島根県

佐久多神社(宍道町上来待)

佐久多神社(さくたじんじゃ)は 出雲國風土記に所載の「佐久多社(さくた)のやしろ」が2社あり 双方の論社とされています 延喜式神名帳では・佐久多神社 さくたのかみのやしろ と合祀の「同社坐韓国伊太弖神社 おなじきやしろにます からくにいたて の かみのやしろ」が該当します

鷹日神社(松江市)

鷹日神社(たかひじんじゃ)は 延喜式に鷹日神社 出雲風土記に多加比社とあり 古文書に天智天皇の7年(白雉7年 西661)9月11日 天照大神の御神霊をお祀りになった とされます

意多伎神社(安来市飯生町)

意多伎神社(おたきじんじゃ)は 遠く神代の創建と伝わり 古く由緒ある歴史を持ちます 『出雲國風土記(733年)』に所載される4つの社の論社①意陀支社➁御譯神社〈意多伎神社に合祀〉➂食師社〈意多伎神社に合祀〉④食師神〈意多伎神社の境内社 稲荷神社〉が祀られています

勝日神社〈富田八幡宮 境内社〉& 富田八幡宮

勝日神社〈富田八幡宮 境内社〉は 古くは富田月山 頂上の勝日高守神社の里宮として山腹に鎮座していました〈『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』にも『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』にも記載されて由緒も古く〉その後 富田八幡宮 境内社となり 現在に至ります

和気能酢神社(隠岐 隠岐の島町下西)

和気能酢神社(わけのすじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社です 酒造りに関連した神社のようで『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)国内神名帳〉には 従1位 和氣能酒大明神とあり 松尾神社(まつのおさん)とも呼ばれていました

比奈麻治比賣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)

比奈麻治比売命神社(ひなまちひめのみことじんじゃ)は 旧鎮座地の西ノ島町の北東端の『済』という地から昭和3年(1928)に現在地に遷座します 六国史の『日本後紀』延暦18年(799)5月の條に 渤海国から我国の遣渤海使(ケンボッカイシ)らが 海を渡り帰国の途 海中の夜闇の中で迷うと 遠くに火光が見え これを目指して嶋の浜に無事に着く 暗夜の航海を火光で助けた比奈麻治比売命の霊験であると官社にして頂きたいと上奏が記されています

宇受賀命神社(隠岐 海士町宇受賀)

宇受賀命神社(うつかみことじんじゃ)は 中ノ島〈海士町〉に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 島内の伝説によれば 御祭神の宇受賀命は 隣島の西ノ島の大山神社の御祭神と 姫神〈西ノ島・宇賀地区の比奈麻治比賣命神社の御祭神 比奈麻治比賣(ヒナマチヒメノ)命〉との結婚をめぐって争い これに勝利した神と伝わります

焼火神社(隠岐 西ノ島町美田)

焼火神社(たくひじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社の参考論社ですが むしろ式外社と考えられています 島前(とうぜん)の西ノ島の最高峰である焼火山(たくひやま)は 隠岐の島前カルデラを生み出した火山島の中央火口丘の名残りです 約600万年前に現在の島の原型が造り出されました 隠岐を創り出した源を神体として祀る神社です

水祖神社(隠岐 隠岐の島町城北町)

水祖神社(みおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社の参考論社とされています 洪水で当神社が流れて祀られたのが 八尾川の河口近く天神原に鎮座する水祖神社との伝承があり 或いは 当神社が天神原からの分祀であるとの説もあるようです

水祖神社(隠岐 隠岐の島町港町)

水祖神社(みずそじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社です 大昔 八尾川上流沿いにあった小さな祠が洪水で流れ着き これが合祀されている天満宮とのこと 隠岐の島町に住んでいる人の大半は この神社を天神さんと呼び慣れ親しんでいるようです

奈伎良比賣神社(隠岐 海士町豊田)

奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされています 柳井姫神社(やないひめじんじゃ)とも称されたとしていて この姫神2柱〈奈伎良比賣命・柳井姫命〉の伝承がそれぞれあります しかし この2柱の女神は 同神ともされていて 謎めいた祭神となっています

比奈麻治比賣神社 旧跡地(隠岐 西ノ島 済)

比奈麻治比賣神社 旧跡地は 西ノ島町の北東端の『済』という地で 古代に日本海を航海した船を救う火光を放つ神〈灯台のような〉とされています 六国史の延暦18年(799)に 遣渤海使(ケンボッカイシ)らが帰途の折 夜闇の海原で迷うと 遠くに火光が見え お陰で 嶋の浜に無事に着きます これは比奈麻治比売命の霊験であると上奏し官社になったと記されています 昭和3年(1928)に祭祀ともに現在の鎮座地に遷座します

隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について

隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です

伊勢命神社(隠岐 隠岐の島町久見)

伊勢命神社(いせみことじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 正史の『続日本後紀』嘉祥元年(846)の条には「伊勢命神 しばしば霊験あるにより 明神の列に預かる」と その御神威を記しています 鎮座地の久見(クミ)地区は 太古から栄えた地で 西日本最大の黒耀石の産地でもありました 本殿は隠岐造りの三間社です

眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)

眞氣命神社(まけのみことじんじゃ)は 隠岐 西ノ島の物井地区に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされます 江戸時代には所在不明とされていましたが 明治初期の式内社調査で比定されています 祭神の眞氣命については おそらく地主神であろうとされています

天佐志比古命神社(隠岐 知夫村知夫)

天佐志比古命神社(あまさしひこみことじんじゃ)は 島前(とうぜん)の知夫里島(ちぶりじま)に鎮座します 島前では第一の神社とされ『続日本後紀(869)』承和15年(848)に天佐自比古神(アマサシヒコノカミ)従5位下と神階奉授の記録があり『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載される由緒ある古社です

大山神社(隠岐 知夫村仁夫)

大山神社(おおやまじんじゃ)は 島前(とうぜん)の知夫里島(ちぶりじま)に鎮座します 島前内航船(いそかぜ)に西ノ島の別府港から 電動自転車を借りて乗り込みます 隠岐の島前カルデラを20分ほどで渡り 知夫里島(ちぶりじま)来居港に到着 観光地の名勝「赤壁」方面に向かう途中に 仁夫地区があって その中の民家の裏側に鎮座しています

大山神社(隠岐 西ノ島町美田)

大山神社(おおやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社です 島前(とうぜん)の西ノ島の最高峰である焼火山(たくひやま)の北麓 美田に鎮座します 焼火山(たくひやま)は 隠岐の島前カルデラを生み出した火山島の中央火口丘の名残りです 約600万年前に現在の島の原型が造り出されました 隠岐を創り出した源を神体山として祀る神社です

物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります

海神社(隠岐 西ノ島)

海神社(かいじんじゃ or うみじんじゃ)は 本殿背後に古墳もあり 古くからの社地と思われますが 創立年などは不詳です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載社とされていて 近世になって江戸時代には 別府村の「六社大明神(rokusha daimyojin)」と称されていました

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