天佐志比古命神社(隠岐 知夫村知夫)

天佐志比古命神社(あまさしひこみことじんじゃは 島前(とうぜん)の知夫里島(ちぶりじま)に鎮座します 島前では第一の神社とされ『続日本後紀(869)』承和15年(848)に天佐自比古神(アマサシヒコノカミ)5位下神階授の記録があり『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載される由緒ある古社です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天佐志比古命神社Amasahiko no mikoto Shrine
あまさしひこみことじんじゃ

 [通称名(Common name)]

知夫の一宮大明神ちおのいっくうだいみょうじん
一宮神社(いっくうじんじゃ)(いっくうさん)

【鎮座地 (Location) 

島根県隠岐郡知夫村知夫1018

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天佐志比古命Amasahiko no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

知夫村地域安全
・所願成就

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

記録の初見は『続日本後記』に「承和15年2月巳酉奉隠岐国天佐自比古神従5位下」とあり、延喜式には知夫郡七座の内の小社「天佐志比古神社」とある。

知夫の一宮社と称えられ、知夫村の総氏神として崇敬されている。郡地区、来居地区の氏神でもある。
旧暦8月15日は御鎮座記念日で「皆一踊り」が奉納される。
例祭には隔年ごとに浦安舞と寿三番叟、白波5人男などの地芝居が奉納される。常設の芝居小屋があり、知夫村の有形文化財に指定されている。島前の他社には無い。

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=30614

【由  (History)】

天佐志比古命神社(あまさしひこみことじんじゃ)

鎮座地  島根県隠岐郡知夫里村
御祭神  天佐志比古命(あまさちひこのみこと)
例祭日  旧暦6月15日

由 緒
「延喜式」の式内社。
知夫里の先住者によってまつられた神とされる。
続日本後記に「承和十五年二月巳酉奉授隠岐国天佐自比古神従五位下」とある。国内神名帖には「従一位天佐自彦大明神」とある。
現在も知夫村の総氏神として崇敬されている。

芸 能


例祭日前日夕刻、恒例に地芝居が奉納される。伝承によると明和年間(1764より)に始められ、寛政年間より盛んになり、文政年間にいたって同村多沢に良作という者があって振付し芝居踊を教えたという。この頃に建物が整備されたと思われる。

芝居小屋には4人で回す回り舞台も備わっている。また、観覧席も建物の正面野外に五段の石段状のものが設けられ特色あるもの。歌舞伎芝居の伝播を考える上で貴重である。

(島根県神社庁編 『神国島根』より抜粋)2011年3月24日
隠岐神社HP 島前のお宮より
http://okijinja.sakura.ne.jp/2011/03/post-29.html

一宮大明神略縁起延応元年(1239)

「天佐志比古尊は、人皇32代 用明天皇の時(585587
仁夫里の南にある島に現れ すなわち神島なり これより東向きに小島二つあり 御鳥居島と申すなり
用明年中から白雉4年まで59年間この島に座した 白雉4815 仁夫里の東にある浜辺の岩の上に上がられたが この浜辺は堅く不浄なため 老翁一人来て 陸に上がり給え と言って案内し この森に御鎮座した
この森に繁りたる木々は この山に住まい寵愛した古木なり
古来 貴神のために献ずべきこの場所に 社を奉じ迎えたり
幾万年までも この山にて守護し給うと言って その後 行方がわからなくなった

知夫里島観光ガイドより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・一ノ鳥居右脇に 一座

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)知夫郡 7座(大1座・小6座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天佐志比古命神社
[ふ り が な ]あまさしひこのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amasahiko no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

神社の社頭にある案内看板より

天佐志比古命神社の通称名「一宮神社(いっくうじんじゃ)」として 様々な角度から解説をしています

一宮神社(いっくうじんじゃ)

一宮神社 社殿
本来の名前を天佐志比古命神社といい、一宮神社は島前第一の神社という意味の通称です。延喜式神名帳927(延長5)年完成)にも登場する、1000年以上の歴史がある古社です。

