトノクニ)る 
従五位上(ジュウゴイノウエ)高屋安倍神(タカヤアヘノカミ)
従四位下(ジュウヨンイノシタ)を授(サズ) 」

書紀『日本書紀(nihon shoki)』
第8代 孝元天皇(コウゲンテンノウ)〈BC214~bc 158年頃〉の条

即位7 22
欝色謎命(ウシコメノミコト)を皇后と立てました 后は二柱の男(ヒコミコ)と一柱の女(ヒメミコ)を生まれた
第一子は 大彦命(オオヒコノミコト)と云う・阿倍臣(アへノオミ)の祖(オヤ)なり」

高治明神(タカチミョウジン)
 松本山の東に在ったが  る 谷村(タニムラ)に移った 又 安倍山に一町 許(バカリ)膳部村(カシワデベノムラ)の西に在り

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『大和志料(Yamato shiryo)』大正3年(1914)に記される伝承

所属する郡(コオリ)について
延喜式の頃は 城上(シキノカミノ)であったが 郡の境界線が変遷して 現在〈大正3年(1914) 十市(トヲチノ)郡に属していると記され 

祭神については 大彦命(オオヒコノミコト)が本筋であるが
別説として『高屋安倍神社三座 建沼河別命(タケヌナカワワケ)・高橋丸(タカハシマル)・兄姫(エヒメ)を祭る これ阿部氏 也』紹介しています

意訳

高家阿部(タカへアベ)神社

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)

城上郡 高屋安倍神社 三座 並 名神 大 月次新嘗)」と見え
もと城上郡の分内であったが 後に 郡境の変遷によって 本郡(十市(トヲチ))に属す

祭神

土御門家譜に
「孝元天皇の皇子 大彦命(オオヒコノミコト)後胤 倉橋麻呂(クラハシマロ)の一名〈別名〉を (ウチ)麻呂〈阿倍内 麻呂(アベノウチマロ〉で 高屋明神(タカヤミョウジン)と称す


大和国陳述名鑑図に
山の半腹に社殿を描き 
これに『高屋安倍神社三座 建沼河別命(タケヌナカワワケ)・高橋丸(タカハシマル)・兄姫(エヒメ)を祭る これ阿部氏 也』と記せり

建沼河別命(タケヌナカワワケ) 大彦命(オオヒコノミコト)の子にして 阿部氏(アべノウジ)の祖(オヤ)なり

高橋丸は 安倍倉橋麻呂(アベノクラハシマロ)の誤伝と聞ゆれば 陳述名鑑図の説 これに似たり

当社 (イニシ) 安倍の松本山の東にありしを 近世 桜井谷村 稚桜社地に遷し祭ると云

(註)神社明細帳に 
指定村社 若櫻神社 十市郡谷村字西浦の境内神社「高屋阿部神社」
祭神 屋主彦太思心命Yanushihiko futoshitama no mikoto)
    大彦命Ohiko no mikoto)
    産屋主思命Ubuyanushi omohi no kami)

由緒不詳あり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813『大和志料』1 『大和志料』2

高屋安倍神社Takayaabe Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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若櫻神社(桜井市谷)記事をご覧ください

敢國神社(伊賀市)の記事をご覧ください

大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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