別表神社

住吉神社(壱岐市芦辺町住吉東触)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 社伝によれば 神功皇后が住吉神の護神により三韓を征伐し 凱旋の時〈郷ノ浦に上陸 足形を石面に残した時〉住吉三神を祀られたと云う 後に 住吉神の神託により「波の音の聞こえぬ地」をお選びになり 現在地に遷座したと云う 式内社 住吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)で 住吉神社 発祥の地と伝えています

香取神宮(香取市)下總國一之宮

香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です

速谷神社(廿日市市上平良)

速谷神社(はやたにじんじゃ)は 正史上に初見するのは古く『日本後紀』弘仁2年(811)7月 速谷神〈速谷神社〉と伊都岐嶋神〈厳島神社〉が名神例に預かったと記されます 古代 神祇官〈朝廷〉から毎年四度の幣帛を受ける官幣大社で 安藝一之宮でしたが 厳島神社が平安末期から平氏〈平清盛公〉に崇敬されるにつれて 衰頽し 安芸国二之宮と称されるようになっていったとされます

春日大社(奈良市春日野町)

春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命〈下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社〉・比売神〈河内国 枚岡神社〉を併せ 御蓋山(みかさやま)麓に四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています

冨士御室浅間神社 本宮 里宮(富士河口湖町勝山)

冨士御室浅間神社 本宮 里宮(ふじおむろせんげんじんしゃ)は 朱鳥14年(699)本宮(もとみや)が富士山二合目に奉斉され山中に祀られた最古の社と云われます その後722年 雨屋を建立 807年 坂上田村麿が戦捷祈願に社殿を創建し 958年 現在の河口湖畔に里宮(さとみや)が建立 二合目の本宮と 土地の産土神の里宮が 一体となって機能してきた特徴的な神社です

北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市上吉田)

北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は 第12代 景行天皇40年(110)日本武尊が東征の時 当地御通過に際し「大塚丘(おおつかおか)」に富士の神霊を拝されたのが創祀 その後 ...

枚岡神社(東大阪市出雲井町)

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は 初代神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じて 天児屋根命・比売御神の二神を霊地・神津嶽に祀り創建 その後 白雉元年(六五〇)現在の場所に奉還 神護景雲二年(七六八)には 天児屋根命・比売御神の二神が 春日大社に分祀されたので「元春日」と呼ばれます その後 経津主命・武甕槌命の二神が増祀され現在の四殿となりました

富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります

富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は 第7代 孝霊天皇の時 富士山の噴火で国内が荒れ果てた この山霊を鎮祭する為 第11代 垂仁天皇が 浅間大神を山足の地に祀ったのが創祀 第12代 景行天皇の時には 日本武尊が 山宮の地に大神を祀り 大同元年(806)には 坂上田村麿が勅命に依り 社殿を現在の大宮の地に造営し 神霊を遷座した東海最古の名社です

田村神社(高松市一宮町)

田村神社(たむらじんじゃ)は 社記によれば 古くは 定水井(さだみずのい)という深淵に水神〈龍神〉を祀っていた 和銅二年(709)に行基によって その深淵の上に社殿が創建されたと伝わります 讃岐地方は 雨が少なく農耕には溜池を必要とする地域で この地に枯れることなく湧き出る水は 信仰と祭祀の根源に繋がったとされます

大山祇神社(今治市大三島町)

大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は 社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称し 歴代朝廷の尊崇篤く 延喜式には名神大社に列し 伊予国一之宮に定められ 全国津々浦々に御分社が奉斎される四国唯一の大社です 創建は 神武天皇御東征のみぎり 祭神の子孫 乎知命(おちのみこと)が 瀬戸内海 芸予海峡の要衝 御島(大三島)に鎮祭したことに始まるとされます 

吉備津神社(福山市新市町)〈備後一宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 神秘的な正中光〈ご神体〈御鏡〉が朝日を反射して 参道の正中を貫く現象〉が 年に二度〈2月と9月〉おこります 創建は 大同元年(806年)と古く 備後國一之宮として 一宮(いっきゅう)さんと呼ばれ親しまれています

吉備津彦神社(岡山市備前一宮)

吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は 備前国一之宮で 備前国と備中国の境界ある吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して坐ます 太古の太陽信仰の形を留める場とされ 夏至の日に正面鳥居から差し込んだ朝陽が 祭文殿の御鏡に入る造りで 太陽を真正面から迎え鎮座するので朝日の宮(あさひのみや)とも称されます

吉備津神社(岡山市北区吉備津)〈備中国一之宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 社伝によれば 第十六代 仁徳天皇が吉備国に行幸された時 ゛大吉備津彦命〈第七代 孝霊天皇の皇子〉゛(第十代 崇神天皇の御代に吉備国に下られ 鬼の温羅(うら)を平らげた)を祭神として御創建になられたと云う 後に延喜式では 名神大社に列し やがて最高位の一品の位になり 一品吉備津宮ともいう

高千穂神社(高千穂町三田井字神殿)

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は 垂仁天皇の御世 創建と伝わり 高智保皇神(たかちほのすめかみ)として 六国史『続日本後記』『三代実録』に記述がある国史見在社ともされます 天慶年問(938~947年)豊後国の豪族 大神惟基の子・政次が 高知尾(高千穂)氏を興し 十社大明神を高千穂18郷(高千穂八十八社)の総社として崇め 広く郷民の信仰を集めたといいます

柞原八幡宮(大分市上八幡三組)

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は 天長四年(827)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り 柞原山に勧請したのを 当宮の創設起源とします その後も 国司の厚い崇敬を受け 一方 皇室も厚く尊崇せられた豊後国一之宮とされます

出石神社(豊岡市出石町)〈式内社 伊豆志坐神社 八座(並名神大)・但馬國一之宮〉

出石神社(いずしじんじゃ)は 祭神は出石八前大神〈天之日矛が将来し 出石神社に安置した八種の神宝の神格化〉・天日槍命(あめのひぼこのみこと)です 社伝には 天日槍命が日本に渡来後 泥水が充満する当時の但馬の有様を御覧になり 円山川河口の岩石を切り開き泥水を日本海へと流し 現在の肥沃な平野を造られたとの伝承があります

阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)

阿蘇神社(あそじんじゃ)は 社伝によれば 第7代 孝霊天皇九年(西暦前280年)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)〈初代 阿蘇国造〉が 阿蘇宮を創建と傳う 神職家の阿蘇大宮司家は連綿として九十一代現宮司に至る日本屈指の名家です

氣比神宮(敦賀市曙町)

氣比神宮(けひじんぐう)は 太古 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)〈氣比大神〉1柱を祀りましたが 大宝2年(702)文武天皇の勅命で 仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され七柱の御祭神となりました 延喜式には「祭神七座並 名神大社」とあります

高良大社(久留米市御井町)

高良大社(こうらたいしゃ)は 久留米の高良山に鎮座し 社殿は北東を向いて祀られ そのはるか先を望めば 玄界灘を渡り 壱岐と対馬を向いて 大陸へと通じています 御祭神 高良玉垂命は 朝廷から正一位を賜る程の神ですが 記紀には記されぬ隠神で 古くから諸説あり正体は不明 かつて武内宿禰命とする説が有力でしたが 明治以降は特に比定はなく 謎の神とされます

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