後醍醐天皇御腰掛の石
1331(元徳3/元弘元)年、後醍醐天皇倒幕に失敗し隠岐に御配流となりました。その際、最初に知夫里島に上陸され、この神社をご参詣された時にこの石に座って休憩されたと伝わっています。天皇はその後隠岐を脱出されて建武の新政を開始されます。

芝居小屋
一宮神社の夏の大祭ではこの建物芝居演劇奉納されます。かつて島外から芸人呼び大々的行われる事もありました。奉納される芸能中には歌舞伎もありこれは隠岐では唯一のものです。舞台には人力で回転する円形の(回り舞台)もついています。

検校の石
1674(延宝2)年、出雲の日御碕神社の検校 小野尊俊は、彼の妻に横恋慕した松江藩の二代目藩主 松平綱隆公によって無実の罪に問われ、隠岐に流され、当地で没しました。隠岐に流された彼が座り続けて中心がへこんだと言われる石です。

神社「なぜ」を考える
神社にまつられている神様や、そこで行われるお祭りには、土地の歴史文化やその移り変わりが記録されています。
そして神社が昔の人にとってどのような意味があったのか、なぜそこに建てられたのかを考えると、当時の人の自然や大地に対する考え方にも触れることができます。
特に隠岐諸島の神社には1000年以上の歴史あるものや、他の地域に祀られない固有の神が多く、古代日本を知る鍵が多く秘められています。

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隠岐の式内社16座について

隠岐国には16座(大4座・小2座)式内社があります
その論社も含めてご紹介します

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

島前(とうぜん)の知夫里島(ちぶりじま)に鎮座します 島前内航船(いそかぜ)に西ノ島の別府港から 電動自転車を借りて乗り込みます 隠岐の島前カルデラ20分ほどで渡り 知夫里島(ちぶりじま)来居港に到着 

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ここから南へ一山超える所に 立ち寄りたいところがあります
昔から病を治す霊泉として島民の信仰を集めている「河合の地蔵の湧水」が道路に面してあります 賽銭を入れて お祈りをします

柄杓でお水を頂くと体の芯まで染み渡るような活力が出てきます

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坂を下れば 神社の鎮座する知夫村知夫です
海に向かう 南に面した斜面に階段があり 鳥居が 2連建ちます

天佐志比古命神社Amasahiko no mikoto Shrineに参着

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鳥居の手前には 風化しかけている狛犬が座していて 右手には境内社祠が鎮座します

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鳥居の扁額には「一宮神社」とあり 一礼をして くぐり抜けます

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二ノ鳥居まで上がってくると 少し社殿が見えてきます 社殿は参道に対してわずかに左向き〈わずかに南西向き〉に建っています

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階段を上がりきると 広々として境内地になっていて 敷地がコンクリート整地されています もしかすると 隔年行われる歌舞伎などの舞台の用地となるのでしょうか

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拝殿にすすみます 太い出雲式の注連縄が掲げられていて 拝殿内の額には「一宮」とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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大きな拝殿の奥へ廻ると 幣殿 本殿と続いています 本殿も見事なものです

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大きな声で鳴いているセミにつられて行った先には 東照大権現と刻まれた石碑が建っています 出雲で見かける社日かと想いましたが違いました

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社殿の向かって右側には後醍醐天皇御腰掛の石があります

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社殿に一礼をしてから 参道を戻ります 参道の先には 外海の日本海が広がっています 今は晴天で波一つありませんが本来は荒海です 先程迄の内海〈隠岐の島前カルデラ〉の反対側になります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

神階の授が記されています

【意訳】

承和15年(848)2月 巳酉の条

り授に
隠岐国(オキノクニ)天佐自比古神(アマサシヒコノカミ) 5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)付の太政官符の命により編纂〉に記される伝承

知夫郡の筆頭に 天佐自彦大明神として 従一位 と記されています

【意訳】

知夫郡

従1位 天佐自彦大明神(アマサシヒコダイミョウジン)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

『続日本後紀』の神階の授が記されています

【意訳】

天佐志比古命(アマサシヒコノミコトノ)神社

『続日本後紀』承和15年(848)2月 巳酉の条・・・5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

祭神は明らかだが 所在は良くわからないと記しています

【意訳】

天佐志比古命神社

天は 阿麻と訓ずべし 佐志比古は仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

神位
『続日本後紀』承和15年(848)2月 巳酉の条・・・5位下
『隠州神名帳』従1位 天佐自彦大明神(アマサシヒコダイミョウジン)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

第31代 用明天皇〈即位585~587年〉の時代に 新府里〈仁夫里〉の南海中に神島という島が出来て そこに鎮座していた 白雉2年(651)に新府里〈仁夫里〉高津久へ上陸し 萬治2年(1659)今の地に御鎮座したと社記に記されている

【意訳】

天佐志比古命神社

祭神 天佐志比古命
神位 仁明天皇 承和15年(848)2月 巳酉の条・・・5位下
   今按 国内神名帳 従1位 天佐自彦大明神

祭日 6月8月 15日
社格 村社
所在 知夫村(知夫郡知夫村大字知夫)
今按〈今考えるに〉
明細帳に用明天皇〈即位585~587年〉御時 新府里の南海中の島に在り これを神島と云う
白雉2年(651)まで 年数68年なり 同8月15日 新府里 高津久へ上り給い 爰(ココ)にある事 萬治2年(1659)まで1007年 同年6月15日 今の地に御鎮座と社記に云々 
地名 天神原 俗に一宮大明神と称すと記載せり 姑く揚げて後案を俟つ

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

後醍醐天皇(ゴダイゴテンノウ)御腰掛(オコシカケ)の石について

隠岐は 陰陽道では 京都から北西の方角にあり 縁起の良い地とされ 島には生活には 困らない豊かな食と 石器時代からの黒曜石による高い文化を持ち合わせていたという好条件があり 天皇をはじめ皇族 神官 貴族の遠流の地となっていました

後醍醐天皇御腰掛の石

元弘2年(1332年)3月.後醍醐天皇は鎌倉幕府によて隠岐へ配流された
その第一歩は、本村の仁夫里の浜であた。
 その折、天皇は天佐志比古命神社(一宮ともいう)にも立ち寄られ、この石に、腰を掛けてお休みになったと言われている。
 このため村人たちは、この石を御腰掛の石と呼んで敬い、毎年9月の丑の日には新穀を供える中 牛祭というお祭りをしていた。
知夫村

境内案内板より

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境内の芝居小屋について

隔年で 村民による歌舞伎奉納が行われていて 隠岐島前指定文化財となっています

隠岐島前指定文化財
天佐志比古命神社
(一宮神社)の芝居小屋

 江戸時代の明和年間、知夫湾に鯨の漂着があり、その後折り悪く火災や疫 病の流行が続いた。このように凶事が続くのは鯨が神慮を汚した為であるとされ、神慮を慰める方法として少年の手踊りを奉納しそれが毎年恒例の神事の中に組み込まれたのが始まりである。
 寛政年間に入り演技的な進歩が見られ、文政に入ると京都の流入僧速了法 師の指導により歌舞伎の要素が入り、明治時代になると本格的に村民による歌舞伎奉納が行われ現在に続いている。
 野外観覧席の廻り舞台を持つ芝居小屋は本村と淡路島の文楽の二ヶ所のみが存在する貴重なもので、近年建て替えられはしたが旧態を残しており、隠岐島前の文化財に指定されている。
 芝居奉納は天佐志比古命神社例大祭に併せて隔年七月二十四日・二十五日 の両日夜行われる。

境内案内より

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天佐志比古命神社Amasahiko no mikoto Shrine (hai)」(90度のお辞儀)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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